第八話 集う学生たち
エンミュール奪還から数日後のこと。城内ではヨーゼフの叙任式が行われました。といっても既に彼は辺境伯の爵位を伯父上から継いでいますので、あくまで形式的なものです。
ですが戦火で荒廃してしまったエンミュールの地に、かつての主が戻ってきたことを知らしめるのには絶好の機会でした。西方都オルレンラントからの支援物資も振る舞われ、民たちは新たな辺境伯の帰還を諸手を挙げて喜んでいました。
当の本人のヨーゼフはというと、絶え間なく続いた祝典と山のように積まれた書類の束にすっかり疲れ切ってしまっているようです。わたしもエンミュールの人間として、微力ながらお手伝いをしています。
「戦後処理というのは大変ですね、姉さん。猫の手も借りたいぐらいですよ」
「オルレンラントへ逃れていた者を呼び戻してはいるのですけど。流石に今すぐ、というわけにはいきませんね」
「えー、これは領民の嘆願書だな。物資も足りないし、バスティアン様になんとかしてもらうしかないなあ」
エンミュールにはとにかく不足しているものが多すぎました。人材も、物資も、もちろんお金も。これでは領地の経営が安定するのはいつになるのか分かったものではありません。
それから、最も優先すべきこととして、エンミュールの地を守る軍を早急に組織する必要がありました。
「またいつリガリア軍が攻めてくるか分からないし、軍備も充実させないと。今回のアルレーン軍もいつまで頼りにしていいものか」
「かつてのエンミュールの兵士たちも、他の貴族のもとに仕えてしまっていると聞きますし。なかなか難しいですね」
そう、ここはまだプロシアント帝国の前線なのです。明日にでもまた、リガリア軍が攻めてきて戦いが始まってしまう可能性があるのでした。
「例えば、傭兵団を直属にするのはどうでしょう。バスティアン様もそうやってギドさんを雇ったと聞いていますよ」
「傭兵団といえば、キーレのところですかね。あいつのとこの傭兵団が来てくれれば心強いんですが」
「たしかテロルランドから来ていたはずですから、難しいかもしれませんね」
「ただ、あいにく他につてがないのも事実なんです。ダメでもともと、使いをやってみることにします」
そう言うと、ヨーゼフはさっそく書状を書き始めました。確かにキーレが来てくれれば頼もしいことこの上ないのですが、傭兵団ごととなると話は難しくなってきます。
そしてヨーゼフも無理にキーレを呼び戻すのを躊躇っているようでした。傭兵団でようやく安住の場を見つけたであろうキーレを、これ以上こちらの都合で動かしたくないのは、わたしも同じです。
もちろん、本人が来たいと言ってくれるのならそれはとても喜ばしいことではあるのですが。
事務処理を手伝ってくれる文官の方と書類の山に向かっているうちに、あっという間に一日は終わってしまいました。
◇
軍の動きも落ち着いたところで、今日は久しぶりに士官学校生が集合することになっています。バスティアン様の声かけのもと、今回のエンミュール奪還戦に従軍した面々が一同に会することになりました。
同じく従軍しているといっても、こう揃って顔を合わせる機会はありません。それぞれに所属も違い、一隊を預かる身となってしまっているため、この呼びかけには皆こぞって参加を表明したとのことでした。
久しぶりに親交を温めるということもありますが、今回の会合はキーレの帰還を祝うものでもあります。特にガラル砦での戦いを経験した者にとっては、キーレは少し特別な存在なのでした。
城の広間には、さっそく見知った顔が集まっています。格式ばったものではないので、皆礼服も着ず平服のままです。
「ヨーゼフから聞いたよ。キーレのやつ、生きてたんだってな」
今は騎兵部隊に属しているフィリップさんに会うのも、随分と久しぶりです。戦争の勝利の余韻もあるのでしょうが、顔を緩めて嬉しそうに語りかけてきます。
「で、その本人はどこにいるのかな?」
ローターさんとは隊は違えど同じ魔法部隊なので、何度か顔を合わせることもあります。相変わらず騎士然とした、凛々しい佇まいです。
皆が昔話に興じる中で、キーレはまだ姿を現していませんでした。時間と場所は正確に伝えたはずですが、どこで道草を食っているのでしょうか。こういった会に出るのが気恥ずかしく、尻込みをしているのかもしれません。
賑やかな広間の向こう側が、何やら騒がしくなっていました。耳を向けると、誰かの泣き声まで聞こえてきます。不審に思って扉を開けてみると、キーレが困った顔で立っていました。
そして懐かしい顔が、泣きながらキーレに抱きついていたのでした。
「よかった、よがったよぉー」
「む。再会ば嬉しいんは分かったがの、これでは広間へ入れん」
「クリス……! あなたも、来ていたのですか」
彼女とあの雨の日に士官学校で別れてから、もう一年近く経つでしょうか。予想だにしない再会に、わたしも胸が熱くなります。
「マリアンヌ! もう、帰ってこないから心配したんだから」
「それは……本当に、すいませんでした」
「ううん、許してあげる。こうして少年にも出会えたことだしねっ」
そう言うと、頬の涙を指で拭って抱きついてきました。わたしも黙って抱擁を交わします。親友との、久しぶりの再会でした。
「あなたもアルレーン軍にいたのですか、知りませんでした」
「あたしは医療部隊にいてね。エンミュールには、戦いが終わったあとで来たの」
「そう、なのですか。来てくれて良かったです、変な言い方ですけど」
あれだけ士官学校に残りたがっていた彼女が参戦していることに正直驚きを隠せませんが、もしかすると一人出て行ったわたしのせいもあるのかもしれません。そう思うと申し訳なくなってきますが、今はそんなことよりこの出会いを喜んでいたいのでした。
「……。おいは、先に入りもすぞ」
蚊帳の外になってしまったキーレが、少し寂しそうに広間へと入っていきます。
◇
広間ではキーレを囲んで、士官学校の皆が集まっています。誰もが彼の帰還を心から喜んでいました。
「
フィリップさんはゲルトさん亡きあと、キーレ不在の騎兵部隊をまとめ上げていました。頼りになる仲間がいない中で、相当の苦労があったことでしょう。
「戦場でも見てくれていただろうが、君の考案した新戦術は今のアルレーン魔法部隊を支えてくれているよ。本当に、助かっている」
ローターさんはともに夜襲をかけた部隊の一員でもありました。キーレが行方不明になってからは、わたしと一緒になって照準器の開発をしてきましたが、彼にも思うところはあったに違いありません。
「ですがこうして戻って来て、何よりでさあ。若はたいそう責任を感じていましたからね」
「大将どんが、でごわすか」
「おいギド、そのあたりにしておけ。指揮官の威厳が無くなってしまうだろ」
こちらの主従は相変わらずです。冗談を交わしながら、キーレの頭を撫で回しています。
「なんならオルレンラントに墓まで作ってありますんで。一度、見にきてはどうです」
「おいの、でごわすか」
「そうだ。そこのマリアンヌが、最後まで墓など作るなと泣いてごねてな」
「バスティアン様、それは言わない約束では……」
「ははっ、今となっては笑い話だが。お前が帰ってこないとなって、たいそう落ち込んでいたんだぞ」
「仕方ないじゃない。マリアンヌの身内なんて、もうヨーゼフと少年ぐらいなんだもの。そりゃ落ち込むわよ、ねー」
恥ずかしくて顔が赤くなっていくのが自分でもわかりました。何も本人の前で言わなくてもいいでしょうに。
「それにしても、随分と背が伸びたなぁ、お前。前は姉さんよりも小さかったのに」
「む。てろるらんどで
「そうか、お前テロルランドにいたのか。で、あの鉄砲部隊ってわけか」
「騎兵もよかがの、種子島もようごわすぞ。フィリップさぁも、どうじゃ」
「うーん、あれを持って馬に乗るのは正直厳しいな。せめてもう少し小型の、片手で扱えるやつがあればいいんだが」
「確か兵器開発のやつの実験作があったはずだぞ。ギド、どこかに転がってないか」
「探してはみますがね。今はやめときましょうや、若」
「そうだな、せっかくの再会だ。歓談を楽しむとしよう」
それからしばらく、昔を懐かしむように広間は盛り上がっていきました。まさかこうしてまた会える機会が来るなんて。先日まで戦争をしていたことなど、もうとっくに頭の中から消えていってしまっていました。
◇
「昔話に花が咲いたところで悪いのだが、次の戦いについて、話がある」
縁もたけなわといったところで、バスティアン様が急に真面目な表情で語り出しました。
「どうやら帝国はエンミュール奪還を機に、国を挙げての反攻作戦に出るそうだ」
皆の表情が、一変します。
「アルレーン軍はその主力を担うことになるだろう。おそらく、この面々も」
いつのまにか、士官学校生たちは軍でもそれなりの立場にいました。皆部下を率いる一将として、先ほどの戦いに参加していたのです。
「悪いがまた、ついて来てくれ。もう誰も、死なせるつもりはない」
皆がバスティアン様の言葉にコクリと頷きます。改めて決意などを問う必要はまったくありませんでした。
◇
「キーレ、ちょっと待ってくれ」
集まった面々が次々に広間を後にしてゆく中、ヨーゼフがキーレを呼び留めています。
「お前のとこの傭兵団、うちに雇われる気はないか? 傭兵契約じゃなく、エンミュールの常備軍として、だ」
「それは、おいでは決められんこっじゃの」
「いや、話を聞いてもらうだけでいい。とにかく、伝えてくれないか」
「よう、ごわす」
期待ばせんでくれ、と応えるキーレを、ヨーゼフは黙って見送っていました。
「あれで、よかったのですか?」
「いいんです。姉さんこそ、キーレを呼び戻したくはないんですか」
寂しくないと言えば、嘘になります。できれば、戻って来て欲しい。放っておくとまた危険な場所に行きたがるのは、よく知っています。
そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、キーレは振り返りもせずに広間を去って行きました。
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