第25話 下駄箱①

「もう本鈴も鳴り終わっているわよ」

 すでに始業時刻を過ぎており、私はいまだに寝ぼけまなこの由美を急かしていたが、無造作に下駄箱を開けて上履きを手にしたとき、その手の甲に何かが当たったのを感じた。そこで何の気なしに手元を見他のが、そこには花柄の可愛い便箋が上履きの上に乗せられていた。さすがに普段から鈍さに定評のある私であっても、それがどういった代物なのか察し、また同時にその上で何かの間違いではないかと疑念を抱かずにはいられなかった。

「灯ちゃーん、このまま保健室のベッドでひと眠りしていかなーい?」

 隣のクラスの下駄箱から上履きをつっかけ、ふらふらと歩いてくる由美の姿を見て、とっさにブレザーのポケットにしまう。

「ん? どうかしたの、灯ちゃん」

 焦ったのを読み取られたらしく、由美は私の顔をうかがう。

「いえ、何でもないわ」

「まあ、灯ちゃんの魅力に気付く人がいるのは当然のことだからね。下駄箱にラブレターの百通ぐらい入っていてもおかしくないよね」

「見てたのね」

「あっ、本当にそうなんだ」

 そこで初めて鎌をかけられていたことを知らされる。

「今の今まで眠そうにしていたくせに」

「灯ちゃんのことなら、どんな時だって些細な変化も見逃がさないよ」

 私はもはや隠す意味もないので、ポケットから手紙を取り出す。

「へえ、可愛い便箋だね」

「そうね。すごく女の子らしい感じ」

「灯ちゃんも女の子だけどね」

「私はこんな乙女チックなもの、似合わないわよ」

「そんなこともないと思うけどなあ」

 私はそこで便箋の封を開け、中身を取り出そうとしたが、そこで「待って」と言われる。

「私がそれを見ちゃったら、出してくれた人に悪いんじゃないかな。私は間違いなくその人の敵にあたるわけだし」

「敵って言い方はどうなのかしら」

「恋は戦争だよ、灯ちゃん。選ばれるのは一人だけだからね、私にとっては全人類が敵になり得るんだよ」

「さすがにそんなに好かれないわよ」

 私はそう指摘するが、嬉しい言葉ではあった。

「だから、せめて私のいないところで見てよ」

「そうね。でもそれなら、その手を離してくれないかしら」

 先ほどから話している間中、由美はずっと便箋を握っていた。

「だって、気になるんだもん」

 珍しく弱気で不安そうな表情を浮かべる由美に、私は不意打ちを食らう。



 昼休み、私の席の周りにはいつものメンツが集まっていた。

「へえ、それで由美ちゃんが珍しくしおらしいのね」

「珍しくとか言ってやるなよ」

 私の横でもしゃもしゃとパンを食べている由美を、まさに物珍しそうに眺めている薫に一花が咎める。

「いや、由美ちゃんのことだから、もっとこう誰も寄せ付けないぞって肉食獣よろしくガルルルルッみたいな感じで威嚇していくと思ってたんだけど」

「ひどい言いようだな。なんか言い返してもいいんだぞ、由美」

「うん、そうかも」

 話を聞いていなかったのか、上の空の答えが返ってくる。

「薫ちゃん、そんなこと言ったらダメでしょ。恋する乙女なら好きな人にラブレターの一つでも届いたら不安にもなるよ。だから茶化さないの」

 元々常識人の恵だが、今日はことさら真面目に注意する。

「それで、もう見たの?」

「いや、見てないわ。時間もなかったし」

 朝は結局無事に遅刻してお小言をくらったし、それからも移動教室があったこともあり、休み時間も見る暇がなかった。

「ただ、それよりもさすがにおいそれと開けられるほど貰い慣れていないから、緊張しているのよね。結局、私たちの不審な態度のせいで、皆に手紙のことを説明せざるを得なくなってしまったわけだし」

「貰い慣れている人なんて、そうそういないだろうけどな」

「そんなことを言う一花は貰いまくってたよね」

「そうなの」

「うん、『放課後、河原で首を洗って待っててね』みたいな文面が毎日のようにいくつも届いていたよ」

「それはラブレターとは対極的なものだと思うけど。でも一花ならもらっていても全然おかしくないわよね」

「灯がそういうことを言うと、こじれそうだからやめてくれ。あと、薫は昔の話をすんなよな」

 一花の言葉には圧を感じたが、薫は呑気に「えー」と言うだけである。

「ああ、でも本当に毎日ラブレターをもらってそうなのがうちのクラスにはいたな」

「ダメだよ、あんなのに声をかけたら。灯ちゃんが汚されちゃう」

 そこで急に由美が目を見開き、迫真の顔で一花の肩を掴む。そんなことを言われている赤沢さんはといえば、大勢の女の子たちと賑やかにトランプをしていた。あれは実のところ王様ゲームのくじ引きの代わりで、勝った人が命令できるというものらしく、ただの遊びというには熱すぎるぐらいに盛り上がりをみせていた。ちなみに少し前までは王座を得るために手段を選ばない不正が横行していたらしいが、赤沢さんの一声によってフェアなゲームが開催されるようになり、そのおかげか界隈のレベルはすさまじい勢いで上がり、レート制が導入されて以降はさらにその精鋭たちが日夜問わずオンライン大富豪でその腕を磨いているそうだ。おかげで少し前まではキャピキャピしていた集団が、今ではどこか殺伐としたものになってきているのは、端からも感じ取れる。

 そんな光景を私が眺めていると、丁度こちらに気付いたように赤沢さんが向き、目が合った。私はまた甘ったるい言葉を携えて絡みに来るのではないかと身構えたが、彼女はすぐに目を逸らして別の女の子と話し始めた。

「そういえば最近話しかけてこないよな」

 その様子を見ていた一花が言う。

「飽きちゃったのかな」

「だから、言い方」

「いや、でも事実そうなんじゃない。便箋を書いてくれた子の方がよっぽど健気で可愛げがあるってもんだね。でもまあ、これで灯ちゃんに悪い虫が寄ってこなくなってちょっとだけ安心できるけど」

 由美は少し調子を取り戻した様子で刺々しい物言いをする。

「そうね」

「もしかしてちょっと寂しかった?」

「寂しくなんかないわよ、別に」

 それは強がりやごまかしから出た言葉ではなかったが、胸の内にモヤモヤがあるのは事実であった。

「さっき話してたけど、一花ちゃんは果たし状じゃない方のちゃんとしたラブレターももらったことあるでしょ。それにはどう返事をしたの」

「えっ、いや、別になんともしてないけど。というか私の話はもういいだろ」

「ああ、それはねえ。元々果たし状を出してきた人だったんだよ」

「ええ」

 私含め一同が驚く。

「その子、いくつものグループを束ねるぐらい強かったんだけど、一花ちゃんに返り討ちにされて惚れられちゃったんだよね」

「本当に漫画みたいな話だね」

「どちらかといえば、その人をひねってしまう一花が恐ろしいのだけど」

「昔ちょっとやんちゃしてただけだから」

 ちょっとの範疇でないことは明らかだったが、さすがにそれ以上聞くのも悪い気がして「それでどうしたの?」と助け舟を出しておく。

「どうもしなかったよ。期待に応えられないってことを伝えただけ」

「まあ普通はそうよね」

 確かにそれ以外の対応が思い浮かばない。

「別に何かが変わるわけでもないからな。だから大丈夫だって、由美。元気出しなよ」

「ごめん。別にいいんだよ、いつか灯ちゃんが素敵な人を連れて来たときの心構えは出来ているつもりだもの」

「どちらかといえば親の目線だな、それは」

「由美」

 私は見かねて声をかける。

「そういうこと言っていると、本当にちょっと怒るわよ」

「ちょっとなんだ」

「薫は黙ってろ」

「はい」

 薫は口をチャックで閉める動作をしてみせる。

「ちょっとっていうのは、さっき一花が言ったのと同じぐらいってことよ」

「おい」

 一花が横で声をあげるが、気にせず続ける。

「どこの誰が書いてくれたものであろうと、初めから断るつもりだったわ。だって由美と一緒にいるのが何よりも楽しいもの」

「おおっ」

「私ら、邪魔じゃない?」

「居ていいから」

 私は少し顔が火照るのを感じながらもギャラリーを鎮める。

「だからいつまでもウジウジしてないの、分かった?」

「……うん、分かった」

 由美はこくりと頷いた。

「はい、じゃあこの話はおしまい。違うことを話しましょう。一花のバイト先とか」

「なんかさっきからやたらと私に対しての当たりが強くないか」

「冗談よ。人が隠しておきたいことは、触れないであげるものでしょ。秘密は秘密のままでね。だから、今さらだけどあんまり他の人に言ったりしないでね。特に薫とか薫とか」

「分かってるって。誰が出したか知らないし」

「知っても言わないでねって意味なんだけど」

 話が通じているのかいないのか分からなかったが、とりあえず釘はさしておいた。



 放課後になると、私は教室にやってきた由美に「先に帰っていいわよ」と告げた。

「呼び出されているの?」

「ええ」

「そっか。分かった」

 由美は少しだけ寂しそうな顔で頷いた。

「大丈夫よ。誰であってもちゃんと断るから。ただ、時間がちょっと遅いのよね」

 便箋の中には、可愛い猫の描かれた紙が入っており、そこには午後四時頃に屋上に来てくださいと丸文字で書かれていた。

「灯ちゃんを待たせるつもりなの?」

 そこで由美が眉をひそめる。

「何か用事でもあるのではないかしら。もしくは人目を避けたいとか」

「それはそうかもしれないけど。なんか別の意味で心配になってきた」

 由美は訝しんでいる。

「まあまあ、落ち着いて餅ついて。私たちと一緒帰っていようよ。美味しいレモンタルトをご馳走してあげるからさ、一花ちゃんが」

「なんで私が。そもそも薫にはこの間映画を観に行ったときのポップコーン代もその後に喫茶店で飲んだクリームホイップの乗ったラテのお金も返してもらってないよな」

「あの映画は面白かったわね。上映が始まってからずっと人気で、今でも数日先までほとんどの席が売り切れているみたいだし」

「うんうん。あれはなかなか面白かったよね。むしろ面白すぎてその前後の記憶が抜け落ちちゃったかも。じゃあ今日はこの辺で」

「薫の記憶があろうがなかろうが、こうやってレシートもとってあるぞ」

 一花が逃げようとする薫の腕を締め付けるようにして掴み、由美にも一緒にいくように促す。由美は変わらず険しい顔をしていたが、「それじゃあまた後でね。何かあったら連絡してね、すぐに駆けつけるから」と言って渋々ついていった。

 それからしばらく図書室で自習していたが、四時近くになると私は開いていた参考書と数学の課題のプリントを鞄にしまい、屋上に向かった。

 放課後であっても部活動で使われていることがあるが、今日は偶然なのか屋上には誰もいなかった。

 まだ日が沈むまでは時間があるものの、風は少し冷たく湿り気がある。天気予報では雨が降るとは言ってなかったが、もしかしたら早く帰った方が良いのかもしれない。

 気付けば、すでに四時をまわってから十分ほど過ぎていた。

 屋上というのは思いのほか風があるようで、手や首筋が冷え込んでいるのを感じる。それからさらに十分ほど待ったが、屋上に誰かがやってくる気配もない。

「用事が長引いているのかしら」

 そんな独り言を吐き出してみるが、それは自分に言い聞かせるために他ならなかった。普通に考えれば、ラブレターを送られた側の人間を待たせることはそれだけで好感度をさげることになるだろうし、遅刻などすればもはや自ら振られにいっているようなものだろう。もしそこにそれ以外の意図があるとすれば、それはむしろ正反対の性質のものが思い浮かんでしまう。しかしそんな思いは手紙の主に失礼だと考え、慌てて打ち消す。

 二度ほどくしゃみが出る。

 やはり誰一人来ることなく、さらに三十分ほど経過していた。つまりここに来てからもうすぐ一時間になる。待っている間、初めこそいつ来ても良いようにとずっと立ちっぱなしであったがさすがに疲れてしまい、今は出入り口のすぐ横でもたれかかりながら座っていた。携帯の画面を付けると、由美からのメッセージがいくつもあった。

 それを見ると安心すると同時に、なんだか胸が締め付けられる思いがした。

 そもそも手紙がラブレターであるのかどうかさえ定かではない。ただ屋上に来るように書かれていただけで、それが好意に基づいたものとは限らない。そうでなかったとしたら、偶然私の下駄箱に紛れ込んでしまっただけで本当は違う人に渡すつもりだったのかもしれない。しかしそうだとしてもここに来てもおかしくはないはずだが、恥ずかしくなって帰ってしまったのだろうか。小粒の雨が頬に当たる。

「ごめんなさい、帰るわね」

 誰もいないにもかかわらず私はそう言って鞄を拾い上げ、校内へ続く扉に向かおうとした。しかしそこで扉がガタンと音を立てて開き、中から人が出てきた。そしてそれは私もよく知る人だった。

「赤沢さん?」

 なぜ彼女がここに来たのか、全く分からず戸惑う。しかも、彼女は肩を上下し息もひどく乱れている。いつもの華麗で余裕な笑みもない。

「だ、大丈夫かしら。どうかしたの」

 するとおもむろに赤沢さんは私に駆け寄ると、そのまま抱きしめてきた。

「すまない」

「えっ、何? なんなの?」

 私は私よりも頭半個分ほど背の高い彼女を受け止めながらも、どうすればいいのかまるで分からずにいた。

「身体もずいぶん冷えてしまっているじゃないか。こんな寒い中で一時間近くも待たせてしまって本当に悪かった」

「もしかしてあなたが出したの、この便箋」

「ああ、そうだよ。本当は周りの子たちに見つからないように時間よりもずっと早く来て隠れていようと思ったのだけど、案の定捕まってしまってね。せめて今日の大富豪で勝って権限を使えればよかったんだけど、そちらも惜しくも負けてしまって」

「そうなの。勝負事は得意なイメージがあったけど」

「私も自信はあったけど、最近は皆めきめき上手くなっているからね」

 そういえば、そんなことも聞いていた。

「それで、どうしてこんなことをしたの。もし、その、そういう話だとしても、わざわざ呼び出して伝える必要もなかったんじゃないの」

 自分からそのことを言うのは気恥ずかしさがある。

「ああ、それはだね、デートの誘いをするためさ」

 すると彼女はポケットから二枚の映画のチケットを取り出して、ひらひらとさせる。それは先週薫たちと観に行った今話題の映画のものであった。

「ああ、それ面白いわよね」

「おや、もう観ていたのかい」

「ええ。でも、そんな用件なら普通に声をかけてくれたら良かったのに」

 すると赤沢さんは少し困ったような顔をした。

「一つだけ言わせてもらうとね、私だって緊張することもあるんだよ」

「あら、そうなの」

「そうだよ。今だって、私の心臓が早鐘を打っているのが分かるだろう」

「そういえばさりげなくずっと抱きしめているわよね。そろそろ離れて欲しいのだけど」

「迎え入れてくれたじゃないか」

「びっくりしただけよ。散々待たされて疲れていたし」

「それに関しては本当に悪かったよ」

 赤沢さんはすっと私から離れると申し訳なさそうに目を伏せて言う。

「図々しい方だとは自覚しているけど、さすがにこれから連れ出すようなことはしないさ。家まで送っていくよ。傘も持っていないようだしね」

「それ、本気で言っている?」

「ん、どういうことかな。いや、さすがにこんなことをしてしまった後で、変なところに連れて行ったりはしないよ。それにこの映画はもう観てしまっているのだろう?」

「赤沢さんは映画館の暗がりで女の子にいかにして手を出すかしか考えていないから分からないかもしれないけどね、良い映画っていうのは何度観ても良いものなのよ」

 赤沢さんは少しばかり驚いたようにこちらを見ていたが、やがて「ぶれないね、キミは」と言って笑った。

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