平成三十一年二月 夜(上)
ラブホテルで女の子がシャワーを浴びているのを待つ男の子の心情を答えなさいという問題なら、田中君でも解答用紙を埋めてくれるだろう。
「お待たせ」
「長かったな……」
「待ち遠しいからそう感じただけでしょう」
いや、実際に長かったと思う。バスタブが広くて楽しいからつい遊んでしまった。
もちろん、念入りに洗ったけどね。
「なんだか豊橋さんはいつも通りだね」
そういう田中君は下校するときからずっとカチンコチン。こんな田中君を見るのは初めてで、かわいいって思ってしまった。
「いつも通りなら……えっ、エッチの誘いになんて乗らないよ」
「ぷっ」
「なんでそこで笑う!?」
いや、わかってる。さすがに今のは恥ずかしさを隠しきれていなかった。
「恥ずかしがってエッチって言うの、ちょっとかわいいなって」
「馬鹿にするならもう言いません」
「ごめんって」
田中君の手がバスローブ越しで肩に触れた。
「嫌じゃない?」
「大丈夫。なんだったら――」
自分の気持ちに素直になってみよう。ここはそういう場所だ。
「ぎゅっ、てしてみてほしい」
田中君の胸に身を預ける。彼の手が背中に回るまで、少し時間があるように感じたのは私の感覚だけだろうか。
体の温かさが伝わる。心臓の音が伝わる。ハグってすごく心地良い。
「いつもありがとう、豊橋さん」
「どうしたの急に」
「普段あまり言えてなかったなって」
田中君にとって私は何なのだろう。
今まで考えないようにしていた問いがこの瞬間になって湧いてきてしまった。
「一つだけ聞かせてほしいんだけど」
これはうまくないやり方だな。姉さんに言ったら呆れられそうだ。
「田中君って女の子の友達そこそこいるでしょ」
「……いたっけ?」
「そこは誤魔化さなくていい」
今ここでこんなことを聞いたって、答えは一つしかないだろうに。
「もし、私以外の女の子からエッチに誘われたらさ……乗ってた?」
たとえそれが本心であろうが嘘であろうが。
「乗らないね」
「そこは断言できるんだ」
「まぁ、ここで誰でも良かったっていう男はいないと思うけどな」
ふふっ、そうだよね。あなたはそういうことをこの場で言えちゃう人だ。
「じゃぁ、こっちからも一つだけ質問」
「はい」
「……初めて?」
「そうだけど」
男の子って気にするよね、それ。私は……いや、気になるな、田中君が初めてかどうか。
「じゃぁ」
「質問は一つまでです」
「関連質問! ……僕で良かったの?」
「ぷっ」
あぁもう、この人も下手だ。この期に及んで良くないって言うわけないじゃない。
国語の点数は私の方が上なんだ。ここでも一枚上を行ってみせましょう。
「助詞が間違ってるから訂正するね。――あなた『が』良かったの」
…………。
……。
「ごめん。やっぱ、恥ずかしい、今のは」
胸にうずめている顔を心持ち下に向けた。
でも、口に出したおかげか、次に進む決心ができた気がする。
「次行こっか」
生まれたままの姿になって、そして、私から田中君の手を引いてベッドに誘った。私が横たわると、ぽすん、という音が聞こえた。
「私ね、将来は学校の先生になりたいんだ」
高校に入ってもうすぐ一年。その間で固まってきた夢を私は口にした。
「いいじゃん。豊橋先生」
「ふふっ、それなら最初の教え子にはもっと頑張ってもらわないと」
最初の教え子が――田中君が最高の結果を残したとき、彼は東京へと旅立つ。そしてそのままこの国を見下ろす、光る高い場所へ。
そう遠くない未来に、私はこの
ちくりと胸が痛む。
あぁ、そうか。だから私は考えないようにしていたのか。どうにもならない、この夕顔の気持ちを。
「んっ」
澱んだ思考は覆いかぶさるように唇を塞がれたことによって遮られた。
何も考えられずにそのまま彼を受け入れる。舌が触れあった気がする。
視界がぼやけているのは少し目が潤んでいるからだろう。酸素を吸って思考から先に整える。
「ごめん」
「…………」
「豊橋さんが急に寂しそうな顔をしたから……」
ポーカーフェイスはかっこいいなと思うけど、残念ながら私は顔に出やすい女みたい。
「今のファーストキスだったんだけど」
「それは僕もだけどな」
それなら謝らないといけないのは私だ。
「ごめんなさい。あなたが嫌だとか、そういうのじゃないから」
「それは……今話せること?」
「……時間をくれると嬉しいかな」
寂しい顔を見てキスしてくれた、だとか。
理由を深追いせずに逃げ道を用意してくれた、だとか。
田中君のやることなすことが今は全部高評価に繋がってしまっている。
「わかった。だったら……今は僕のことだけを考えて」
「うんっ……」
田中君の手が、小ぶりだとしか言いようがない私の乳房に触れる。
「ごめん」
「なんで豊橋さんが謝るの?」
「揉むほどない乳でごめんなさい」
結局、男は巨乳が好きなんだ。ホームランが出て点数がたくさん入る巨人が好きなんだ。贔屓が貧打のチームの貧乳な女で悪かったね。
「大きさは関係ないと思うけど……ごめん、これ、豊橋さんそんなに気持ちよくなさそうだね」
「あ、いや、田中君の好きなようにやってくれたらいいけど」
「そう? じゃぁ」
田中君は顔を下げ……そのまま私の右胸に口をつける。
私、こんなに敏感だったっけ? いや、そうじゃないな、クラスメイトが赤ちゃんのように吸いているこの状況がどこか背徳的で興奮させるんだ。
もっと、田中君に触れられたいと思ってしまった。
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