第2話 本気

 文科省の定めた学習時間後は、毎日一時間半の運動プログラムである。莉桜は薄い布のような金属で出来たアシストスーツを素肌に纏い、その上からジャージを羽織って鏡の前に立った。プログラム中はアグリノーツのアバターを身に着けているとは言え、乾という一応ではあっても男子の前に立つのだ、自分の身なりはそれなりに気になる。


 運動プログラムの内容は国民それぞれにある程度任されており、筋トレやランニングなどの昔ながらのメニューをこなす者、カイロプラクティックを取り入れたヨガやエアロビクスにいそしむ者、莉桜のようにゲームで汗を流す者、様々である。

 ただ、単に健康のためだけに運動を習慣化するという事がことさら難しいために、よほど真面目でなければ彼女と同じくゲームを用いた運動メニューを楽しむ人間が多い。現在ではAVRを用いたeスポーツフェスティバルなども開催されるほどで、この界隈はなかなかに賑わっている。


 鏡に映る自分の像を眺め、すぐに乱れるのだがそれでも髪をある程度整え、制汗剤を顔や手に吹き付けてから家を出た。




「あ、おはよう」


 いつもの狩場に赴くと、相も変わらず腑抜けた顔の乾が手を振った。もう昼下がりだというのにおはようもないではないか、と当初は思ったものの、それもすっかりルーティンになってしまっていて、莉桜も「おはよう」と挨拶を返す。

 二人、携帯端末を取り出しアグリノーツのアプリを起動する。


「じゃあ始めようか。連敗阻止なるかなー?」


「くっ…」


 悔し気に唇を噛んだ乾は、しかしいつになく鋭い目線を宙に向けていた。やがて口を開く。


「…今日は模擬戦じゃなくてランク戦にしたんだけど」


「ポイントのやり取りアリにするの? 本気?」


「僕もいつまでも莉桜に甘く見られているのは嫌なんだ」


 彼の口調は不思議と熱を帯びていた。


「強くなりたい」


「…そう。分かった」


 莉桜は何かくすぐったい気持ちになりながらも、自分も気が引き締められる思いがした。アプリからランクマッチバトルの項目を呼び出す。


「手加減はできないからね」


「うん、勝つ気で行くよ」


「イイね」


『神器ロード中…』


 二人の体に霧状のポリゴンが纏わりつき、アバターの形を形成していく。


『GAME START!!』


 電子音が高らかに告げると同時、二人は超人的な脚力で地を蹴った。周囲の建物の死角を利用し、互いの間合いを測る。力量も戦略も知り尽くした者同士、一撃目が勝負を分けるだろう。そのため自分のフィールドに相手を誘い込もうとしていた。




 アグリノーツのバトルによるポイント移動には四つの判定基準がある。「ダメージ」「コンボ数」「勝敗」の三つに加え、最も大きな比重を持つ「戦略値」である。

 戦略値とは、いかに相手の反撃を封殺したか、いかにトリッキーな戦術で戦ったか、地形や天候をいかに利用したか、など、戦略にまつわるあらゆる観点からAIが判定して導き出す、いわば芸術点となる。この値がポイント移動のほとんどを決定するため、純粋な勝敗よりも戦略値が勝負を分けることがままある。

 この戦略値の概念がゲームをより面白いものにしているのだ。


 消耗戦に強い莉桜のバランス型アバター「スサノオ」は、敵を捉えさえすれば圧倒的に有利に戦闘を進める事が出来る。その為には全方位から襲ってくるだろう相手を着実に視界に入れる必要がある。莉桜はビルの壁面を蹴って跳躍し、屋上に躍り出た。これは無論「誘い」である。

 スピード重視のピーキーな能力値を持つ乾のアバターの名は「ビシャモンテン」。申し分ない攻撃力をも備えている代わり、消耗が激しい神器だ。ゆえに、乾は急戦を選ばざるを得ない。つまり、莉桜が拓けた場所で粘れば彼は必ずその視野内に姿を現すのだ。

 狙い通りと言うべきか、屋上に出て間もなく、背後でカンッという鋭い音がする。


 捉えた。


 反射的に音の方向に左手の槍に似た装甲を突き刺す。しかし手応えは無く、そこには空になった空き缶が跳ねるように転がるのみであった。

 …囮か。

 しかし狙いが見え見えである。勘で後方に盾を構えると、そこに鈍い衝撃があって、攻撃を繰り出していた乾が「あっ」と声を上げた。その方向に向かいそのまま盾を押し出す。体勢を崩された乾のアバターがぐらりと空中で足場を失くす、その瞬間に槍で貫く。


『GAME SET!!』


 槍は過たずビシャモンテンの心臓部を貫き、またいつものようにアバターが霧となって霧散する。乾はがっくりとその場に膝をついた。


「はは…やっぱり強いな。莉桜は…」


「途中までは良かったんだけど、詰めが甘かったね」


 気遣った莉桜の言葉すら届いていないように青い顔でうなだれる乾。さすがに可哀そうに成って来て、莉桜が「あの、このポイント返そうか」と言いかけた時であった。ぞくりと背筋に冷たいものが触れる気配と共に、頭の中に声が響く。


『誰か…誰か助けて…』


 はっとして周囲を見回した莉桜の目に移ったのは、華奢なアバターで街路を抜けて行く幼い少女の姿であった。その後ろに、巨大な腕を振り回しながら接近する別のプレイヤーのアバターが見える。


「莉桜?」


「追われてる…あの子の声…?」


「どうしたの」


「…助けなきゃ」


 スサノオのアバターを身に纏ったまま、莉桜は少女の元に向かって一直線に跳んでいた。

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