第9話 屋根裏部屋

「うわっ、埃がすごいわね」

 私は口に手を当て、細めた目で周囲を見渡す。天窓から差し込む陽光が床一面に雪のように積もった埃を照らし出す。

「やっぱりやめておいた方が良い気がするけど」

「えー、でもたこ焼き器がなかったらタコパ出来ないじゃん」

 後ろで由美も簡易梯子を登ってくる。

「そもそも二人でタコパって言い方はどうなのかしら」

「灯ちゃんと一緒なら何でもパーティーになるんだよ。それにもう材料は買って来ちゃったからやるしかないでしょ」

 由美は埃を恐れず、ずかずかと足を踏み入れ、窓から離れて陰になっている方へ向かう。そちらに段ボールが山積みに置いてあり、おそらくその中のどこかにたこ焼き器が入っているはずだと先ほど話していたのだ。

「開けてもいい?」

「もちろん。外側に何も書いていなければ、中身見ないと分からないでしょうからね」

 由美はせっせとたこ焼き器を探す。普段は面倒なことはしたがらないが、今日はやけに張り切っている。おそらく食に関することだからだろう。

 初めにたこ焼きを食べたいと言い出したのは私だった。いや、実際は口に出して言ったわけではない。学校の帰り道、牛乳や卵などの生鮮食品の補充をするためにスーパーに立ち寄ったのだが、店の前でたこ焼きの屋台が開いており、私がそれを眺めていると由美が「久しぶりに家でタコパしよう」と言ったのだ。屋台などでもすぐに買えるだけのお金はあったのだが、由美がやたらと張り切っており、どうせ私の食べる分にわさびでも入れようとしているのだろうと見抜いていたが、食べたかったのは事実だったので頷いた。ついでに愛にもメッセージを送って誘ってみると、遅くなってもいいなら酒を買うのを担当してあげるから参加させてと返ってきたので、もちろんそれには返信しなかった。

 そんなわけで私たちは小麦粉や卵などの基本的な材料とそれぞれ好みのトッピングを買い揃えて家路についたのだが、肝心のたこ焼き器を以前使ってからどこに仕舞ったのか忘れてしまい、物置となっている屋根裏部屋で探すことになったのだった。

「んー、これでもないなあ」

 由美は手始めに手前に置いてあった段ボールを開けてみるが、そこには見慣れない海外のお菓子の空箱が入っているだけだった。

「そんなに奥には仕舞っていないはずだけど」

「そうだよねえ」

 由美は手近なところからまた漁り直す。私も下に続く階段の蓋を閉じた。そのときガキッと妙な音がしたのだが、その時の私はまだ何も気付いていなかった。

 それからしばらくの間あれこれとひっくり返しながら探し回した結果、段ボール群とは別のところにある棚の下に無造作に入れてあったたこ焼き器の箱を発見した。

「きっと仕舞ったのは姉さんね。いつも適当なんだから」

「愛ちゃんの部屋、足の踏み場ないもんね」

「一昨日なんか服の置き場がないからって私の部屋のクローゼットに勝手に入れていたのよ。仕方ないから姉さんの部屋を掃除してあげたわ。出したものをちゃんと元の場所にしまわないのが全ての元凶ね」

「灯ちゃんはなんだかんだ面倒見が良いよね」

「ホントにどっちが年長者なのか分からないわよ」

 私はため息をつく。帰ってきたら小言の一つぐらいは言わなくては気が済まない。

 由美がたこ焼き器を抱えているので、私は再び階下に繋がっている梯子階段の閉じ蓋を上げようとした。

「ん」

 何かが引っかかっているのか、蓋が上がらない。もう一度試しに金具を引っ張るが途中でガチャンと音が鳴って詰まってしまう。

「どうしたの」

 由美が聞く。

「何か引っかかっているみたいで」

「開かないの?」

「いや」

 その事実を認めたくなくて否定し、今度は強く金具を引いた。するとボキッと鈍い音が聞こえると共に手に重みが無くなる。

「あっ」

 私はその反動で身体が後ろに倒れそうになる。しかし背中を由美の手で支えられて、倒れずに済んだ。

「危ないよー、気を付けて」

「あ、ありがとう。それにしてもよく間に合ったわね。たこ焼き器は?」

「ちゃんと床に置いておいたよ。灯ちゃんが思い切り引っ張るだろうと思ったから、もしかしたらこうなるかなって」

 由美は平然と答え、私の手元を見る。

「ああ、金具が外れちゃったみたいだね。たぶん取り付けられると思うけど、時間はかかりそうだね」

「そ、そうなのね」

 冷静な対応をみせる由美に少しばかり戸惑う。

「ん?」

 由美がこちらの顔を見て何かと聞いてくる。

「いえ、やけに落ち着いていると思って」

「まあ別にここ灯ちゃんの家だし、どうにでもなるだろうからそんなに慌ててもね。あっ、それとももう少し可愛らしい反応を示した方が良かった? 『キャー、閉じ込められちゃった。どうしよう灯ちゃん』とかなんとか言って腕に抱き着いちゃったり」

「そうしたら避けるわね」

「でしょ。だから今さらそんな女の子っぽい反応しても仕方ないわけですよ。でも、灯ちゃんは怖くなったら私の胸に飛び込んできて良いんだからね、灯ちゃん専用ですから」

「何、訳わからないこと言ってるのよ」

 そうは言いつつも、屋根裏に閉じ込められてしまったことに不安を感じており、由美のふざけた言葉である程度落ち着きを取り戻した。私は改めて状況を確認する。

「金具が外れてしまった今、内側からこの蓋を開けるのは難しそうね」

「そうだね、でも外側からなら押し上げれば開くはずだよ」

「そしてそこの出窓は小さくて出られないでしょうし、そもそも出てもどうしようもない。つまり助けを求めた方が早いわね」

 私は一応出窓の方を見てみるが、どうにか顔が出せるかどうかぐらいしか開かない。

「愛ちゃんが帰ってくれば、たぶん気付いてくれるよ」

「そうかしらね。一人でお酒飲みだしてしまいそうだけど」

「それは確かに。じゃあ連絡入れとこうか。灯ちゃん、携帯ある?」

「ないわよ、自分の部屋に置いてきてしまったもの。由美の方こそ、持っていないの?」

「私が持っていないのは分かっているでしょ。灯ちゃんと一緒にいるときは、携帯の画面なんか見ている時間あったら灯ちゃんの顔見たいし、どうでもいい着信で邪魔されるのが嫌だっていつも言ってるでしょ」

 何故か由美は得意げに話す。

 実際、由美は私といるときに携帯を弄ることは滅多にない。もっと言えば持っていないことすら多々あるので、由美の母親などは由美に用があるからと先に私の携帯に電話をかけてくることも少なくない。

「じゃあ、とりあえず愛ちゃんを信じて待つしかないね。でもきっと大丈夫だよ、愛ちゃんもいつもは呑気にしているけど意外と鋭いところもあるし。ほら、この前一緒に観てたサスペンス映画の犯人も当てていたでしょ」

「あれは私も分かったわよ。たぶん今まであの映画を観て犯人が分からなかったのは由美ぐらいじゃないかしら」

「ええ、そこまで言う?」

 由美は納得いかない様子で首を傾げる。

「それにしても暑いわね」

 私は今さらながら屋根裏部屋特有のもわっとした熱気を追い払うように手であおぐ。

「そうだね。ましてや灯ちゃんは長袖着ているもんね」

 由美は私の着ている長袖のパーカーを指差す。家用の汚れてもいいようなすでにクタクタになっているパーカーだ。私は少なくとも自宅では恰好を気にする方ではない。

「由美は黒色の半袖シャツ一枚しか着ていないわよね。たしかに今日は暑いけど」

「私はたこ焼き奉行になるつもりだったからね」

「それと半袖を着るのとどうつながっているのか分からないけど」

「心意気ってやつだよ、お嬢ちゃん。あらよっと」

 由美は半袖の袖を肩まで捲り上げて力こぶをつくる。意味はもちろん分からない。

「はあ、たしかにあっついねえ」

 私が無反応だったからかすぐにたこ焼き奉行はやめて、シャツの裾を持ってパタパタとはためかせる。

「よし、脱ごう」

 おもむろにシャツの裾に手をかけて脱ぎ捨て、薄いキャミソールだけになってしまう。

「何やってるのよ」

「愛ちゃんなんかよくその辺をパンツ一枚で歩いてるでしょ。そりゃあ、私だってお嫁さんの実家であんまり適当な恰好をするのはどうかと思うけど、今は緊急事態だしさ」

「勝手にお嫁にしないで」

「お婿さんの方が良かったか。いや、私の方が背は低いけどさ、タキシードは意外と似合う方だと思うんだよね。それに灯ちゃんは純白のドレスの方が着たいでしょ、というか私が横で見たい。ほら、どう、暑くなってきたんじゃないの」

「私にも服を脱がせるためにそういうことばかり言っているのね」

 私はその手には乗るまいと、すでに熱くなっている耳を塞ごうとする。

「まあそれもあるけどさ、愛ちゃん帰ってくるまで暇だから、灯ちゃんからかって遊ぼうと思って」

「その暇つぶしの仕方はやめてほしいけど、暇なのは事実ね。やることもないし」

「あんまり動き回ると埃まみれになっちゃうもんね」

「鬼ごっこでもするつもりだったの」

「いや、段ボール箱を漁って灯ちゃんの恥ずかしい写真の入ったアルバムとか見つからないかなと思ってさ」

「ないわよ、そんなの」

「私の家にはたんまりあるけどね」

「それ、どういうことよ」

 私は思わず眉をひそめた。

「ああ、もちろん私が盗撮したとかじゃないよ。中学生の時に流行ったの覚えてない? チェキとかで写真撮ってすぐに現像するやつ。没収されないように気をつけながら、こっそりと先生やクラスの子を撮ったりしてたんだけど」

「ああ、そういえばそんなこともあったかもしれないわね」

 スリルを求めていたのか単に写真に凝ることに熱中していたのか分からないが、校内で写真を撮るのを女子生徒間で競い合うようにやっていた覚えがある。特に授業中に撮ることが一番ポイントの高かったそうで、いかに先生にバレないように撮るかクラスの女子たちが談義していた。ただ、私はそれには参加したことはなかった。そもそも写真を撮るのも撮られるのもあまり好きじゃなかったからというのが大きな理由で、あとは単に面倒に思っただけだ。

「それでさ、ブームが一旦落ち着き始めたところで今度は撮った写真を売る人が現れたわけよ」

「むしろそれが放課後のホームルームで問題になったから終わったんじゃなかったかしら」

「まあ、それはそうなんだけどね。たぶん灯ちゃんは気付いていなかったと思うんだけどさ、灯ちゃんの写真も出回っていたのよ」

「えっ、私の?」

 それは本当に驚いた。普段教室の隅でおとなしく本か雑誌を読んでいた私には、そういった浮ついた話にはまるで縁がないと思っていたからだ。

「灯ちゃんがただの天然であることに気付かない人たちからすると、傍から見た挙動だけだとクールでちょっと神秘的な雰囲気があるらしく、それが一部の層には人気があったわけよ。灯ちゃんが知る由もなかっただろうけど」

「そうなの?」

 おそらくはこういう無自覚な反応を示すと嫌らしさが出てしまうだろうが、私としては自分みたいな生真面目で普通な人間の何にそういう要素を見いだすのかと不思議に思わざるを得ない。

「自分のことって案外分からないものだもんね。自分にとっては当たり前のことなら、たとえ周りにとってはそうでないことだったとしても、それに気付くのは難しいもの。それはともかくとして、灯ちゃん親衛隊隊長の私としては写真のバラ撒きを許すわけにはいかないでしょ。だから私が片っ端から回収していたの。そしたら皆が灯ちゃんを撮れば私に高値で売れるってことに気付いてさ。そこからはもう大変だったんだから。毎日灯ちゃんを欲に目のくらんだハイエナどもの毒牙にかからないように、私がさりげなく見張ったり威嚇したり脅したりしなくちゃいけなかったんだから」

 由美から何かおどろおどろしいものが溢れ出るのを感じとる。

「そ、そう。それは大変だったわね。だから由美のところに私の写真があるのね」

 これ以上詮索しない方が良い気がしたので話を変える。

「まあね。あっ、もちろん変なことに使ったりはしていないからね。私はあくまでもプラトニックなものを求めているのであって……」

 突然何か思い出したように由美は言う。

「変なこと? 何の話?」

「いや。なんでもないよ、なんでも」

 由美は何故か手を自分のシャツで拭きだす。手汗をかいたのかもしれない。さすがにまだ初夏というにも早い時期とはいえ、この熱気のこもった部屋に長いこといれば汗の一つもかいてくる。私もさすがにパーカーを脱ぐことにする。

「ああー、なんだか意識が遠のいていくよ、灯ちゃん。目覚めのキスでもしてくれないと私はこのまま死んでしまいそうだよー」

 しばらくすると、由美は下着のまま埃も構わず床に足を投げ出して座り込んでしまっていた。そういう私もシャツこそちゃんと着ているが似たような恰好になっていた。

「姉さん、そろそろ帰ってきてくれてもいいのに」

「でも愛ちゃん遅くなるって言ってたんでしょ」

「そうなのよ。柄にもなく授業にちゃんと出席するとか言ってて」

「仕事で出られないこともあるだろうし、出られるときに出ておかないといけないんじゃないの。ああ、なんかじっとしているだけなのにぐったりしてきたよ」

「ここを出たらひとまず風呂に行きましょう」

「一緒に入ってよ」

「なんでそうなるのよ」

「だって、それぐらいの餌がないと私、もう頑張れないから」

「大げさね。まだ一時間も経っていないでしょうに。日も沈んでいないわけだし」

「いやー、私的にはもう五時間ぐらい経った気分だけどなー。ホントはもう次の日だったりして」

「そんなバカなことあるわけないでしょ」

「でも分かんないよ。ここから外はほとんど見えないわけだし、時間が止まったり早く動いていたりしてもおかしくないって。でもそういうのも悪くないかも、私たち二人だけで共有している時の流れ、なんてちょっとロマンチックじゃない」

 私は由美の言葉を取り合わなかった。私もぐったりしてきたからだ。体調を崩したというほどではないが、これがまだ数時間も続くことを考えると眩暈がする。

「例えばさ」

 由美がまたも口を開く。

「もしも愛ちゃんが帰ってこなかったら、私たちこのまま死んじゃうんだろうね」

「何言ってるのよ、縁起でもない」

「あくまでもしもの話だって」

 由美が私を宥めるように言う。

「私としてはさ、こんな死に方だったらわりと本望かもしれないって思ったんだよね」

 由美はいつになく穏やかに笑う。

「だってさ、大好きな灯ちゃんと狭い空間で二人きりでしょ。暑くて頭がぼーっとしてくることも含めてさ、邪魔するものも何もないんだもん。まさに二人だけの、二人のための世界みたいじゃない。私の欲しいものが全てここにあるんだよ」

「たこ焼き器もあるし?」

 私は顎で由美の小脇を指す。

「確かに、たこ焼き器を抱えながら死んでいくってのはちょっとシュールだね」

「それに脱水症状や餓死で死ぬのはかなり辛いって聞くわよ。私は嫌だわ」

 私はきっぱりと否定しておくが、さらに「まあ由美と一緒というのは、嫌ではないけど」と一言付け足しておく。

「あっ、灯ちゃんがデレた」

 すると案の定、由美が嬉しそうに声をあげる。

「デレてないです」

「うひょー、私超ハッピーかも今。あらよっと」

 たこ焼き奉行が復活して小躍りを始めようとする。

「要するに私が言いたいのは」

 私は真面目に話を続ける。

「由美と過ごせる時間をみすみす捨てるのは御免って話よ」

 由美は急にたこ焼き器を床に置いて、こちらを真顔で見る。それからまた顔を綻ばせた。

「そっか、まあそれもそうだよね。私もさして破滅願望とかないし、どうせ死ぬならもっとしわしわのおばあちゃんになるまで灯ちゃんといちゃついたほうがお得感あるもんね。うん、そっちの方が絶対楽しいよ。うへへー」

 そう言って由美は私に近づくと、胸に飛び込んでじゃれついてくる。

「ちょっと、由美。暑いからやめなさい」

「いいじゃん、二人で汗まみれになろうよー。どうせ後で一緒に風呂入るわけだし」

「一緒じゃないわよ」

 私は転がるように由美を避けながら蹴り飛ばす。しかし由美は懲りずに再び私を捕まえようと追いかけてくる。

 その後、すっかり日が落ちて暗くなるまで、私たちは狭い屋根裏を転がるように駆けずり回っていた。もはや服のことなど気にせず、お互いバタバタと埃をたてながら走り回っていたため、二人ともほとんど下着姿の格好で汗と埃にまみれており、あとで助け出してくれた愛は私たちの姿を見てぎょっとしていた。

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