第22話 料理番組

「ということで、今日はパエリアを作ります」

「唐突でもないけれど、ここから聞いた人は何のことかと思うでしょうね」

 いつものように学校の授業が終わってからの放課後の帰り道である。

「いやさ、この間ミュージカルを観に行った後、スペイン料理のお店に行ったでしょ」

「ええ、行ったわね。すごく良かったわ」

 そこではコース料理が出てきたのだが、タパスと呼ばれる前菜、オリーブとピクルスやにんじんのサラダから始まり、マッシュルームのソテーや豆の煮込み料理、ガーリックトースト、メインディッシュであるイベリコ豚は言わずもがなといったところであり、全てが完璧と思える美味しさだった。姉の愛などはあまりにワインが進みすぎて、店員の方から心配されていたが、あの時ばかりはきっと愛が特別酒飲みだからという理由だけではなかったように思える。

「そうそう。全部美味しかったけど、その中で私が一番気に入ったのがイベリコ豚の後に出てきたパエリアだったんだよね。パリッとしたおこげの付いたお米に魚介のうまみがギューっと詰まっていて、あんなに美味しいご飯を食べたことないんじゃないかと思ったぐらい」

「昔から海外の美味しいものを食べてきた由美が言うと説得力があるわね」

 由美の両親共に世界を股にかけて仕事をしているだけに、幼い頃などは特に海外に行くことも多かったはずだ。

「別にそんなんじゃないけどね。物心ついてからはそういう機会も減ったから、あんまり覚えていないもの。もちろんお土産で食べ物を貰って食べることはあるけど、それは大抵灯ちゃんと一緒に食べているでしょ」

「言われてみればそうね」

 むしろお土産と呼ばれるものに関しては、由美以上にもらってしまっている自覚があるだけに、申し訳なく思えてくる。

「それよりも今私たちが語るべきは、どうやったらあれだけの旨みを凝縮させたパエリアを作れるのかという話だよ、ワトスンくん」

「一応、パエリアを作るのには炊飯器を使ってもできるみたい。炊き込みご飯と同じ要領ね」

「そうだね。だから、あくまでパエリアを家で作るだけであれば、そっちの方がお手軽にできると思う。でもね、私はせっかくならお店の味に少しでも近づけたい。あの美味しさを再現したいからね。だから今日はフライパンを使って頑張ろうと思うんだ」

「そういえば、お店の人にも作り方を聞いていたわね。しかもかなり丁寧に教えてもらっていたわよね」

「さすがにお店で作っているそのままとはいかなかったけど、かなり細かいことまでアドバイスしてくれたよ。まるで長い修行の末に師匠から門外不出の秘伝のレシピを伝授された弟子の気分だったね」

「ただご飯を美味しく食べたことを修業と呼べたら、ほとんどの人が楽しく修行できそうね」

「良いじゃない、楽しい修行があってもさ」

「家庭科の授業があったのもあるけど、最近は食べ物を作ったり食べたりが多いわね、私たち」

「あっ、それ聞いたからね。灯ちゃんが薫ちゃんをたぶらかしていた話」

「たぶらかすって一体何のことよ」

「目を離せば鍋を爆発させちゃうような薫ちゃんを聖母のごとく優しく導いてあげたんでしょ。実際、あの日の昼休みはいつになくしおらしかったもんね、通りかかった葉ちゃんが別人かと思ったぐらいに。とはいえ、五限の予鈴が鳴る頃にはもう元通りって感じで、元気に灯ちゃんのお茶をぶちまけていたけどさ」

「おかげで午後は体操服で過ごすことになったわね」

 確かにあの日の薫は私に感謝していたような覚えがあるが、制服をびしょびしょにされたことですっかり忘れ去られていた。

「でもせっかく私たちも花の女子高生になったのだから、花より団子といわんばかりにもっと買い食っていくべきだね」

「お小遣いの範囲でね。ただ、今回みたいに自炊で家族分も作るとなると食材費を出してもらえるから、食べたいものを作ってみるのは悪くないアイデアね。うちのご飯を由美に作らせるのもどうかとは思うけど」

「むむ、そんな水くさいことを言わずなかれ。私も一緒にご飯を食べさせてもらうんだから手伝って当然でしょ。それに、嫁入りする身としては、料理のレパートリーは一個でも増やしておいて損はないからね。ガッチリ胃袋を掴むぞー」

 由美はいつになく張り切っている様子であった。



「皆さん、こんにちはこんばんわ。本日のメニューは、スペイン料理のお店の店主さんに教えてもらったパエリアです」

「唐突に料理番組が始まったわね」

 キッチンで隣に立つ由美はキッチンの向こう側にあると思われるカメラに向けて喋り続ける。

「そして、今回も一緒に作ってくださるのは、今日も変わらず世界一可愛い灯ちゃんです。どうぞよろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いします」

「灯ちゃん」

 何か言うのも面倒なので聞き流して続けさせようかと思ったのだが、そこで由美は小声で話しかけてくる。

「何よ。ちゃんと合わせたじゃない」

「そこは何か可愛い口上の一つでも言わなきゃ。料理で包丁を使うのにちなんで、あなたのハートを滅多刺し♡とか」

「急にホラー番組になったわね」

「それじゃあ、まずは具材を切っていくよ。野菜は玉ねぎ、にんじん、ニンニク、セロリをみじん切りにして、トマト缶も開けておく。あとここで魚介も切っちゃう。具体的にはイカを輪切りにして、このスーパーですごく安かった謎の冷凍白身魚の切り身も一口サイズにします」

 そしてまた急に真面目に話し始めるのも見慣れた日常である。

「さっきスーパーで買う前に調べてみたら、パンガシウスというナマズの一種みたいね。どんな料理にも合う淡白な味で値段もお手頃だから、最近消費量が増えている魚なんだとか。パエリアには鱈とか鯛とかが使われることが多いみたいだけど、今日は他にもイカとかエビとか買っちゃって費用が嵩んでいたから代用品ね。アサリが家にあったのは良かったわね」

「切り終わったら、さっそくフライパンにオリーブ油を引いて、先にイカを両面とも焼いちゃいます。ここがポイントなんだって店主さんは言ってたね。イカは焦げたところが旨みになるから必要以上には触らないようにしておくんだって。あんまり焦げると洗い物が大変になるけど、テフロン加工を私は信じるよ」

 由美はフライパンの取っ手を撫でながら言う。

「それでみじん切りにした野菜も入れて、玉ねぎが飴色になるぐらいまで炒める。ん、そういえば、飴色って何色なんだろ。あれって、ただ透明なだけじゃないよね」

「一般的には透明感のある茶褐色といったところかしら。ああ、調べてみたけど、今の水飴とかは透明だけど、昔は麦芽が加えられていたから薄い褐色だったのだとか」

 私は携帯の画面を見ながら説明する。

「ふうん、そうなんだ。じゃあ外国では飴色って言わないのかな」

「飴色というのは黄褐色のことで、英語ではライトブラウンにあたるみたい。それとは別にキャンディカラーという単語はあるんだけど」

「へえ、なんか可愛い名前でいいね」

「これは塗装の技法ということでいいのかしらね。ゴールドやシルバーなどのメタリックカラーを下地にして、クリアな色を上から塗ることで、キャンディーのような仕上がりになるそうよ。あと、玉ねぎを飴色になるまで炒めるという表現はよく使われるけど、飴色の玉ねぎのことはキャラメライズドオニオンというらしい。だけど、玉ねぎが飴色になるのはカラメル化したからではなくメイラード反応が起きるからなんだとか。ちなみにメイラード反応は糖とアミノ酸の組み合わせを加熱した際に見られる褐色物質を生み出す反応のことで、肉を焼いた時やコーヒー豆の焙煎などで見られるものと同じ。糖類が引き起こす酸化反応などを示すカラメル反応や炭化いわゆる焦げとはまた違うんだとか。こういうのも、そのうち科学の授業で習うのかしらね」

「ほえー」

「もちろん私も文面を読むだけでほとんど理解できていないけど、でも時にはこうやって身近なもので知らないことを調べるのって楽しいわよね」

「私はもうお腹いっぱいだよ」

 そんなやりとりを交わしながらも、調理を進めていく。

「あっ、忘れてた」

「えっ、何をよ」

 すでにトマトも加えて、水分を飛ばすように煮詰めている段階まできていただけに、何か不備があったかと焦らされる。

「いや、調理の始めの方で具材を切ったでしょ。その時にやりたかったことがあったんだよね。ほら、料理番組ではお約束でしょ」

 そこで由美はフライパンから手を離し、少し移動したかと思うとすでに洗ったステンレスのトレーを持ち出してくる。

「そして切ったものがこちらになります、ってね」

「ああ、差し替えのこと。確かに料理番組だとよくあるけど」

「いやあ、やりたかったなあ。今からもう一皿分作り直そうかしら」

「その手間暇は、手段と目的が逆になるどころじゃないわね。ここでコメディ映画なら今作っている方の火加減を間違えて丸焦げにしてしまってやり直しになるなんて展開もあるかもしれないけど、食べ物を無駄にはしたくないから勘弁願いたいわね」

「トマトは水分を飛ばすことで酸味がやわらぎ、旨みが凝縮されます。そして十分に煮詰めたら、エビやアサリなどの他の魚介類と水、塩、サフランを加えて強火で一煮立ち。煮立ったら魚介を取り出していきます。エビを取り出すときは、トングでエビの頭を押して、みそをスープに溶かすのも良きかな。そして取り出したものがこちらになります」

「入れて出したからプラマイゼロのつもりなんでしょうけど、流石にそれは無理があるのでは」

「だよね」

 由美は差し替えの夢を諦め、手順通りに調理を続ける。

「そしていよいよ、お米を入れるよ。ここからちょっと頑張らないとね」

 由美は腕まくりをし直すと、煮立たせたスープの中に入れるための米を持ってくる。

「この時、入れるお米は洗わないのよね」

「ええ、そうなんです。パエリアを美味しく作る一番のコツは、スープを米にしっかりと染み込ませること。お米は水に浸してしまうとすぐに水を吸収しちゃうから味が薄くなったり、うまくスープが染み込まなかったり、全体的にべちゃっとした仕上がりになってしまいがちなんです」

「炊飯器でやらない理由はここにあるのね」

「炊飯器でも気をつけてやれば、ちゃんと美味しくできるはず。ただ、米に旨みを吸い込ませるのと、水分量の調整はやっぱり難しいのかも」

「ともかく、いよいよ大詰めね」

「では、いざ投入」

 一度コンロの火を止めてから、サラサラと流れるように入れていく。米はそのままスープの濁りの中に沈んでいく。

「まずは強火で五分程度炊いていくからね」

 しばらくの間、ぐつぐつと煮えるスープを二人で見守る。

 数分ほど経ち、少しずつ水分が蒸発して米が膨らみ、沈んでいた米が少しずつ見えてくる。

 しかし、そこでキッチンの向こうのリビングにあテーブルの上で、バイブレーションの音が聞こえてきた。

「由美の携帯ね」

「あとでいいよ。私としたことが不覚だね。灯ちゃんと一緒にいるときに鳴らしてしまうなんて。教わったパエリアの作り方のメモを確認して、そのまま出しっぱなしだったばかりに」

「いや、それは私もそうしておいた方が良いと普段から言っているから良いのだけど。それに、どうやらお母さんからの電話みたいよ」

 他人の携帯画面を勝手に見るのは良くないとは思うが、目に入ってしまったので伝える。

「そんなことだろうとは思ったよ。さっき、私が灯ちゃんとお泊まりデートに加えて一緒にパエリア作ることを自慢したから、悔しくなったんでしょ」

「それでわざわざ国際電話をしてくるなんて」

 由美の母親は仕事の都合で今はまだ海外にいるはずだ。明日の昼頃には帰ってくるそうだが、今日は家に一人ということで、由美はうちに泊まることになっていた。

「何かあったらいけないし、一応取ったらどうかしら」

「仕方ないな。じゃあ向こうで取ってくるね。どうせ灯ちゃんがすぐそばにいると分かったら、声を聞くまで永遠と駄々をこねて何度でも掛け直してくると思うから」

「さすがにそんなことはしないでしょ」

 私は扉を開けて廊下に出ていく由美の背中を見送りながら言う。

「んー」

 まもなく、お米を入れて強火で炊き始めてから五分が経過する。由美の話では、そろそろ火を弱めた方が良いということである。だから、私は自然な流れとして、コンロの火の調整をしようと手を伸ばしたのだが、そこではたと手を止める。

 今回は自分も手伝っているとはいえ、由美が主導でやっているわけであり、そんな中で自分が勝手にやってしまっても良いのだろうかと思ったのだ。たとえ調理の一工程に過ぎなくとも、由美のいないところで進めてしまうのは、やはりどこか違う気がする。とはいえ、そのまま放っておくわけにもいかない。

 そこで何気なく辺りを見渡すと、先ほどまで調べものに使っていた自分の携帯がふと目に入る。



「えーと、フライパンにお米を投入し、強火で炊き始めてから五分ほどが経過しました。ここでコンロの火を弱め、これからまた十五分ぐらいじっくりコトコト炊きあげていきます。私も自分で調べてみたのですが、どうやらスープの表面に米のデンプンと魚のゼラチンが溶け出して膜が張り、ふちの部分が鍋肌から剥がれてくるそうです。なので、そこまで待ちます。これで、合っているわよね」

 私はキッチンの隅の壁際に立てかけたスマホに向かって、喋りかけるように話す。

「とは言っても、あとは待つだけなのだけど。えーと、そうですね。何もせずにぼーっとしていてももったいないので、サラダを作ろうと思います」

 そこで一旦、スマホの録画を止めて確認してみる。

「由美のいないところですることを記録しておいたらどうかと思ってやってみたのけど、なんだか辛気臭いわね。声は小さいし、ボソボソと喋っていて思った以上に微妙な気がするわ」

 自分の立ち姿はともかく、その喋りようは見ていられないものであった。

「もちろんテレビで喋ってられるような方のようにできるとは思っていなかったけど、なんだかモヤモヤするというか、悔しいわね」

 素直にその気持ちを認めるほかなかった。由美はまだ戻ってこない。扉越しに漏れ聞こえてくる大きめの声は、どうやら何か言い合っているらしいが、「灯ちゃんは確かにそばにいるけど、私の心の中にいるから出せませーん、べろべろばー」などと聞こえてくる辺り、そこに深刻さは一切感じられないし、しばらくかかりそうに思える。

 私は出来るところから再度撮り直すことにする。

「はい、それではですね、パエリアの方は弱火でお米にスープの旨みを染み込ませながら炊き上げていますので、いえ、炊き上げていくのでその間にサラダを作っちゃいますね」

 少し砕けた口調で、なるべく明るく、大袈裟なぐらいが丁度良いだろう。

「サラダと言ってもですねー、こちらはパエリアと比べてそんなに手が込んでいるわけではないと言いますか、えー、そんな感じなのでパパッと作っちゃいましょう」

 なんだかおかしなテンションになってきていることは自分でも分かっていたが、それでも明るく努めて声も出ているので続ける。

「使っていくお野菜はですねー、こちらになります、じゃじゃん。にんじんですね。皆さんはお好きですか、にんじん。私はそこそこですかね。そこそこなのに聞くんかいって言われてしまいそうですが、私みたいなそこそこの人にこそオススメできるんですよ、こちら。今日はパエリア、スペイン料理なんですけどね、こちらもスペインの居酒屋、バルなんて呼ばれるんですけど、そこで前菜、いわゆるタパスとして提供されるようなメニューの一つなんです。ただ、タパスはお酒のおつまみのイメージが一般的みたいで、例えばバケットにアンチョビやアボガドを乗せたもの、マッシュルームのガーリック焼きやアヒージョなど、どれもお酒が進むものばかりなんです。私の姉もお酒好きなんですけど、これだけで朝まで飲んでいられるなんて言っていたぐらいです。でも、お酒が飲めなくても十分に美味しいですよ。それはこのピッチピチの現役女子高生である私が保証しますよ」

 余計なことを言った気もしたが、今や饒舌な私の口は止まらない。

「そうそう、スペインって夕食の時間がかなり遅いらしいですよ。仕事の終わる時間が遅いのかもしれません。夜の九時や十時からその辺のお店で食べるなんてことも珍しくないみたいで、それでいてじっくり時間をかけて家族や友達と食べるスタイルなので食べ終わって寝る頃には深夜になっているんでしょうね。さっさと食べて切り上げたいと思ったとしても、そもそもお店の食事もそのペースでしか出てこないみたいです。スペインに限らず、ラテンの国はそういう傾向にあるみたいですね。お昼もわざわざ仕事場や学校から一度家に帰って食べるらしく、シエスタもあるというんですから、私たちとは全く違う感覚なんでしょうね。それにしても、お昼寝ができるというのは羨ましいですよね。ご飯を食べた後はやっぱり眠くなりますし、作業効率みたいなことを考えても、そちらの方が良さそうですよね。ああ、でも、人によってはいちいち家に戻るぐらいなら早く仕事を終わらせてしまいたいと思うかもしれません。あなたはどう思いますか」

 視聴者に語りかけることも忘れない。

「もしかしたら少し話が逸れてそんな余裕があるのか、パパッと作るんじゃなかったのか、と思われた方もおられるかもしれません。ですが、大丈夫です。何故ならば、このにんじんですが、千切りにしたものがこちらとなります」

 そこで私は冷蔵庫からトレーを取り出す。その中には細切りにされたにんじんが、塩漬けにされている。

「ご覧のように千切りにしただけでなく、塩水で揉み込んでます。由美がパエリアの具材を切ったあとにやっておいたんです。だからこちらと差し替えてしまえるわけですね、ふう」

 この作業工程をしていたときは全く考えていなかったが、いざこうして差し替えすることができるとなかなかに気分が良い。

「にんじんの水気をしっかりと取ったらボウルに入れ直して、オリーブオイルを小さじ二杯ほど、ニンニク一欠片、レモン汁少々、塩、砂糖、粒マスタード、粗挽き胡椒などをお好みで加え、味を調整しながらかき混ぜていけば、はい完成でーす。盛り付けの際には、こちらのサニーレタスと一緒だと緑色とオレンジ色で彩りも良くなりますよ。それにしてもこのレタス、実に鮮やかな色合いですね。きっと一杯の太陽光を浴びたのでしょう。でも、もし光を浴びれなかったとしても大丈夫。だって、ここにも輝く明かりがあるからね☆」

 バッチリとカメラ目線で、片目を挟むようにピースサインをしてみせる。これだけやれば、辛気臭く見えたりはしないはずだ。

「実を言うと、あともう一品、切ったバケットにガーリックトーストにして焼いたものにトマトのオリーブオイル和えを載せたタパスも作ろうと思ったのですが、それは特に姉が喜びそうなので、姉が帰ってきてから作ることにしようと思います。では、いよいよ盛り付けパートに入るのですがその前に、そろそろパエリアのお米もいい具合になってきたはずなのでそちらを見てみましょう。では一旦、カメラを止めますね」

 私はそう言うと、笑顔を崩さずに携帯のそばまで歩み寄り、一旦動画を撮るのを止めた。しかしすぐにそれをまたセットし直す。

「のんびりしている時間はないわね。パエリアの最後の仕上げとしておこげをつくるけど、ミスは許されない。もちろん差し替えなんてできないわけで、気を引き締めていかないと」

 おこげを作る際、十数秒ほど強火にするのだが、それは当然やり直すことなどできない作業になる。そしてそこで私は大事なことを思い出す。

「そういえば、由美はまだ電話しているのかしら。いくらなんでも長すぎると思うのだけど」

 そこで私は扉の方に目をやる。すると扉の外ではなく、内側つまりリビングに由美の姿はあった。そしてもっと言うならば、先ほど私がしていたのと全く同じ格好をして、具体的には目の横でピースしながらウインクをしたまま一歩も動かずにそこに立っていた。

「ゆ、由美」

 私の顔が真っ赤になっていることは言うまでもない。

「だって、ここにも輝く明かりがあるからね☆」

 由美は一言一句、おそらくはその表情さえも完璧にトレースしてみせる。

「元気いっぱいで可愛いよ、灯ちゃん」

「いつから」

「撮り始めた直後だね。お母さんが買ってくるお土産の相談を餌にして灯ちゃんと話そうとしていたから、ちゃんと灯ちゃんの好きそうなのを頼んでから切ったんだよ。これでいよいよ灯ちゃんも全国デビューってわけだね。私の輝く太陽の小町エンジェルは、きっとその輝きで世界中を明るく照らしちゃうんだろうね。私としては独り占めできなくてちょっと残念だけど、灯ちゃんが本気なら全力で応援していくだけだよ」

 由美は神妙な顔で頷いてばかりであった。



「あれは由美の電話が長引くかもしれないと思って、でもやらないわけにもいかないからせめて記録を取っておこうと考えただけで、誰にも見せるつもりはないから。最初はもっと淡々と撮るつもりだったけど、自分で見返してみたらボソボソ喋っているのが気になっちゃって、だからもうちょっとだけ明るくやろうと思ったのだけど、そうしたら途中で変なテンションになってしまって」

 説明するのも恥ずかしいが、せめて経緯を理解してもらおうと必死になって話す。

「それじゃあ、私のためだけに撮ってくれていたってこと」

「そうよ」

「そっか」

 由美は私と比べるとずっと落ち着いた様子であった。

「せっかく作り立てなんだから、灯ちゃんの家族には申し訳ないけど、先によそって食べちゃおう」

 リビングのテーブルの上には、すでに敷かれた鍋敷の上に取り外し可能な取っ手のないフライパンにエビとレモンとイタリアンパセリで彩られたパエリアが、他にもニンジンサラダやトマトのブルスケッタなど料理が並んでいる。

「飲み物はもちろんワイン、じゃなくて葡萄ジュースね。そういえば愛ちゃんが教えてくれたけど、ワインといえばフランスのイメージがあるけど、実際はスペインやイタリアも同じかそれ以上に盛んで、ブドウ畑の耕地面積だとスペインが一番になることもあるんだってよ」

「お酒のことになるとさすがね、愛は」

 そんな話をするのもおそらく由美の気遣いだろう。おかげで冷静さを取り戻しつつあった。

「じゃあ、いただきます」

「うん、灯ちゃんの作ってくれたにんじんサラダ。マスタードがきいていて良いね」

「そうね。手軽に作れたけど、思った以上に美味しいわ。これは普通の白米と合わせてもどんどん箸が進みそう」

 それからバケットもそれぞれ一つずつ軽くつまみ、いよいよ本日のメインであるパエリアに向かう。

「おこげも上手くできたみたい。焦げすぎずにパリパリ剥がれていい感じ」

「由美はよく落ち着いてやっていたわね」

 当然というべきか、あとの作業は放心状態にも近かった私に代わって由美が引き継いだ。元々由美が作ろうと言い出しただけあって、終始冷静に進めていた。

「火を使っているからね。そこはちゃんとしないと」

 それは同時に私が遊びすぎたことも示されているようであり、「その通りね。調子に乗りすぎたわ」と反省を口にする。

「はい、あーん」

 すると、由美は取り分けたパエリアをスプーンで掬い、少し冷ましてから私の口元に近づけてくる。私は少しだけ逡巡したが、それを口にする。

「んっ」

「まだ熱かったかな」

「いえ、すごく美味しいわ。本当にお店の味そのままよ。もしかしたらお店で食べたときよりも美味しいかも」

「だとしたら、たっぷり愛情が込められているからだね」

 由美は両手をグーにして合わせながら双方の親指を下に向けてハートマークを作ってみせる。

「せっかくなら一緒に写真も撮ろっ」

 一応完成した時にその出来栄えを見るために撮ったのだが、改めて由美が珍しく自分から携帯を取り出す。

「二人で作った記念でさ、食べるところも撮っちゃお」

 そう言って、由美はひとしきりシャッター音を鳴らしていく。私はほとんどされるがままであった。

「はい、灯ちゃん。一緒にハートマーク作って」

「なんだか脱線してきてないかしら」

 そう言いつつもハートを作った片手を差し出すと、それはもう由美は大層喜んだ。そして満足した様子で携帯を手放すと食事に戻った。

「さっきの動画さ、私には送ってくれないの」

「何よ、今ので満足してくれたんじゃないの」

「私としてもそのつもりでぶり返さないでいようと思ったんだけど、今ので逆に欲しくなってきちゃったと言いますか」

「もう勘弁してちょうだいよ」

「でも、私のために撮ってくれたって言ってたじゃない。そう、私には中身を確認する義務があるんだよ。それとも、私に見られるのがそんなに嫌?」

「ずるいわよ、そういう言い方」

 わざとらしい上目遣いを私は咎める。

「映像として残すと、永遠に残り続けるじゃない。誰かに見せないとも限らないし」

「そんなことは絶対にしないよ。私が一人で楽しむ、じゃないちゃんとチェックするためだけに使うもん」

 由美はいつになく力のこもった言葉と共に目を合わせ、その眼力のこもった視線を送ってくる。

「分かったわよ。あとで送っておくわ。もうすでにその目でバッチリ見られているだけに、当分は忘れてくれそうにないし」

 私は観念してそう言った。

「やったー」

 由美が諸手を挙げて喜ぶ中、二度とあのようなことはしないと改めて反省する。

「どんなに暗く険しい場所でも大丈夫。だってここには輝く明かりがあるからね☆」

「それ、絶対外でやらないでよ」

 私は思わず大きな声で注意するが、由美はウインクしながらピースをしてはしゃぐばかりであった。

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