第10話 暗転

「ふむ…思った以上にヤバい状況かもしれないっスね」


 後日、ようやく落ち着いてきた莉桜と共に、サークレッドのメンバーはテンジンの元を訪れていた。テンジンたちの新たなたまり場として選ばれたそのバーは、昼間も酒を提供しているらしい、まだ日も高いというのに酔っぱらって大声で話す客であふれている。彼らにはこうした柄の悪さが逆に心地よいのかもしれない。


 テンジンは端末からホワイトボードアプリを呼び出すと、モニターを展開してそこにさらさらと図を示していく。


「まず、周知の事実っスけど、現在アグリノーツの基盤となっているAVRは、町中に散布されたナノマシンがアバターや戦闘描写を投影する事でなりたっていまス」


「その技術もラグナが開発に大きく関わってるんだっけ」


「乾さん、さスが良くご存じで」


 アプリに小さな丸を無数に描くと、テンジンはそこに「ナノマシン」と書き記した。おおよそ予想は出来たが、相当に字が汚い。


「さて、このナノマシンの構造でスが、基本として人体に直接信号を送り、神経系に埋め込まれた受信機に情報を投影する仕組みになっていまス。受信機は網膜や筋肉、鼓膜など、それはもう人体のあちこちに埋め込まれていまス」


「へぇ…でもそんな大層な手術受けた覚えがねえけどなぁ?」


「そこがこの技術のヤバい所っス。AVRが一般に流通し始めた当時、政府が主導して人間のDNAに計算式を描き込み、生まれながらに受信機が発生するよう、まあ人間を改造しちゃったわけでスね」


「あっ、それは社会の時間に習いました。その頃かなりの数の反対運動や暴動が起きたけど、警察ぐるみで無理やり鎮圧させて改造を強行したって」


「ハい。そのせいで今も自然派って呼ばれる方達からの風当たりは厳しいっス。総合病院に対しても年間何千件と、計算式を外してほしいっていう依頼があるらしいっス」


「で、それと私の頭に聞こえる声とどう関係があるの?」


 話が長引いてきた。若干苛立ち始める莉桜をまあまあと押しとどめると、テンジンはナノマシンの図の横に人をかたどっているらしい歪なイラストを描いて行く。


「ここからが本題っス。このナノマシンは、非常に細かい粒子であるため、呼吸によって人体に取り込まれて行きまス。本来なら胃や腸で消化されてしまうんでスが、莉桜さんは何らかの理由でこいつを人体中に留めてしまってるんでショう」


「…あっ」


「そういう訳っス。人体に信号を発する物が、その人体の中に蓄積シていく。つまり、莉桜さんは通常より感度の高い受信媒体となっている可能性がありまス」


 その場の面々の顔がさっと青ざめる。カタカタと小さく震えだした莉桜の肩に、乾がそっと手を置いた。


 テンジンがそれから説明した内容は大体こうだ。受信感度の高くなった莉桜の身体は、「どこからか」「何者か」の意思を受信し、その通りに動いてしまう触媒となっている。そのせいで声が直接頭に聞こえたり、体を乗っ取られるような現象が起きているのだろう。

 ナノマシンを体外に排出できればこの現象もある程度緩和されるはずであるが、しかし莉桜の体質が変わらない限り外に出るたびにナノマシンを取り込む事となり、ほぼほぼいたちごっこである。それに、排出と簡単には言うが、ナノマシンが体のどこにどんな形で蓄積されているかまるで分からない。


 そしてより悪い予測が立つ。こんな現象が起きている事を、国やラグナが放置している理由、である。


 件のAVRルームが警察によって封鎖され、その上ネットニュースに流れる報道まで規制されていた。明らかに国が関与して、何かを隠し、その上で何かを「行おうとしている」。


 手を口に当て、土気色の顔色をして冷や汗を流す莉桜を見やり、乾は眉を寄せる。


「テンジン君、一旦中断しよう。少し外の空気を吸ったほうが良い」


「大丈夫…それで、テンジン君、肝心なとこを教えて貰ってないけど…」


「そうっスね、”どこから””誰が”その信号を送っているか、でスが」


 テンジンはアプリの画面を閉じ、少し思案してから口を開いた。


「こいつは今までの話より更に推測っスけど…その声は”シンギュラリティ”って言ったんスよね? だとすると、考えられるのは…」


 アグリノーツアプリのヘルプを呼び出し、表示された文字をなぞり、ある項目をとんとん、と指し示す。


「勝敗の”戦略値”はAIによって判定サれる…このAIが自我を持った、とするのが妥当っスね」




 昼間なのに真っ暗な部屋で、彼女はキーボードを叩いていた。目の前に並ぶモニターには、びっしりとアルファベットと数字が並び、しかもそれらは生き物のように細かく変動し続けている。


「ああ、うん、ほんとにね、許せないわね」


 ぶつぶつと独り言をつぶやきながらモニターを見つめる彼女の耳に掛かったヘッドフォンから、やかましいコール音がした。手元のキーを叩いて通話を開始する。


「もしもし、亜久里あぐりちゃん、そっちはあの、どんな感じ?」


「うん…乾達、ある程度事実に辿り着いたみたいだね…」


「そう…ああ、本当に、司君を巻き込みたくはなかったんだけど、ね」


「それは美里さんの私情でしょ…」


 その言葉に、乾美里は一瞬感情が昂り表情を崩したが、すぐにいつものような気の弱そうな顔に戻る。


「そうだけど、うん、まあ、でも、亜久里ちゃんなら良い様にしてくれるよね」


「まあ…。僕が動いてる理由も大概私情だからね…」


「じゃあ、そうね、そういう訳で、引き続き監視を続けてくれる? こっちでも追いかけるけど」


「骨が折れるね…」


 通話の相手は感情の読めない声で呟いた。


「三位のヤマトタケルともなると忙しいったらないよ…」


「まあ、うん、頑張って」


 投げやりに言って通話を切断すると、美里は椅子の上でぐっと伸びをした。あの自分よりも気の弱いはずの義弟が、この所随分派手に動いている。

 これはいよいよアグリノーツの展開も煮詰まって来ているかもしれない。


 美里はカーテンを引いた窓の向こうに遠く思いを馳せ、一旦休憩するかと部屋を出て行った。

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