第7話 正体
今日は強いビル風が吹いている。しかし、少女はその風をものともせずにトントンとリズミカルに歩を進めていた。歩みの先には今日の獲物がいる。ある伝手の情報によれば、今回の獲物もポイント数が残り少ない筈だ。
「そろそろ詰みですね」
少女は心から楽しげに囁くと、追い詰められガチガチと歯の根を振るわせる相手プレイヤーにゆっくりと近づいた。相手の心臓部に手をかざし、その手を思いっきり突き出す。
「えいっ」
武器化した手がアバターの心臓部を貫き、相手がびくりと身を震わせる。そのアバターがちりちりと風に溶けて行った。
『GAME OVER!!』
「頂いた神器、大切に使いますね」
少女は艶やかに相手に向かってほほ笑んだ。今しがたアバターを奪われたプレイヤーががっくりとうなだれる。
この光景を何度見て来ただろう。
初めの頃こそ罪悪感を覚えたが、いつの間にかこうすることが当たり前のようになっていった。だって、強い生き物が弱い生き物を喰らうのは当然の自然の理だ。自分には弱者を喰らう権利と、そして義務がある。
「やっぱり君がそうだったか、空」
最近よく聴くようになった声がして、空と呼ばれた少女はびくりと身を震わせた。しかし声のほうに振り向く頃には、その顔にはおよそ歳に似つかわしくないなまめかしい笑顔が浮かんでいた。
「私もそろそろバレる頃だと思ってました。テンジンさんに聴いてきたんでしょう? 日ノ本さん」
「やっぱり僕の正体を知っていて近づいてきたんだね」
声の主、乾は、空にゆっくりと歩み寄りながらアバターをロードする。霧のような細かいナノマシン粒子がポリゴンを映し出しながら彼の身体を覆い、アバターを形成していった。
「で、何が目的なの?」
「乾さんならおおよそ検討はついてるんじゃないですか?」
「まあ、幾つか予想は立てた。だけど本質が解らない」
「なるほど?」
「君の目的は最初僕だった、だけど今は莉桜を狙ってる…でしょ?」
「正解です」
空の背後に、いつの間にか光輪型の神器が出現していた。乾は慎重に距離を測る。空の神器「アマテラス」は、その光輪に触れた者の動きを一定時間制限する事が出来る。しかも相手は数多くのプレイヤーのアバターを狩って来た生粋の神堕ちだ。その神器の効力がどれだけ強まっているか、テンジンに得た情報からもおおよその規模の予期くらいしか出来なかった。
一定距離近づけばほぼアウトだと思ったほうが良い。
「あの近辺に乾さんが潜んでいるのは目撃証言を拾い集めてある程度分かっていました。だからしばらくあの狩場付近であなたを探していたんです」
「熱烈なファンかな、恐縮だね」
「…でも、ここ数日乾さん達と関わって来てはっきりしました」
空がぞっとするような迫力を放つ。顔が真っ黒に沈んで見えるほどの凄まじい殺気だ。
「莉桜さんのほうが圧倒的に”面白い”。乾さんもあの人に牙を折られたんでしょう?」
「正しい気もするし、間違っている気もするな」
「まあ、あなたの事はもうどうでも良いんです」
アマテラスがふわりと舞うようにこちらに向かって跳ぶ。
「もうあなたは私の敵にならないですから」
「…そうだね」
乾も瞬時に反応して地を蹴った。アマテラスの光輪が見る間に拡散し、周囲二メートルほどにまばゆい光を散らす。
「それが君の間合いか」
「だったらどうなんです?」
「そうだな…」
乾の姿がふっと消える。
気が付くと乾の神器、ビシャモンテンが、その右腕の槍を二メートル以上伸ばし、アマテラスの首筋に突き付けていた。
「僕の勝ちだ」
「なるほど、それがビシャモンテンさんの奥の手ですか。だけど…」
空が囁くと同時、光輪が一回りその版図を拡大する。
「勝ったのは私ですね」
これは避けられなかった。ビシャモンテンがアマテラスの光輪に触れ、ぴたりと動きを止める。突きつけられていた槍の狙いを丁寧に外すと、空はゆっくりと乾に歩み寄って行った。
「奥の手は最初に出したほうが負けるんです。簡単な理屈ですよね?」
「なるほど…確かに君のアバターは強い」
これはもう会話しか出来ないな。およそすぐに自分のアバターに見切りをつけた乾は、もう少し情報を引き出す事にした。会話を繋げるため、頭を回し始める。
「でも、莉桜の強さの源はアバターの強弱じゃない。君も解ってるだろ?」
「そうですね…でなければ乾さんが連敗するはずがないですし」
乾のすぐ目の前に立つと、空は軽く乾の心臓部に手をかざす。
「まあでも、それを確かめるのが私の目的なので。乾さんをここでゲームオーバーにする気はありません。莉桜さんに警戒されたくないですから」
乾に軽く触れる。それだけで乾のアバターに亀裂が入り、端末が空の勝利を告げた。乾はアバターが焼失したのを確認して、じりじりと後ずさる。
「これは警告です。黙っていつも通り腑抜けていて下さい。私の目的を邪魔しなければ、みなさんを悪い様にはしません」
「考えておくよ…」
「賢明な判断をして下さる事を願ってますよ」
またなまめかしく笑った空は、とんとん、と地を蹴るといずこかに去って行った。
どっと汗が吹きだし、乾はよろりと傍らの建物に寄りかかった。
あれは本物の化け物だ。プレッシャーが、いつだったか三位の「ヤマトタケル」から受けた物に良く似ている。
「さて、僕になにが出来るかな…」
意外と自分もあきらめが悪いな、と自嘲気味に笑った乾は、自らに喝を入れてからその場を離れた。
『また一つ命が消えた…』
「…何?」
いつもの声がして、莉桜は反射的に周囲を見回していた。
模擬戦を終え、すっかりサークレッドの拠点となっている例の喫茶店に移動していたが、乾も空も一向に帰ってこない。理由のわからない胸騒ぎがした。
「どしたぁ、莉桜?」
「…ううん、なんか嫌な予感がして」
「ふぅん? まああんたはリーダーとして苦労が絶えねぇからなぁ、乾も言ってたけど疲れてるんだろうよぉ?」
「それだけだと良いんだけど…」
よく磨かれたテーブルに移る自分の顔が、まるでいつも鏡でみる自分の顔では無い気がして、一層胸のざわめきを掻きたてる。そこに覆いかぶさるように、また声がした。
『…シンギュラリティが始まる…』
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