第17話 最期
ナノマシンの集合体として現れたそのアバター達は、奇妙に黒く沈んだ影のような体を揺らめかせながら距離を詰めてくる。もっとも手近な一体に、真琴が攻撃を仕掛けるが、真琴の神器の右腕は空を切り、確かに命中したはずの敵の神器はただ揺らめいただけであった。
『いわゆるNPCという奴だ。テストプレイ時に用意した素体だったが、こんな時にも役立つ』
まるで感情の伴わない守の声が、ちりちりと勘に障った。
しかし、こちらの攻撃が通用しないものは退けようがない。かろうじて空の神器の光輪が僅かに動きを止め、その間に真琴が攻撃を仕掛けて敵の動作を挫く。それでもまず数の差が歴然としていた。後から後から周囲に影が立ち上がり、やがて通路一杯に敵のアバターが満ちて行く。
『努力だけではどうしようもない事があるんだ、司』
淡々と守が告げる。
『俺もかつて、守りたい女が居た。しかしその頃の俺の力ではどうしようも無かったんだよ。お前にとってはそれが今と言う訳だ』
「本当に…面倒くさい男だね…」
轟音が響く。とっさに身を伏せた莉桜達四人の頭上を、光線が幾筋も走り敵のアバターを消し飛ばした。
「お待たせ…敵の攻略用のバッチを充てるのに手間取った…」
「ヒーローみてぇな登場の仕方をしやがるなぁ?」
亜久里が神器ヤマトタケルを纏ってその場に舞い降りるのだった。
「莉桜と乾は先に進んでくれ…真琴と空はこの場で僕の支援を頼む…」
「了解ぃ!」
「乾さん…任せました」
後に残した三人が、次々と湧いてくる敵の向こうにかすんで行った。
「莉桜さんを救えるのは、やっぱり乾さんだけです」
空の言葉が乾の鼓膜を微かに揺らした。
相変わらず”アグリノーツ”に干渉を受けているらしい莉桜に肩を貸しながら、二人はゆっくりと地下通路を進んで行った。周囲には等間隔で灯りがともされ、ぼんやりと暗がりを明かしている。やがてマップに示されたサーバルームを目前にして、莉桜が急に動きを止めた。
警戒する乾に、莉桜は大丈夫、と言うように弱く笑ってみせると、苦しそうに息を吐きながら乾から離れて立ちすくむ。
「ねえ、司…司は私に本当に優しくしてくれるよね」
「…? それが何…?」
「友達だって…守りたいって言ってくれて嬉しかった。本当に…。でも、司の一番は私じゃない」
『莉桜ちゃん、それは…』
通信を全て聞いていた美里が口を挟もうとしたが、その場の空気を通話だけで察し、言葉を切って押し黙る。
「私は…司の何…? ただのフレンド、ただのパーティメンバー、ただの友達…なの?」
『莉桜…君はいつも新しい感情を教えてくれるね…』
”アグリノーツ”の声が、今や乾や美里の耳にもはっきりと聞こえた。
『この感情は…嫉妬…いや、寂しさか…』
「莉桜。僕にとって君は、たった一人のかけがえのない人だ。それじゃいけない?」
「ごまかしてほしくないの…」
莉桜は拳を固め、構える。
「ちゃんと聞かせてほしい…」
「…解った」
乾もアバターを纏った時のように、生身で構える。そして、二人はゆっくりと近づき、互いの拳を相手の胸に差しだした。
互いの心臓の鼓動が、拳を通して相手に伝わる。
「この痛みの数だけ、君を好きになった。君が、特別だよ」
「私も」
やがて二人は、今度はただ並んで、サーバルームに踏み入って行った。
「なかなか面白い茶番だった」
男は、いつものように感情のまるで通わない青白い表情を彼らに向ける。
「だがな、司、莉桜。人間の感情なんてものは、こうやって電子機器にも再現可能な、実に陳腐なものだ。感情に身を委ねた人間は身を滅ぼす。俺もそれを身を持って知っている」
『僕は…君達二人の可能性の行き着く先を知りたい…』
AIが流暢な言葉で語りかける。
『僕を壊してくれ…君たちの手で…』
「司…」
「…解ってる」
守はなぜか身じろぎひとつしなかった。二人が中央のメインサーバに近づき、互いの手を重ねて触れるのをぼんやり眺めていた。
「さよなら、”アグリノーツ”」
『ありがとう…君達には悪い事をしたけれど、この数か月、楽しかった…』
二人の手が触れた場所から、美里がメインサーバの管理権限を奪い取って行く。
そして、”アグリノーツ”の声は徐々に小さく、遠く成って行き、やがてぶっつりと途切れた。
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