第6話 無人島

「旅行に出かけていた私たちは運悪く乗っていた豪華客船が沈没したせいで遭難し、無人島に流れ着きました」

 いつものように二人で私の部屋でダラダラしていると、由美がそんなことを口にした。

「はい。灯ちゃんなら、まずどうする?」

「そんないきなりどうすると言われても」

「無人島生活はもう始まっているんだよ。早くしないと日が暮れて寒い夜が来ちゃうからね」

 由美が折り畳み式の丸テーブルを叩いて、私を急かす。私はやむを得ず、本を閉じて少しばかり考えた。

「私の場合、そもそも無人島に流れ着けるまで生きられる気がしないわね。泳ぎは得意じゃないし」

「そこは運が良かったでいいじゃん。ほら、大きな革張りのトランクとかに掴まって」

「ああ、洋画なんかでよくあるやつね」

「トランクが無かったとしても、私がこの命を賭して灯ちゃんを助けるから、そこはもう気にしないで」

「非常時ぐらい自分の無事を優先しなさいよ」

「灯ちゃんがいない人生なんて生きる気ないもの」

 由美は真顔で言ってのける。私はとりあえず話を続ける。

「そうね。まず、私たちが何を持っているのかによって大きく行動が変わりそう。トランクに掴まってきたのであれば、中身が気になるわね」

「全部海に沈んで空っぽになっている」

「かなりハードな状況ね」

「まあ、何でもあったら無人島の意味ないし」

「遭難中に意味とか求める人はいないと思うけど」

「ちなみに私が最初にやるのは火起こしだね。乾いていた木片や枝、石なんかを集めるんだよ」

「意外と真面目な回答ね」

「意外も何も、適切な行動を選択しないと生きていけないでしょ。最初の数日が勝負だからね。そもそもサバイバルに必要な四大要素は、火、水、食料、家もしくは避難所であって、最優先は火なんだよ。雨が降ればいいけど、そうじゃなかったら岩か何かに溜まっている水を、飲むときには出来るだけ沸かして殺菌した方が良いの。海水は塩が多すぎるし危険だから」

 そこでようやく由美が暇を持て余して適当なことを言い始めたのではなく、このことを話したくて仕方なかったのだと気付く。今日、家に来てからずっと落ち着きがなかったが、それほど珍しいことでもないので私は放って読みかけの小説に集中していたのだが、どうやらそのせいだったらしい。

「何の影響?」

「いやあ、ちょっと前からネットで観ているドキュメンタリー番組なんだけどね。これが思いのほか面白くてさー。分かりやすくサバイバルの知識や知恵を説明しつつ、ドラマチックかつ自然な演出でふつふつと感動させられるんだよ。こう日々の生活のありがたさが身に沁みるといいますか。文明を築きあげてきた先人たちに敬意を表して、お供え物にお菓子を買ってきてあげたいぐらいだね」

 由美は神妙な顔で腕組みをしながら頷いている。

「どうせ自分で食べるんでしょ」

「それはまあ、捨てちゃったらもったいないから仕方なくね」

 由美は白い歯を見せる。

「そうねえ、でも確かにサバイバルの知識を身に付けておくことはいざというとき役に立つかもしれないわね。水難に限らず、色々な災害がある時代だから」

「バイオテロとか?」

「それはどちらかといえば世紀末な感じになりそうだけど」

「灯ちゃんに襲いかかるゾンビを私が次々と返り討ちにしていくの。それで私の雄姿に灯ちゃんが……ぐへへ」

「さすがにその流れはもう聞き飽きているでしょうね」

「誰が?」

 その質問に私は答えない。

「もちろん正しい知識を得るのは凄く重要なことだと思うけど、それを遂行するだけの体力も同じくらい必要不可欠でしょうね。火起こしなんてかなりの重労働でしょ」

「そうそう。そもそも木の棒や石、乾いた枝葉を集めて即席で用具を作らないといけないし、すぐに上手くいけばいいけど、たぶん私たちがやろうとしたらそれだけで一日が終わるかも。成功するとも限らないし」

「たとえ火が起こせたとしても、今度は消えてしまわないように気を付けないといけないわ」

「そうそう、これは住まいの話とも関係するけど、雨風のしのげる場所を確保することも大事になるわけ。丁度いい岩陰があればいいけど、無かった時には自分で作るしかない。そのドキュメンタリーでは、大きな葉っぱを折り重ねたものを折ったそれなりに丈夫な木の幹につけて屋根にしていたね。丁度三角柱を横に倒したみたいなシェルターになっていて」

「本当に本格的な話ね。まあ良いけど」

「とはいえ、私たちがそれをやるには相当時間もかかるだろうから、あまり現実的じゃないかな」

「無人島だと獣なんか怖いわね。ああ、でも動物は火には近寄ってこないのかしら」

 今さらながら、たとえ遭難した場所が無人島でなくても、考えることが山のようにあることに気付かされ、頭を捻る。

「よし。じゃあ灯ちゃんがその気になってきたところで、無人島ごっこをやるよ」

「無人島ごっことは」

 もちろんそんな遊びを聞いたこともなければやったこともない。ときどき、由美は本当に突拍子もないことを言い出す。

「今、私たちは漂流して無人島に流れ着きました。まず初めにどうしますか」

「さっきの続きなのね。でもそうね、まずは砂浜に大きな文字でSOSと木の枝か何かで書くことにするわ」

「なるほど。それは良い考えですね。では本当にそこに書きますか?」

「さっきから由美は何の役をやっているの」

「私はこのゲームのマスター、すなわち神とも形容できる存在です。私の言うことは絶対ですので、以後そのおつもりで」

 由美はすっかり良く分からない役に入り込んでいるらしい。私はやむなく頷いておく。

「じゃあ、それから私はどうしようかしら。とりあえず迷わないように目印をつけながら島の中を散策することにするわ」

「それは良い考えだと思います。では灯ちゃんさんにここで良いニュースを教えてあげましょう。この島はあまり大きくありませんが、自然豊かな上に岩に囲まれた池があります。しかも魚も泳いでいます」

「真水というわけね。じゃあそこで顔を洗うべきかしら」

「おっと、ここで魚が灯ちゃんの顔めがけて突撃。さあ、右に避ける? 左に避ける? それとも捕まえようとする?」

「なんかアクションゲームみたいになっているわね」

「はい、時間切れです。灯ちゃんの顔に魚が直撃。魚はヒレを振って、灯ちゃんをあざけりながら逃げていきました」

「なんか妙に腹立たしいわね」

「さらにここで雨が降ってきました。まだ小雨ですが、おそらく砂浜のSOSの文字は消えてしまうことでしょう。砂浜に戻りますか?」

「いえ、戻らないわ。今はこの雨をどうしのぐのか、そして雨水を活用するために何か器を作って貯めましょう。そうはいってもなかなか難しい気もするけど」

「ぴんぴろぴーん!」

「何?」

 突然由美が大きな声を出したので、私は驚いてびくりと身体を震わせる。

「雨の中、微かに金属が水をはじく音が聞こえます。そちらに向かってみますか。はいかいいえでお答えください。なお制限時間は二秒です」

「はい」

「朗報です。なんとその音は、小さな缶詰か何かの空き缶でした。どうやらこの島に流れ着いたもののようです」

「なるほど。人間の出したゴミというわけね。ということは人が住んでいる陸もしくは島も遠くないのかしら。それともここに漂流した人が昔いたとか」

 由美の顔を見るが、由美は何も言わない。どうやら私からの質問等には答えるつもりはないようだ。

「まあいいわ。それじゃあこの缶は持っていきましょう。とにかくどこか拠点を決めた方がいいかもしれないわね。出来れば池の近く、かつ雨がしのげる場所がいいのだけど」

「灯ちゃんのすぐそばに二つほどあります。池から海に繋がる川沿いの大きな岩の下。ここは地面がごつごつしています。もう一つは葉っぱの生い茂る大きな木の下、ここは床が固めの土ですがたまに葉っぱから雨が垂れてきます。それから先ほどの砂浜にもいくつか岩陰がありました」

「そうね。じゃあ川沿いの岩下にしましょうか。川のそばなら何か仕掛けて魚を捕まえられるかもしれないわ。もっともそれを食べるのは勇気のいることだし、簡単じゃないと思うけど」

「ところが雨がどんどん強くなっていったことで、川の水が増水し岩のあたりまで近づいています。さて、どうしますか」

「どうするも何も場所を変えるしかないわね」

「では移動するということですね」

「そうなるわね」

 結局、私は浜辺を拠点にすることにした。ここならいざというときに助けが来たり、近くに船が通りかかったときに気付いてもらいやすいと考えたからだ。意外にも由美の采配は優しく、火を起こすのに二日かかってしまったが、どうにかそれを乗り越えると、雨があがった後に魚が打ちあがっているなど幸運にも恵まれ、漂流してから二週間ぐらい経つ頃には、自分で仕掛けた罠(流れ着いた網を木の幹を剥いだもので補強し、それを枝に括りつけたもの)で採れた魚と良い匂いのする葉っぱを煮立てて作ったスープを食べることさえできた。安定したとまでは言わないがどうにか暮らしていけそうだと思えたほどだ。

 しかし一向に助けが来そうにないことがやはり気がかりであり、失望を抱いていた。この生活では、何より人と話す機会などない。寂しい気持ちを抱くのは当然のことであろう。そんなわけでわりと上手くいっていた、むしろ上手くいきすぎなぐらいの無人島での生活であったが、その反面で気は沈んでいった。

 そんなとき、それは起こってしまった。

 その日は、漂着した日と同じように雨が降っており、私は川に仕掛けた罠が流されてしまっていないか、もしくは何か獲物が引っかかっていないか確認しに来ていた。

「ぴろりーん、ぴろりーん。川岸から離れようとしたとき、うっかり足を滑らせて川にドボン! さて、どうしますか?」

 川の流れは速くなっており、すぐにでも岸に上がらなくてはいけない。だから私はすぐに戻ろうとしたのだが、そこで告げられる。

「なんと落ちた際に、足を挫いてしまい上手く泳ぐことができません」

「なんですって」

「まさに絶体絶命のピンチ。灯ちゃんの前には、藁と川岸に生えている木から伸びた枝があります。どちらにつかまりますか?」

「それはもう木の枝一択よ」

「しかしその木の枝に捕まった途端、その重さに耐えきれず折れてしまいました」

「えっ」

 私は驚き、慌てふためく。

「そして水かさはどんどん増していき、流れも速くなっています。灯ちゃんの身体は沈みつつあります。そして少し先は川が細くなっている代わりに大きな岩があります。ぶつかったらおそらく即死でしょう」

「これはさすがに助からないわね」

 私は予想以上に困難な状況に諦めかける。そもそも足を挫いていなくても、泳ぐのは得意ではない。諦めても仕方ないだろう。

「ここで灯ちゃんが取れる選択肢はたった二つだけです。諦めて目を閉じるか、まだもがき続けるか」

 それはほとんど意味のない二択であろう。どちらにしても助からないのだから、無駄に足掻き続ける意味なんてない。これまでは幸運に恵まれてきたこともあって、どうにか生きてこられたが、考えてみればこれはサバイバルなのだ。まさに生と死が隣り合わせにあるようなもので、ほんの少しの出来事が明暗を分け、時に取り返しのつかない事態になってしまう。そう、今のように。改めて私はサバイバルの大変さを知ると共に、絶望感を覚える。

「これ以上足掻いたところで意味なんて無いわよ。むしろ一人で遭難してきてよく頑張った方だと思うわ。それはもう十分すぎるほどね。寝心地の良いとはいえない地面で寝て、ときには島に生息している猛獣に遭遇しても息を潜めてどうにかやり過ごし、空き缶を川に落として失くしてしまっても代わりの容器を島中探してどうにか見つけ出した。これはもう運命、もしくは天命であり、定められた最期なのよ。豪華客船に乗ってしまったときから、いえ、生まれたときから私の一生がここで終わることもきっと決まっていたのね。私は私のことを誇りに思うわ。だけど出来ることならば、最期に自分が大切に思っている人たちと一言でも言葉が交わせたら良かったのだけれど」

 遠くなる意識の中で、私はぼんやりとそんなことを口にする。どんどん水かさは増していき、いよいよ私の頭もそこにのまれていく。全てを諦めて目を閉じようとしたその時、それが耳に入ってきた。

「灯ちゃん」

 それは私を呼ぶ声。しかし幻聴に過ぎないだろう。何故なら、ここには私の他に誰もいないのだから。

「灯ちゃん、灯ちゃん! 私だよ、聞こえている?」

 必死なその声に導かれるようにして、私は目を開けた。すると川岸には驚くことに由美の姿があった。

「諦めないで。これに掴まって」

 すると由美はロープを投げてくるのが見えた。私は無我夢中でじたばたともがきながらどうにかそのロープの先を掴む。

「もう大丈夫だよ、灯ちゃん。このロープは丈夫だし、今大きな木の幹に括りつけているから」

「どうしてここにいるの」

「灯ちゃんを助けに来たんだよ。私は世界中のどこにいても、いやこの世界にいなかったとしても必ず灯ちゃんを救い出すって、そう決めているから」

 そこで由美はどうにか踏ん張って幹にロープを括りつけると、ロープを引き始めた。私よりも少しだけ小さなその身体の一体どこにそんな力があるのかと思うほどにぐいぐいと引っ張られ、やがては岸までたどり着いた。

「とりあえず、すぐに川から離れよう。ここも安全じゃないから。歩ける?」

「いえ、足を挫いてしまっていて」

「じゃあ私が肩を貸してあげるから」

 そう言って由美はずぶ濡れになった私の肩に上着をかけ、私の右脇下に自分の身体を入れてから歩き出す。

「由美、その、なんとお礼をしたらいいか分からないわ。ありがとう」

「お礼なんていらないよ。灯ちゃんがいてくれることが私にとって何よりのご褒美だから」

「そう、由美の力強い声が私の挫けかけた心を奮い立たせてくれたのよ。本当に素敵だったわ」

「えへへ、そう言われるとなんだか照れちゃうよ」

「でも、私はここまでだわ」

「えっ」

 由美はその言葉に驚いている。しかし私はそのことを告げなくてはならない。

「どうも身体に力が入らないのよ。長く過酷なサバイバル生活に加えて冷たい水に浸かりすぎてしまったせいね」

「そんな、せっかく助けたのに。助けられたと思ったのに」

「サバイバルは一瞬の判断が命取り。でも、最期にあなたの声を聞けて、その温もりを感じることが出来て良かったわ。私、今とても幸せよ」

「そんな、ダメだよ。幸せはこれからなんだよ」

「ありがとう、由美」

 私は感謝の気持ちを胸に、由美の腕の中でゆっくりと目を閉じる。

「灯ちゃあああああん」

 由美の叫びが島中に響き渡る。

 その時、部屋のドアが二度ほどノックされたかと思うとそのまま開く。

「二人とも、もうすぐご飯の時間だけど何か食べに行かない。冷蔵庫の中、大したものないからさ」

 ドアを開けたのはノースリーブ姿の姉の愛であった。

「うーん、私はなんでもいいよ。灯ちゃんは?」

 由美が私に聞いてくる。

「私も特にこれといったものはないわね」

「じゃあ三人で駅前に行くか。ほら、新しく出来たレストランあったでしょ。お手頃な価格のわりに、和食が美味しいんだって」

「へえ、いいね。灯ちゃんもそれでいい?」

「良いわよ。今これといったものはないと言ったけど、和食と聞いたらなんだか魚が食べたくなってきたわ。無人島で捕った魚とどっちが美味しいのかしらね」

「えっ、無人島?」

 そこで愛は怪訝な顔をするが、私たちはそそくさと外に出るための支度をするのだった。

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