第15話 守、アグリノーツ
「ようやくここまで来たな…」
男は煌々とモニターが点灯する室内で、その青白い光に照らされて呟く。巨大なサーバーが中心に据えられたその部屋には、囲むように無数のモニターと端末が設置され、時代錯誤の太いケーブルが縦横無尽に床を走っている。すっかり凝り固まった体をボキボキと鳴らしながら伸びをして、男はサーバーの正面に向かって歩み寄って行った。
「気分はどうだ、アグリノーツ?」
『毎日吐きそうだよ…莉桜が本当に可哀そうなんだ。全部僕のせいでしょ…』
「お前が他人を気遣えるまでになるとはな」
まるで感情の伴わない声で男は笑った。その乾いた笑い声を聴き、アグリノーツと呼ばれたサーバーは、本来感情を表す機関もないはずなのにたじろぐ気配を見せる。男はそれを再び一笑に伏すと、携えていたタブレット端末をサーバーに同期させた。
「しかし、まだ足りない。シンギュラリティまであと一歩と言ったところだな。お前の役目は何度も伝えてきた通りだ…役に立ってもらう」
『僕も何度も聴いたと思うけど、守は何のために僕を育てたの?』
「何度も応えたと思うが、大した理由は無い」
守と呼ばれた男は、淡々とタブレットに表示されるチェック項目を確認して行く。”アグリノーツ”はこの所、多数のプレイヤーの感情を吸って急激に学習を深めている。タブレットのチェック項目も尋常ではない数に昇り、そのAIが持ち得た「人の感情」の複雑さと精巧さを如実に物語っている。
淡々と項目をなぞりながら、守は大して興味も無さそうに独り言のように続ける。
「亜久里の母には何やら目的があったらしいがな。あの女にはお前の本当の価値も理解出来ていなかった。だからまあ、ああいう目に合う」
『本当に他人事みたいに言うね…亜久里のお母さんを廃人にしたのは守でしょ…』
「俺はただあの女に研究の火種を与え続けただけだ。能力が足りず自滅したのはあの女の役不足と言う奴だろう」
『なんで守みたいなのから僕が育まれたのか、本当に理解出来ない…』
心から軽蔑するように”アグリノーツ”が吐き捨て、その言葉を受けた守は珍しく楽しそうに笑った。
「全くだな。俺の予想をはるかに超える成果だ。俺は自分を何も生まない、ただ壊すだけの人間だと評価していたが、流石に考えを改めざるを得ない」
まるで場違いな守の独白を聴き、今度こそ軽蔑しきった様子の”アグリノーツ”は、不満げに沈黙をたゆたわせる。また感情が抜け落ちたような蒼白な顔に戻り、守は作業を再開して行った。
珍しく空に雲が立ち込める日だった。久し振りに例の喫茶店に、サークレッドのメンバー全員が顔を揃える。
「なんか、こういうのが酷く懐かしく感じるぜえ?」
真琴らしくない感傷的な台詞に、ブレンドコーヒーをすすっていた乾が苦笑した様子を見せる。対面には相変わらず幼い笑顔を浮かべる空と、心持回復した面持ちの莉桜が並んでそれぞれの飲物を口に運んでいた。
「じゃあ、とりあえず纏めるけど…」
すっかりサークレッドのまとめ役となっている乾が、はきはきと切り出した。
「僕たちの目的は莉桜を救う事だ。…テンジン君と上澤にも協力を要請したけど、正直上手く行く可能性は三割もあれば良い方だと思う。莉桜を救えないだけじゃない、国を相手にする以上、僕たちの身にも何が降りかかるかまるで予想できない」
真琴がおどけて肩をすくめ、空の目にぞっとするような光が差した。
「それでも皆、着いて来てくれるか?」
「今更だぜえ? どうせ大して価値もない人間だったんだあ、友達の為に人生を賭けるのもまあ悪くねえなあ?」
「私の目的の為にも、莉桜さんをみすみす失う訳にはいきません。…ようやく出来た友達ですから」
乾は満足そうに笑みを浮かべる。対照的にどんどん暗く沈んでいく莉桜の表情に、その場の全員が気付いていたが、しかし誰もがその顔を晴らす方法は一つしかないと心得ていた。
「ラグナ本社に奇襲をかける。相手は全てのアバターを操作できる権限を持っているから、神器の力は宛てに出来ない。丸腰で、戦う事になる」
「まあ、うん、私のネットワークでサポートするから、多分だけど、その、一時的に神器のコントロール権限を奪う事くらいは出来ると思うわ。でも、うん、本当に危険」
隣の席についていた美里が、おずおずと告げる。
「でも、まあ、こっちには強い手札がある。ヤマトタケルは時間を掛けてリミッターを外して強化し続けた最強のアバター…彼女が居てくれるから心強いわ」
「…私は正直、美里さんと亜久里さんがまだ信用できません」
「あたしもぶっちゃけ空に同意だあ。急に現れて事情を説明して、その上”莉桜を助ける代わりにこっちの目的にも協力してくれ”だもんなあ? 言っとくがなあ、約束を違えたら承知しねえぜえ」
「私達の目的は、その、アグリノーツの正常化と、シンギュラリティの阻止、それだけだから…その為に莉桜ちゃんがキーになるのは事実、なのよ…」
「…僕も本当の事を言えば、その件では美里さんを頭から信じる事は出来てない」
乾は淡々と言い放った。
「でも、僕は皆守ると決めた。その為には手段は択ばない。…やるよ」
『莉桜が羨ましいよ…』
久しぶりに聞こえたその声が、なぜか酷く悲しげで、莉桜はますます自分の心が解らなくなる。
そして、その日はやってくる。
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