第17話 布団 

「あー、なんで布団ってこうも入ったら出たくなくなるのかしらね」

「灯ちゃんがだらけているよ」

「だって今日は休日よ。逆に由美はなんでそんなに早起きなのよ。いつもは寝坊する癖に」

「それはもちろん灯ちゃんがいるからだよ。一秒でも無駄にしちゃいけないでしょ」

「だからって朝の四時半に目覚ましをかけることは無いでしょう。夕べだって遅かったんだし」

「なんせ灯ちゃんが寝かせてくれなかったもんね。私を強く求めてきてくれたのは嬉しかったけど」

「借りてきた映画を一緒に観ていたからね。シーズン4まであったんだから仕方ないでしょ。返却期限今日までだったし」

「それって要するに灯ちゃんが観たかっただけだよね」

「そうよ、悪かったわね」

「別に悪いとは言ってないよ、私は。そもそもわざわざレンタルビデオ店で借りるなんて久しぶりだよね」

「サブスクになかったからね。とにかくもう少し寝かせて。せめて六時ぐらいまでは」

「まあ仕方ないか」

 私は眠かったのですぐに目を閉じたが、そこで由美のベッドが軋む音がする。そして、由美が床に足を付けるとおもむろに私の布団に入ってきた。

「ちょっと何やってるのよ」

「えっ、一緒に寝ようと思っただけなんだけど」

「なんでちょっと予想外みたいな言い方するのよ。そもそも二人で入るには狭いでしょ」

「それがいいんじゃん。私はいつでもウェルカムなのに、こんな地べたの上に布団を敷いて寝るなんて寒くて風邪ひいちゃうでしょ」

「絨毯が敷いてある上に、ここのところ日に日に気温も上がっているじゃない。むしろ暑苦しい」

「二人で汗だくになろうよ。屋根裏部屋に閉じ込められたときみたいに」

「あれは酷い事件だったわね」

「でも、楽しかったじゃん」

 由美は本当に楽しそうに言う。

「それで結局入れてくれるの、くれないの?」

「くれない、じゃなくてあげない。とにかくちょっと寝かせてちょうだいよ」

「じゃあ灯ちゃんが寝てから静かに布団に入るよ」

「もうそれでいいわ」

 私はついに根負けした。というよりも再び眠気が襲ってきたので、もう答える余力もなかったのだ。そしてそのまま重くなった瞼が降りてくる。



 再び目が覚めた私は、すぐ壁にかけてある時計で時間を確かめる。午前七時半過ぎ。

 寝坊というほど遅い時間ではなかったが、由美に言った時間よりもだいぶ寝すぎてしまったようだ。

「ごめん、由美」

 思わずそう言っていたが、そこでふと由美の布団を見やると、由美はスヤスヤと眠っていた。

「なんだ、寝てたのね」

 あれだけ張り切っていたのに、力尽きてしまったらしい。由美の方がいつもは寝坊しているし、おそらく睡眠時間も長い。昨日は夜更かしさせてしまったので、このまま寝かせておくことにする。

「むにゃむにゃ、灯ちゃん。そんなに大きなネギをどうするつもりなの」

 私は嫌な記憶を思い出しそうになってにわかに緊張する。思い出しそうになっただけで思い出したわけではない。そういうことにしておく。

 そこで扉が二度ほどノックされる。

「はい」

 私が返事をすると、扉が開く。

「起きたのね、灯ちゃん。おはよう」

「おはようございます、お母さん」

「さっき見に来たときは、由美が起きて灯ちゃんが寝ていたのだけど今は逆になっているのね」

「来ていたんですか。すみません、気付かなくて」

「謝らなくていいのよ。自分の家のようなものなんだから。それに何より、灯ちゃんのキュートな寝顔が見られて眼福だったわよ」

「はあ」

 由美のお母さんにこの手のことを言われると、由美のように無下にできないのが難しいところだ。

「だからつい、その出来心で写真を撮ってしまったのだけど携帯の待ち」

「ダメです」

「受け画面にしても」

「絶対ダメです」

「良いかし……良くないのね」

「はい」

 私の断固たる姿勢に、由美のお母さんはわずかに身を引く。

「大体、おかしいじゃないですか。自分の娘の写真ならまだしも私なんて。もし誰かに聞かれたらなんて答えるんですか」

「もちろん正直に答えるわよ。それに私にとっては可愛い娘の一人みたいなものよ。たとえ他人だとしても、スポーツ選手やアイドルを壁紙にしていることは珍しくもないでしょ」

「私はそのどれにも当てはまりません」

「灯ちゃんは私たちのアイドルなのよ」

「そう言われてもダメなものはダメですからね。由美にも同じ注意をしたばかりです」

「あら、そうだったの。そのわりにはさっき張り切って写真撮っていたけど」

「消してもいいですか」

「でも一応ロックかかっているわよ。あの子、ずぼらだけど灯ちゃん情報を誰かに盗まれたら大変だって言ってたから」

「それって指紋認証ですか」

「いや、確か数字入力だったと思うけど。さすがに私も暗証番号までは知らないわよ」

「それはたぶん大丈夫だと思います」

 由美のお母さんが出て行った後、私は由美の携帯を探す。しかし探すまでもなく、寝ている由美のすぐ横に落ちていた。おそらく写真を撮ってから、それをニヤニヤしながら眺めているうちに寝落ちしたのだろう。携帯の画面が下向きになっているのがその証拠だ。

 一応由美のお母さんに許可は取ったので、携帯の画面を点けさせてもらう。

「待ち受けどころじゃないわね」

 今着ているパジャマと同じものを着た私の寝顔が映し出される。明らかに先ほど撮ったものだ。

 そして暗証番号は迷いなく打ち込むとあっさり解除された。

「やっぱり」

 私が入力したのは、私の誕生日の日付であった。

「これじゃあロックしている意味がないあまり無い気がするわね」

 それから私は、一応他人の携帯を勝手に弄っている罪悪感もあって、画像のファイルを開き、今日の分だけは消すと、すぐに画面を消して元の場所に置き直した。その間も由美はたまに寝言を言っていたが、ぐっすり寝ているようだった。

「やっぱり朝ご飯の手伝いした方が良かったかしら」

 先ほど戻っていく際、由美のお母さんは一人でやるとむしろ張り切った様子で話していあので、その言葉に甘えてしまった。

「むにゃむにゃ、朝ごはんはネギの入った豚骨塩ラーメンがいいよ」

 朝から随分お腹にハードなものをお望みのようだが、本当に食べたいと思っているのだろうか。そして私がネギに苦手意識を抱きつつある反面、なぜか由美は好んで食べるようになっている。

「全然起きそうにないわね」

 由美は心なしか楽しそうな寝顔をしており、全く起きる気配もない。今もこうやって独り言のようなことを言っているのも、実は由美が起きるのではないかと思ってのことだったりする。

「由美、寝てるの?」

 尋ねてみるが、これで「うん、寝ちゃっているよ」などと返事があったら逆に驚くだろう。試しに足でもくすぐってやろうかとも考えたが、やめておいた。昔、由美が私にそういう悪戯をしかけたときに、私は敏感に反応し、反射的にその足で由美の顔面を思い切り蹴り上げてしまったことがあったことを思い出したからだ。それから由美は少なくとも寝ているときに、私にそういうことはしなくなった。そう考えると、由美が私の寝顔を撮っているときに、寝ているふりをしてその携帯を叩き割ったりその手に噛みついたりすればやめてくれるかもしれない。検討の余地はないわけではない。

「それにしても眠っている由美は本当に」

 黙っていれば、いや黙っていなくても由美は私なんかよりもずっと可愛い。由美のお母さんは美人だし、また歳を重ねればもっと大人っぽく魅力的な女性になっていくはずだ。

「そんなに見つめられると照れちゃうよ」

「えっ」

 その口が動いたかと思うと、目がぱっちりと開く。

「目が覚めたときに灯ちゃんの顔が最初に見えるなんて幸せだね」

「もしかして起きてたの?」

「まあね」

「ということは私が何をしていたかも」

「灯ちゃんが私の暗証番号を一発で当ててくれて嬉しかったよ」

「か、勝手に触ったのは確かに悪かったかもしれないけど、由美が勝手に撮った写真を消しただけだから、その、えーと」

「あはは、そんな慌てなくてもいいのに。私がいけなかったのは分かっているし」

 由美が目を細めながら微笑む。それを見て、私は少し落ち着く。

「ちょうどお母さんが部屋を出て行くときに目が覚めて、まあ話していたことは大体予想がついたけど、面白いから寝ているふりをしていただけだから。でもせっかくならもうちょっと様子を見ていた方が面白かったかも。もしかしたらさっき私が言っていたみたいに、灯ちゃんが同衾してくれたかもしれない」

「しないわよ。それに前に学校の保健室でそんなことしたじゃない」

「あれは、あくまでも私のアプローチだったでしょ。そうじゃなくて、私は灯ちゃんから来てほしいの」

「はいはい。というか起きていたのならお母さんの手伝いしてあげれば良かったのに」

「お母さん張り切っていたから邪魔するのも悪いかと思ってさ。やっぱり勝負はフェアであるべきでしょ」

「あなたは何を言っているの。私は手伝いをした方が良いんじゃないかって言っただけであって、邪魔しろとは言ってないわよ」

「胃袋を掴まれてしまったら、戦況は一気に傾いちゃうからね。それに、お母さんはいつか必ずちゃんと越えなければいけない壁だもの。ずるは良くない」

「もう何でもいいわ」

 私は由美と話すのを諦めて、ひとまず着替えることにする。

「今日は何する?」

 由美は早々パジャマを脱ぎ捨てながら言う。せめて着替えるものを出してから脱げばいいのにと思う。

「特にやらないといけないことはあったかしら」

「灯ちゃんと一緒にいること」

「それ以外に」

「無いです」

「即答ね」

「まあね」

 由美は洋画の俳優のように得意げにサムズアップしてみせる。

「ありがたいことに学校の課題もないから、今日は気兼ねなく過ごせるわね」

「私は課題があっても週明けにテストがあっても気兼ねなく過ごせる自信があるね」

「何の自慢よ。あと、前を少しくらい隠しなさいよ」

「ええっ、別にいいじゃん。女同士なんだし。それに灯ちゃんには私の」

「全部を見て欲しいとかなんとか言うんでしょ。そういうのはもう分かったから」

「さすがに私のいなしかたを覚えてきたようだね。成長と同時に少しの寂しさも感じるよ」

「それで、どうするかって話でしょ」

「ああ、そうだった。灯ちゃんとどこに行けば楽しいかな」

 その時、由美の携帯の画面が点灯するのが見えた。

「由美、携帯光っているわよ」

「えっ、発光しているの。そんな機能あったっけ」

「馬鹿なこと言わないで、さっさと見たら」

「やっぱりこういうところが携帯の良くない点だよね。せっかく灯ちゃんが目の前にいるのに、妨害してくるようなこの感じ、どうにかならないかな。せめて、画面から灯ちゃんが飛び出してきて通知の説明をしてくれるとか、そういう機能を私は所望するよ」

「科学技術の進歩は日進月歩とはいっても、さすがにそんな機能は当分実現しないでしょうね。それならまだ私の携帯に全部の連絡が来るようにして、それを私が由美に報告する方が現実的ね。というか最近までわりとそんな感じだったけど」

「そうそう。でもそうなると、お母さんが連絡するときに灯ちゃんを経由するから」

「それほど迷惑というわけでもなかったけどね」

「いや、そういうことじゃなくてお母さんがそれにかこつけて灯ちゃんと話そうとするから、それをどうにか阻止しようと苦渋の決断をしたわけです」

「ああ、そう」

 私としてはもう返事のしようがない。

「んーと。ああ、薫ちゃんからだ」

「へえ」

「『おそらく、お取込み中のところ大変失礼します。私のこのメッセージが灯と一緒にいる時間の妨げにならないことをただただ祈るばかりです』」

 頼んだわけでもなかったが、由美は読み上げる。

「とても友達へのメッセージとは思えないわね」

「『それで本題なんだけど、今日暇だったりしない? 昨日、灯も由美の家に泊まるって話してたから二人が良ければ、一緒に遊びに行かない?』だって」

「由美はどう思う?」

「まあやることなかったし、良いんじゃないかな」

「こんなこと私が言うのもアレなんだけど、その、私と二人じゃなくていいの?」

「お母さんも出かけるって言ってたから、せっかく灯ちゃんを独り占めできるだけに、私としては半日ほどの長考をお許し頂けるとありがたいんだけど」

「半日待ったら丁度日が暮れるわね」

「そうだよねえ。うーん、どうしようかなあ」

「無理に行かなくてもいいとは思うけど。薫もきっと分かってくれるし」

「いや、やっぱり行く。ほら、私たちどうするか決めてなかったけど、薫ちゃんなら何か面白いこと考えてくれてそうじゃない」

「そもそも何するつもりとか書いてないの」

 すると丁度続きのメッセージが届く。

「『あっ、そうだ。せっかくなら一花のバイト先に冷やかしに行こう』、だってよ」

「いかにも薫が考えそうなことね」

 私は呆れながら言う。

「一花ちゃんってどこで働いているの」

「そういえば私も知らないわね。前にその話になったんだけど、いつになく一花が慌てて、結局教えてくれなかった。薫はなんだかニヤニヤしていたけど」

「ほう、それはがぜん興味が湧いてきましたのう」

「なんで二人とも放っておいてあげないのかしら」

 薫と由美はそういうところが似て通っており、二人集まると手に負えなくなる。

「だって、一花ちゃんが慌てるなんて珍しいじゃない。いつもはクールで、スズメバチの巣が教室に投げ込まれても冷静に対応しそうなのに」

「その例えはどこから出てきたのよ」

「よし、じゃあ決まりでいいよね」

 そう言うと由美は素早く返信する。由美は買ってしばらくも経っていないのに、すでに慣れた手つきで操作している辺り、さすがに要領がいい。

 そのとき足音が近づいてきたかと思うと、再び部屋の扉がノックされてそのまま開いた。

「灯ちゃん、ご飯できたわよー。由美が起きないうちに私と二人で食べちゃっても良いわよ」

「起きてるよ。見えてるでしょ」

「あら、てっきり服を被ったマネキンかと思ったわ」

「着替えている途中だから。あと、灯ちゃんは私と一緒に食べないと死んじゃう病気に感染しているから言動には気を付けてよね」

 二人のやり取りを聞き流しながら私は服を着替え、それからカーテンを開ける。すると一気に眩しい陽光が部屋に差し込んできて、思わず目を細める。

 今日もいつもと変わらない、いや、もしかしたら少しずつ変わっているのかもしれないが、やはり暖かい陽だまりのような一日が始まろうとしていた。

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