第二章 シンギュラリティ

第6話 情報屋

『君は…君は、誰なの…?』


 その日も莉桜は例の声で眠りを破られて目を覚ました。カーテン越しに朝の陽ざしが差しており、もはや人間以外の生き物が住める環境では無くなったはずだが、それでもたくましく生きる野鳥たちのさえずりが聞こえてくる。

 びっしょりと汗を掻いた額を軽く拭うと、彼女は溜息をついて何度か目を瞬いた。今日も目覚めが最悪である。


 あれから毎日のように、気分が沈んだり眠りに落ちたりするとあの声が聞こえるようになっていた。どうやら意識の隙間を突いてこちらに語りかけてきているらしい。しかしその正体も目的もまるで分からず、自分の精神の乱れから来る幻聴である可能性もまだまだ捨てきれない。おかげでこの所眠りが浅く、毎晩七、八時間寝てもなかなか疲れが取れなかった。

 自然、授業中の居眠りも増え、しかしその度に声が聞こえて起こされる有り様である。なかなかに辛い日々だ。


 それでも、サークレッドのメンバーと共にアグリノーツをプレイしている間は何もかも忘れてゲームに没頭できた。乾らと会話を交わすだけで十分に楽しかったが、今はアグリノーツと言う共通の話題がある。ワイワイと大人数で同じ趣味にいそしむと言う事がこれほど生活にハリを与えてくれるとは思っていなかった。


 今日も朝九時から十二時まで、三時間は未成年に定められた学習時間となっている。時計を見ると七時を少し回った所だ。まだ余裕で間に合う。とりあえず歯を磨くかと体を起こした。




 昼下がり、いつもの喫茶店に赴くと、乾と真琴が手を振った。空の姿が見えない。いぶかしがりながらも手を振りかえした莉桜は、自分がこんな仕草を平然と出来るようになっている事に心中驚きながらも、二人が座る席に近づく。


「おはよう、莉桜」


「おーっすおーっす」


「おはよう。空はどうしたの? 遅刻?」


「遅れてきたリーダーがよく言うよなぁ?」


 いつものように軽口をたたきながら、真琴が端末を取り出して莉桜の視線に応えた。


「ほれ。あたしに直接メールがきたぜぇ。今日は別の狩場に行ってみるんだとさぁ」


「へえ…あの子も大概一人が好きだね」


「おま言うぅ」


 げらげらと笑う真琴を見ていると、こちらも元気を貰えるようだった。


「さて、今日はどうする? また模擬戦でもやる?」


「あ、個人的に行きたいとこがあるんだけど」


 乾が遠慮がちに手を上げた。

 普段は流されるままの乾が主張など、珍しい事もあるものだ。目を丸くして顔を見合わせる莉桜と真琴であった。

 ひとまず支払いを済ませて喫茶店を出ると、三人は乾の先導で街路をてくてくと歩いて行った。街中では、今までのようにアグリノーツのプレイヤーに遭遇する事もままあるが、しかしアバターを纏っていなければ戦闘の意思なしと見られてそれほど強引な勝負は挑まれない。途中何度か戦闘中のプレイヤーを見とめたが、巻き込まれる事はなかった。


 十五分程歩いたところで、乾は立ち止まった。


「ここだよ」


「…?」


「何もねえじゃねえかぁ」


 そこは路地裏の奥まった所に出来た空き地であり、何か建物が建つはずだったのであろう、資材が置かれたままになっているが、工事中の看板も無く重機や作業員の姿も無い。乾はちょっと謎めいた笑みを漏らすと、端末を起動してどこかにコールする。


「乾だよ。開けてくれ」


 その声と共に、機械が起動するような甲高い音がして、はっとする間に空き地に小さな小屋が出現していた。


「…! AVRルーム!」


「そうだよ。ここに、というかこの場所にたむろしてる情報屋に用があるんだ」


「はぁー…こんな時代錯誤のものが残ってるとはなぁ?」


 ひたすら感心する女性陣をよそに、慣れた様子で扉を潜ると、乾はバーのような内装の室内奥にあるカウンターに向かって行った。ルームが出現する前には解らなかったが、何人か先客がいる。それも、ほとんどがアグリノーツのプレイヤーである事が纏う雰囲気でわかった。明らかにこちらに殺気を向けているのである。

 乾はカウンター席に着く小柄な男の肩を叩いた。


「や、久し振り」


「…? あっ、乾さんじゃねえっスか。ご無沙汰っスねえ」


 サングラス型のメガネを掛けたその男は、メガネ越しにもわかる鋭い目線を乾に向けると、けっけっ、と独特の笑いを漏らした。


「こちら、情報屋でオタクでゲイでロリコンのテンジン君」


「お姉さん方、お初っス」


「いや、情報量が多過ぎて訳わかんないんだけど…」


「ゲイでロリコンってどういうことだぁ?」


「初心な反応良いッスねえ」


 けっけっと笑ったテンジンは、端末を取り出すとモニターを展開してこちらにかざした。いかにも怪しい角度で取られた少女たちの写真が並んでいる。


「あっしはロリは観賞用と決めてるんス。手は出さねえっスよ、犯罪っスからね。あと、恋愛対象は男なんで」


 よく分からない頭痛を覚え始める莉桜をよそに、乾は端末から電子マネーの項目を呼び出すと、驚くほどの額をどこかに振り込んだ。


「今日は久々に情報を買いに来たんだ」


「なんで空が居ない時にしたんだぁ?」


「いや、そりゃ空を守るためでしょ…あの子可愛いし、その、ロリだから…」


「まあそれもあるんだけどね」


 言葉を濁した乾は、テンジンに何事か耳打ちする。テンジンは大きくうなずいて、また端末を素早い手つきで操作した。


「そう来る頃だと思ってたっス。端末にファイル送っておきましたから、またお手すきの時に見てください」


「分かった、助かるよ」


「こっちの台詞っスよ、またごひいきにしてほしいっス。お姉さん方も何かありましたらここに来て下さいね、大体いまスんで」


「はあ…」


「面白い奴でしょ、これでなかなか顔も広いから、二人も仲良くしといて損はないと思うよ」


「仲良くはしたくねえなぁ?」


 ルームを出ると、さっそく先程送信されてきたデータを確かめているのだろう、端末のモニターを真剣な顔で見つめた乾は、小さく舌打ちした。


「やっぱりか。何が目的なんだ…?」


「どうしたの?」


「…いや、ちょっと確かめなきゃいけない事が出来た、僕はこれで失礼するよ」


「今日は随分忙しないなぁ、乾?」


「じゃあ、まあ今日も私達二人で模擬戦やろうか」


 いつになく険しい表情の乾と解れて、またいつもの狩場へと歩いていく真琴と莉桜であった。

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