第三章 それぞれ
第11話 空、真琴
あれから一週間ほどが経つ。その後乾は今まで以上に莉桜の為に奔走するようになり、もっぱら情報収集に出ていてパーティの寄合には滅多に顔を出さない。当の莉桜も相当精神を病んでいるらしく、最近は部屋にこもりがちになっているようで、三日に一度くらい喫茶店に顔を出すがぽつりぽつりとこちらに返事を返すくらいで、めっきり寡黙になってしまっている。
彼女、空にしてみれば、こんな状況になるのは予想の遥か斜め上であった。
確かに莉桜からは何らかの可能性を感じた。それが自分の日常を吹き飛ばしてくれる事をどこかで望んでもいた。
しかし、ここまで込み入った展開になってくると、いかに凶悪な神堕ちと言われている空であってもいささか気苦労が絶えない。
今日も莉桜と乾から欠席の連絡があり、空は真琴と共にぶらぶらと狩場を散歩していた。
「なぁ、空」
「なんですか?」
「いや…あたしは鈍いし大雑把だからよく分かんねぇんだけどさぁ」
真琴は頭の後ろで組んだ腕をほどき、大きく伸びをして立ち止まる。
「あんた、乾となんかあったよなぁ? そもそもあの狩場でうろついてたのも何か目的があったんだろぉ?」
「…真琴さんはもっと周りを見てない人かと思ってました」
「大概失礼だよなぁ、空も?」
言葉とは裏腹にげらげらと大声で笑うと、つられるように立ち止まった空に、指で近くの橋を示す。
二人は橋の上に移動し、河川のキラキラ揺らめく水面を見るとはなしに見つめた。
「ほんとは誰にも話すつもりなかったんですけれどね、聞いて貰えます?」
返事は大して期待していない様子の空は、一句一句考えながら言葉をひねり出していく。
「私、学校でいじめられてたんです。正確には、今も」
空の通う中学は、優秀な人間の集う表向き進学校として名をはせていた。
空は元よりこんな勉強づくめの毎日など望んでいなかったし、自分の人生にそれほど高望みもしていない。小学校までの友人達とそれまで通りの日常を過ごす事を望んでいたが、しかし高級官僚として代々名門大学を経てきた両親や祖父母は、空に「それなりの」学校を出て自分たちと同じ優秀な人間となる事を強く求めていた。
結果として、空に許された自由時間は毎日一時間半の運動プログラムの時間だけであり、それ以外は学習時間や課題をこなす間以外も机に縛りつけられ、家庭教師につきっきりでレッスンを受ける毎日だった。
中学の他のクラスメイトも大体が同じような境遇であるらしく、皆、常に苛々していたしクラスの雰囲気は最初から最悪だった。
そして、いかにも当たり前のように、ひっそりといじめは始まったのである。
それは最初、気が付くと彼女の端末のメモ帳に落書きが書き込まれていたり、ログアウトする寸前に罵声を浴びせられると言った、まあ今思えば些細な、何でも無いちょっかいから幕を開けた。
それらの行為は徐々にエスカレートしていき、しかしそのクラスに知り合いもおらず、元々周囲に主張するのが苦手だった空は、ただいじめに耐え続けた。大体一日三時間程度の学習時間内しか、彼らに自分に手を出す機会はないのだ。自分が黙っていれば、いずれ高校に進学し、彼らとの繋がりも無くなり全てが解決する、はずだ。
その思いから、空は気が付くと自身の表情や声音を偽り、授業中もホームルーム中も、自宅で両親や祖父母と話す時ですら自分をつくろうようになっていった。
そんな折である、授業終了後、駆けるように近づいてきたクラスメイトが、
「空ちゃんってゲームに興味ある?」
といかにも上気しワクワクしていると言った風に話しかけてきたのは。
「彼女はアグリノーツのプレイヤーで、一ヶ月ほどこのゲームをプレイしてがっつりハマってしまったそうで、自分と一緒にプレイしてくれる”友人”を求めていました」
それから、空とその「友人」はアグリノーツ内でパーティを組み、毎日のように戦闘に明け暮れるようになっていった。空にとっては、鬱屈した日々の中、彼女と一緒に要る時間だけが本当に笑い、泣き、呆れる事の出来る時間であり、それは相手にとっても同じだったのだろう、あっという間に時間が過ぎて行く日々だった。
しかし、空の得たアバター「アマテラス」の能力はチート過ぎた。徐々に空は周囲を圧倒するようになって行き、次第に友人は口数も少なくなり、彼女にそっけない態度を取るようになっていった。
そして、「空ちゃんとプレイしててもつまんないよ」と言い残し、アグリノーツを去って行ったのである。
「まあ、それだけなんですけれど」
空はふっと天空を仰ぐ。自分の名の由来ともなったその虚空は、ぷかぷかとのんきに浮かぶ大量の雲を抱いて、今日も遥かに巨大な姿を悠々と波立たせる。全く、名前に本人がそうなってほしいと言う願いが込められているなど、なんという皮肉な話だろう。
「だから莉桜さんに興味を持ったのかもしれません。あの人は私に良く似てる」
「そうだなぁ…」
空の怒っているような泣いているような、奇妙な表情を浮かべる横顔をただ見つめていた真琴は、自分も倣うように天を見上げると、ぽつぽつと話し出す。
「まあ、あたしも似たようなもんだぁ」
真琴が小学校に上がる頃、母親が病気で亡くなった。元々体の弱い人であった。しかし心は強い人で、いつも家族の事を一歩先回りしては支え、導いてくれる人だった。
そんな人が居なくなった真琴の家庭には、徐々に亀裂が入り歪な影が差していった。
彼女が小学校高学年に差し掛かった当時、遺された家族三人分の食い扶持を務めていた父親が、思い詰めて自殺を図る。それは未遂に終わったが、もはや父親に今まで通り働けるだけの余力はなかった。
結果真琴は、当時高校に入学したばかりだった姉と二人三脚で家庭と父親を支えて行く事になる。
病床で「死にたい、死にたい」と繰り返す父親を看病するのがもっぱらの真琴の役目であり、姉は毎日自由時間に目一杯バイトのシフトを入れ、なんとか家計を回していた。家族みんなが限界なのははっきりしていた。しかし、誰にも状況を打開することなど出来なかった。
少しずつ少しずつ、真琴と姉は消耗して行った。
そんな日々が終わったのは、真琴が高校に上がった直後である。ある事業に手を出し財を成した親戚が、戯れに金を無心してくれるようになったのである。
しかし、今まで骨身を削って来た姉にとってそれは決してありがたい事では無かった。むしろ自分の努力を無にされているように感じたらしい。今まで以上にバイトにのめり込むようになり、大学まで進んではいたものの落第を繰り返していた。その頃徐々に回復していた父親も、そんな姉を見限ったのだろう、真琴ばかり可愛がった。
そして、彼女の家庭は修復不可能なまでに壊され、真琴は自身の不甲斐なさから強く「自分の成長」を望むようになる。そんなときに出会ったのがアグリノーツだった。
「まぁ、こんなクソゲーにハマり込む人間なんて、大体そんなもんだよなぁ?」
水面の水分を吸って心地よく冷えた風を受けながら、真琴はつぶやく。
「私達、このままじゃいけませんよね」
空の一言で静寂のとばりが降ろされ、二人はただ移ろいゆく雲の流れを延々眺めていた。
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