第11話 ショッピングモール
「ねえ、灯ちゃん」
由美が私の顔を窺うように覗いてくる。
「何かしら」
私は由美がいる方とは逆方向を向きながら返事をする。
「ちょっとその辺で休もうよ。ほら、ちょうどそこに喫茶店あるよ」
「さっき着いたばかりじゃない。お茶をするには早すぎるわよ」
ショッピングモールに到着したのはつい数十分ほど前であり、由美が気になっていたと話していた雑貨屋に軽く立ち寄っただけだ。
「いや、そうは言ってもさ。その、明らかに具合の悪そうに青ざめた顔を見たら放っておけないでしょ」
由美は私に対してはわりと珍しく呆れ混じりに言った。
「でも店に入ったらお金が勿体無いじゃない。バイトしているわけでもないのだから無駄遣いはしたくないわ」
「じゃあ向こうにあるベンチで休憩しようよ。ほら、ちょうど空いたみたいだし」
そう言うと由美は問答無用で私の腕を引っ張っていく。意地になっていた私は、初めこそショッピングモールで駄々をこねる子供のようにその場を動くまいとしていたが、すぐそばを行き交う人たちがこちらを物珍しげに見ていることに気付いて恥ずかしくなり、さらに由美に迷惑をかけていることも自覚し、反省して付き従った。
「はい、これ」
私がベンチに腰かけて休んでいる間に近くの自販機で買ってきたミネラルウォーターの入ったペットボトルを渡してくれる。
「今、お財布出すから」
「別に良いって、これぐらい」
「そうはいかないわよ」
「じゃあ余った分を私にも飲ませて」
由美は私の隣に腰を下ろす。私はまだ納得いってなかったが、ひとまずキャップを開けてからゆっくりと飲んで一息つく。
「どう、少しは落ち着いた?」
「ええ、ごめんなさいね」
「別に謝らなくていいよ。灯ちゃんがこういう場所が苦手なのは分かっていたことだもん」
由美が周囲に目をやる。私もつられて目を向ける。終わりが見えない通路のずっと向こうの方まで服屋や雑貨屋、その他様々なテナントが入っており、家族連れ、若い男女のカップルや友達同士のグループなどが多数行き来している。二人がやってきたのは休日の喧騒に包まれた大型ショッピングモールだった。
「映画の時間はまだ先だからゆっくり休んで大丈夫だよ」
由美は明るく話す。しかし私は肩を落とさないわけにはいかなかった。
「そもそも誘ったのは私なのに、不甲斐ないわ」
昔から人混みが苦手だった。無数の人たちの話し声を聞いているとなんだか耳をかき回されて平衡感覚を失うような気分になるし、せわしなく行き交う人々を見ているとこちらまで余裕がなくなり眩暈がしてくることが良くあった。日常生活を著しく害するほどのものではないが、こういった場所に来ると時々気分が悪くなってしまうのでなるべく近寄らないようにしていたのだ。そしてその習慣に従えば、休日のショッピングモールなどというまさに私にとって天敵とも呼べる場所に行くことはあり得ないことだったが、そんな危険を冒してでも達成したい目的が私にはあったのだ。
「チケットはネットで予約しておいたから問題ないけど、連日満席になるぐらいだから映画館の方も混んでいるだろうね」
「そうね。いわゆる大作映画の最新作なのだから無理もないわ。それに私と同じように入場者特典を欲しがっている人も多いだろうし」
入場者特典のステッカーと映像フィルムを手に入れることこそが今日のミッションであった。それが家の近くの映画館では配布されないため、わざわざ電車に乗って都心部の大きな映画館があるショッピングモールにやってきたのであった。
「でもさ、シールとかフィルムの切れ端なんてそんなに欲しいものかねえ」
由美は首を傾げながら言う。
「由美には分からないだろうけど、ファンの心理としてはすごく欲しいものなのよ。フィルムなんて写っているのが名シーンだったりすればネットオークションで何十万円もの値打ちが付くんだから」
「そうは言ってもフィルム自体は凄く小さいわけじゃん。それならまだ映画館の物販コーナーで売っているポスターとかタペストリーの方が飾れるし、持っていて嬉しい気がするんだけどなー」
由美は他のことでも言えるが、何かに入れ込むことは少なく、映画に関しても私が付き合わせているので普段映画を全く観ない人たちよりは詳しいが、あくまでもライトなファンだ。少なくとも私のように、映画専門雑誌を購読したり、公開されている映画の評価をチェックしたり、洋画に出てくる俳優の名前を覚えていたりはしない。ちなみに物販でももちろんグッズを買い込む予定だ。
「しかも今日観るのはゾンビ映画でしょ。グロテスクなシーンとかのフィルムもらったらなんか呪われそうで嫌だなあ。そもそも灯ちゃんは人酔いするのに、なんで大量のゾンビが出てくる映画を嬉々として観られるのか不思議でたまらないよ。しかも、今回の舞台はよりにもよってショッピングモールらしいじゃん」
「映像と現実は全然違うでしょ。それに、今日観る映画の監督はどんな題材でもコミカルに仕立てあげることで有名で、今作もゾンビ映画なのにグロテスクなシーンもほとんどみたいよ。だからそういう描写が苦手な人にも人気が出ているみたいね」
「ふーん」
由美はそれほど興味もなさそうに生返事をする。
「灯ちゃんは実際にゾンビ映画みたいな状況になっても、落ち着いて対処してそうだよね。というかむしろイキイキするんじゃないかとすら思える」
「そうかしら。ああ、でもゾンビってちょっと可愛い感じあるわよね」
「ええっ、全然可愛くないよ。灯ちゃん、ちょっと変だよー」
由美は引き気味に言う。確かに私はゾンビに関わらず変な外見のクリーチャーやらが嫌いではないし、むしろそういうもののデザインを見るのを楽しみにしており、一般的な女の子が抱く感覚とは少しばかりずれているのかもしれない。
「まあ、映画の話をしていたら少し落ち着いたみたいで良かったよ」
由美は私の顔を見て言う。確かに、気付けばかなり気分は良くなっていた。
「ええ、そうね。由美のおかげよ、ありがとう」
そもそも由美も買い物したいと言っていたとはいえ、今日もわざわざ私に付き合ってくれているのだ。二重の意味で感謝の気持ちがあった。
「へへっ、そうやって正面からお礼を言われると照れますなあ」
由美は頬を緩めて嬉しそうに笑う。
「あれ、もしかして由美じゃない」
その時、由美の座っている側から歩いてくる三人の女の子たちの姿があった。由美もそちらを振り向く。
「ああ、香苗ちゃん。円ちゃんにひかりちゃんも」
由美はそれぞれの名前を呼ぶ。どうやら由美のクラスの同級生らしい。言われてみれば体育の授業などで見た覚えがあった。ただ三人とも普段の学校のときと違ってバッチリと化粧もしていてなんだか気合の入った恰好をしている。
「こんなところで会うなんて奇遇だね、三人でお買い物?」
「今はそうだけどちょっと違う」
由美が香苗ちゃんと呼んだ女の子は、巻き髪を指にクルクルと巻きつけながら微妙な口ぶりで答える。
「どゆこと」
「もう少ししたら合コンなの。ほら、前に由美のことも誘ったやつ。今日だって話したじゃん」
「あー、そういえばそうだっけ。私、そういうの全く興味ないから忘れてたよ」
「アンタ見た目良いし空気読めっから絶対戦力になるのに。まあいいけどさ、そっちは楽しそうにデートしているみたいだし。てかうちらと話したことなかったよね、木下さんだっけ」
彼女たちは私の方に目を向けた。
「そうよ、えーと」
「ああ、紹介するね。彼女は合コンマスターの筒浦香苗ちゃん」
「おい、もうちょっと良い言い方をしろって」
「えー、でも事実じゃん」
悪戯っぽく笑う由美は筒浦さんに軽く小突かれるが、そのまま後の二人のことを私に紹介する。黒ニットに恰好良い赤色のハットを被っているが神永円、それからクラスは違う筒浦と中学が同じだったという背の低くて可愛らしい外見の星野ひかりといった。私はそれぞれに軽く会釈をする。
「私、前から木下さん気になってたんだよねー。なのに由美がなかなか紹介してくれねーじゃん」
「えー、そんなことないけどー」
筒浦さんの言葉に対して、由美は笑って否定する。
「そういえば木下さんのお姉さんって、あの木下愛さんなんだってね」
神永さんが言う。
「ああ、雑誌見ているのね」
私はすぐに予想がついた。姉のことを知っている同年代の女の子はわりとおり、その理由は愛がモデルをやっているファッション誌を読んでいるからだ。そして彼女の服装は、まさにあの雑誌の系統のものだった。
「そうそう。愛さん手足長いし、いつもクールなすまし顔で超カッコいいよね」
まさかその正体が、節制もろくに出来ない酒豪だとは思うまい。灯は世間の抱く姉へのイメージに対するギャップにおかしさを感じるのもいつものことである。
「へえ、読モなんだ」
筒浦さんは知らなかったらしい。
「き、木下さんも佇まいとか喋り方とかクールで格好良いよね。やっぱり姉妹だから似ているのかな」
星野さんは小動物のように何故か少しおどおどした様子で私をじっと見てくる。彼女は他の二人と比べて遊び慣れている感じせず、筒浦や神永との組み合わせが少し意外に思える。私と目が合うと遠慮気味ににこりと笑いかけてきたので、私もぎこちなく微笑み返すと照れくさそうに頬を赤く染める。
「確かにちょっと近寄りがたい雰囲気あるよね。いや、悪い意味じゃないよ。むしろ良い意味で、孤高な感じというか。木下さんとクラス同じの友達もそんなこと言っていたな」
神永さんも賛同する。
「そうかしら」
私は首を傾げる。
「二人は何しに来たの、やっぱ買い物?」
筒浦さんが尋ねる。
「映画観に来たんだよ、ほら今話題のゾンビ映画の」
「ああ、あれか。でも、近所の映画館でもやってなかった?」
「それが向こうだともらえない入場者特典を灯ちゃんが欲しがっていて」
「へえ、それでわざわざ来たわけ。木下さんは映画好きなんだ」
「まあ、そうね」
私は頷く。
「私も映画好きだよ」
すると星野さんが一オクターブほど高い声を出して言った。
「へえ」
私はにわかに興味の目を向ける。
「そ、その今日木下さんたちが観に行くやつの監督さんとかもけっこう好きなの」
「えっ、ホントに?」
私の声も自然と高くなった。星野さんは少し驚いたようにブルっと身体を震わせる。
「う、うん。わ、私、コミカルなのが好きだから。今やっているのもパニックホラーの要素もあるけど、どちらかと言えばコメディーに近いらしいから観てみようかなって。私、怖いのは苦手だけど、あの監督さんなら大丈夫だと思うから」
「まさにそうなのよね。そのことについて、さっき由美に話していたところなの。あの人の凄いところはコミカルなのにわりとシリアスな展開もあって、話が軽くなり過ぎないところよね。絶妙なバランス感覚があって」
「そうですそうです。それでクライマックスなんかちょっと切ない気持ちにさせてしまうんですから本当にすごいです」
星野さんは身を乗り出すようにして喋る。そこから星野さんは少しヒートアップ気味に映画談義を始めていた。星野さんは私のようにすべてのジャンルをまんべんなくというわけではなく、やや知識に偏りがあるが深く、それでも私としては身近に話が通じる人がいなかったので新鮮だった。
「木下さん、どんな話振っても知っていてすごいです」
「星野さんのように映画のロケ地や好きな俳優の出演作全部を言えるほどじゃないけどね」
「やっぱり良く知っている人同士で喋るとすごく面白いし、楽しいですね」
星野さんは鼻先がぶつかるほど顔を近づけてくる。
「ええ、まあ。そうかもしれないわね」
話し慣れてきたからなのか、初めに抱いた印象にそぐわずグイグイくることに、私は少なからず驚いていた。
「なんかすげえ気の合ってる感じじゃん」
筒浦さんが私たちを見て言う。
「うん、合コン行くよりここでずっと木下さんと話していたいぐらい」
「それは合コンをキャスティングした私が困るからやめろ」
「分かっているって」
星野さんが悪戯っぽく笑う。二人の関係はどういうものなのだろうかと気になった。
「でもやっぱり同じ趣味だと盛り上がるよな、合コンでもそういうの結構大事だし。少なくとも話の取っ掛かりにはなるからな。とはいっても男の趣味なんて大抵はスポーツとかレジャー系だから、そこに女子が合わせていかないといけなくなるんだけど」
「それは香苗が集めてくるのがそういうタイプってだけじゃん」
神永さんは携帯のインカメラを鏡にしてハットを被り直しながら、指摘する。
「まあね。あんまりバカなのもアレだけど、インテリぶるのは論外でしょ」
「いきなり良く分かんない知識を自慢げに披露されるのは私も嫌だけど。由美もそう思わない?」
「ん?」
由美はどこか上の空の様子で、反応するのに間があった。
「ああ、うん。まあねー、私も気を遣えない人はちょっと苦手かも」
しかし話はちゃんと聞いていたらしい。
「そうそう、やっぱり気遣いだよな。おもてなしの心っていうか、そういうのを見せて欲しいね。別に割り勘か全額かとかそういうお金の問題だけじゃなくてさ」
「まあ、でも」
香苗が同意するが、由美は言葉を続ける。
「自分の好きなことを語っている人の顔は、嫌いじゃないかな」
由美がそう言って穏やかに笑うのを、私は横で見ていた。
それからしばらく経たないうちに、三人は時間だからと言って、去っていった。
「じゃあ私たちもそろそろ行こうか。ほら、上映後になるとお目当てのものが売り切れることもあるかもしれないし」
由美はそう言って腕を伸ばしながら立ち上がる。
「由美」
「ん?」
由美はこちらを振り返る。
「あの子たちとは仲良いの?」
「んー、まあまあかな。ほら、私って基本的に誰とでも仲良く出来るでしょ。あっ、でももちろん一番は灯ちゃんだから安心してね。例えば、今日観る映画みたいにもしもショッピングモールでゾンビが現れたとしたら、この身を挺して灯ちゃんを守ってみせるよ」
由美はそう言って、立ちはだかるように両腕を広げてみせる。
「由美はいつも私のことを一番に考えてくれるわよね」
「えっ、どうしたの急に」
由美は少し驚いている。
「もしかしたら私の思い過ごしかもしれないけど」
そう前提して言葉を続ける。
「あの子たちに私のこと、あんまり紹介したくなかった?」
「どうしてそう思うの?」
由美の顔は先ほどと全く変わっていない。しかし私は由美の質問に構わず話を続ける。
「私はあまり自覚がないけど、他人との間に壁を作っているところがあるみたいでしょ。ほら、さっきも近寄りがたいオーラがあるとか言われていたじゃない。私は由美と違って誰とでも仲良く出来るわけじゃない。さっきもグイグイ来る星野さんにちょっと戸惑っちゃったし。えーと、つまりね」
私は自分の考えをどうにかまとめる。
「私は映画を観るのが好きだけど、それは由美が一緒に観てくれるからもっと楽しめるのよ。由美はいつも楽しそうにしてくれるから。由美はいつも私にすごく優しくて、だから、その……ありがとうね」
「へへっ、なんだ。ようやく私の偉大さに気付いたのね、灯ちゃんは」
由美はおどけて笑っていたが、その目はわずかに潤んでいるようにも見えた。ただそれは一瞬だったので思い過ごしかもしれない。
「私、映画のことはあんまり分からないけど、灯ちゃんのことは誰よりも分かっているから、今さらお礼なんて言わなくても大丈夫だけどね」
そう言った由美は、まるで雲間が切れて現れた眩しい太陽のような笑顔を浮かべていたのだった。
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