第九話 戦いの兆し

 流れ者のニクラス傭兵団に、なんと士官の知らせがやってきた。辺境伯様からその事付けを持ってきたセンジュは、何を考えているのか一瞥もくれずにいる。


 オヤジもジャマルも、この突然の申し出に頭を悩ませているらしかった。


「うーむ。ワシらにとっては破格の条件なんじゃがなあ」

「アルレーンの、それもリガリア国境近くというのが悩みどころですね」

「テロルランドからそうとう離れてしまうからのう。ワシも含めて、家族を残してきとるもんも多い」


 傭兵団が跋扈するご時世とはいえ、士官の声がかかることは滅多にないらしい。それだけにためらわず受けてしまいたいところだが、アタシたちにはこのエンミュールという土地の遠さが厄介だった。とにかく、テロルランドからは距離がある。


 それに、テロルランドで育った団員たちがアルレーンの風土や生活に馴染めるかも気がかりだった。毎晩酒盛りをして、住民に眉を顰められたりしないだろうか。がさつな団員たちが貴族様のもとでやっていけるか、というのも非常に悩ましい。


 それでも中には乗り気な団員たちもちらほらいるようだった。マルコもこの知らせに喜んで小躍りしている。


「マルコはアルレーンに住むことになってもいいの?」

「そりゃそうっすよ、お嬢。暖かいし、何より女の子が優しいっす」

「テロルランドに彼女がいるとか言ってなかったっけ」

「あんな女、どうせ傭兵に出ている間は別の男を引っ掛けてるっすよ。それよりここの子はいいっすねえ、愛想もいいし、いい匂いもするし」


 どうやらマルコはこのエンミュールの町で歓待されたことで、すっかり骨抜きにされてしまったらしい。ちやほやされているのも今のうちだけだと思うけれども、それは言わないことにしておく。


 ただ、団員たちの中にはこの士官話に消極的な者が多かった。住み慣れたテロルランドを離れることもそうだが、どうやらこの自由な傭兵家業というものを手放すことに不安になっているらしい。戦いばかりで不自由な生活だと愚痴をこぼしていたわりには、いざ辞めるとなるとけっこうな勇気が要るようだった。


 我関せず、という態度をとっている者もいる。ミスラロフ、は放っておくとして、話を持ってきたセンジュがそれだ。傭兵団で最もこのアルレーンに残る理由を持っているであろうこの異人は、オヤジに士官話を持ちかけたっきり無言を貫いていた。


「ねえオヤジ。センジュは、どうするのかな」

「サツマ殿も悩んでいるんじゃろうな。ワシらと違ってアルレーンに思い入れもあるじゃろうしのう」

「団員たちの意見も聞いてみましょうか、親父殿。返答は今すぐでなくてもよいと言われていますので」

「そうじゃな。なんなら希望するもんだけでも、辺境伯様の世話になったらええしのう」


 どうもこの場で結論を出すのは難しそうだった。アタシは、どうすればいいんだろう。もちろんオヤジが士官話にのるとなったらついて行くけど、センジュだけがアルレーンに残るとなったら?


 返答を待ってくれるという辺境伯様のお言葉に甘えて、傭兵団はしばらくこの町に留まることにした。といっても、ほかに行くあてなどなかったりするのだけれど。


 ◇


 しばらく町でだらだらと生活をしていると、アルレーン軍の方から次の戦いにも従軍するように通達があった。一応はアルレーン軍属というかたちになっているニクラス傭兵団に断れるはずもなく、アタシたちは次の戦いに向かう準備を始めることになった。なにせ宿の代金もアルレーン軍持ちなのだ。途中でテロルランドに帰るなんてことが許されるはずもない。


 それに、数日の滞在ではあるけれどもアルレーン軍とはすっかり顔見知りになってしまっていた。戦場をともにした銃部隊の兵士たちはもちろん、医療部隊の面々には傭兵団の連中もお世話になってしまっている。


 戦地では珍しい女性の兵士に治癒魔法をかけられるのは、男暮らしの長い団員たちには非常に刺激的だったようで、恋文を送った者までいると聞く。医療部隊にとってははた迷惑な話だろうが、そういう浮かれた気分で過ごすエンミュールの町が、団員にとって非常に好印象だったのは間違いない。


 今日もアルレーンの兵士と肩を並べて、復興した酒屋に出かけて行く団員の姿を見かけた。こういった光景も今まで見たことがないもので、傭兵団が士官に傾くのもやむを得ないかとまで思ってしまっていた。


「あれ、ミスラロフ。どこに行くの?」

「城に、兵器の調整、です」


 ミスラロフはアルレーン軍の兵器開発班から非常に重宝されているらしい。連日城の近くの鍛冶場まで出かけて行き、大汗をかいて楽しそうに帰ってくる。


 もしかしたら兵器開発に熱心なアルレーンの方が彼の性に合っているのかもしれない。あまり会いたくはない相手だけど、去ってしまうとなるとそれはそれで寂しかった。


「アルレーンでは既に銃を改良する試みが始まっているのです、まずは銃身を保持するレスト、これは一脚の上部に銃を置くように設計されていまして格段に命中率が上がるでしょう、まだあります、そして--」

「あー、はいはい。続きは軍の人とやってあげてね」


 いつもの豹変が始まったミスラロフを適当にあしらい、アタシはすることもなくぶらぶらと町を歩いていく。この間まで荒れ果てていたのが嘘のような賑やかさだ。


 アルレーンの空は今日も青い。テロルランドのそれより、ほんの少しだけ。


 ◇ ◇ ◇


 次の戦いに備えて、ニクラス傭兵団はアルレーン軍と訓練をともにすることになった。銃部隊を揃えているといっても、その扱いにはニクラス傭兵団の方に分がある。戦場での運用や備品の扱いも含めて、団員が総出で兵士たちにその経験を伝えているのだった。


 おまけと言ってはなんだけれども、傭兵団には軍から銃が支給された。これで団員の一人一人に銃が行き渡る計算になる。銃を持つのを渋っていた弓の上手たちも、今では自分の銃を愛犬のように大事に扱っている。愛着が湧くと可愛いものなのだろうか。アタシも新しいアルレーン製の銃をもらって、その癖を体に叩き込んでいた。


「構え、放てい!」


 銃部隊の訓練の指揮をとっているのはセンジュだった。オヤジは訓練なんて柄にもないから、と全てセンジュとジャマルに投げ出していたけれども、訓練を面倒くさがっているのは明らかだった。


 指揮を託されたセンジュは生き生きとして兵士たちを指導している。なんでも寝撃ちというのが先ほどの戦いで有効だったらしく、全員にそれを覚えさせるのだとか。


 訓練場にはミスラロフお手製の実験品たちが持ち込まれている。銃身を支える一脚銃架なんかは評判がよく、さっそく軍の標準装備として採用されるらしい。豊富な資金援助のもと様々に開発ができると聞いて、ミスラロフの目は輝きっぱなしだ。軍の兵器開発班の人たちが気の毒になってくるほど興奮している。


 今日持ち込んでいるのは、銃身を盾の中に突っ込んだガンシールドなるものらしい。盾を構えながら射撃できる、とミスラロフは得意げに話しているが、どうも兵士たちの反応はよろしくない。あんなに重くては、狙いも何もあったものではないはずだ。


「おんしは、狙撃の訓練ば入ってもらいもす」


 なんと、わたしも狙撃手として指名されてしまった。遠くから離れて敵の指揮官級を狙うこの役目は、前線から離れることもあり確かに戦場では比較的安全なはずだ。それに、アタシの射撃の命中率は自慢じゃないけれどかなり高い方だった。アルレーンの兵士にも、団員たちにも負けてはいない。


「おいは狙撃は不得手じゃが、訓練次第ではどうとでもなりもす」


 センジュはそう言って三百歩の距離に的を置き、選ばれた兵士たちに次々に射撃をさせている。近い距離の射撃と違って、遠距離の狙撃には繊細な操作がいる。銃の癖、火薬の量、それから風向き。これらを常に計算しながら目標を射抜かないといけない。


 射撃自慢の兵士たちが的にかすりもしない中、アタシは一発で目標を射抜いてみせた。兵たちからおおっ、と感嘆の声があがる。これでも、遠距離からの射撃の訓練ならセンジュと雪山で獣を相手に何度もやってきたのだ。舐めてもらっては困る。


「すごいな、嬢ちゃん。何かコツとかあるのか?」

「俺は風の計算がうまくできないんだ、教えてくれよ」


 発砲を終えたアタシは兵士から質問攻めにあっていた。どうもアルレーンの兵士たちは女だからといってアタシを軽んじたりはしない、気がする。銃という新兵器を扱っていることもあるけれども、こう頼りにされるというのは何とも言えず心地良かった。


 センジュは何やら悔しそうにこちらを見つめている。指導役だったはずのセンジュのお株を奪うかたちになってしまったけど、仕方がない。


 しばらくアタシはアルレーンの兵士たちに指導とやらをしてやっていた。こう教えを請われるというのも、悪くない。


 ◇ ◇ ◇


「野郎ども、次の戦場が決まったぞい」


 オヤジが傭兵団に次の仕事を伝えている。横にはヨシュアといっただろうか、司令官様の近衛兵も控えている。


「詳しくはヨシュア殿にお願いしてもらってもええかのう」

「はっ、では私めからご説明を」


 説明によれば、プロシアント帝国を挙げての反撃戦が行われるようで、ここにいるアルレーン軍だけでなく、帝都からも大軍勢が参加するのだそうだ。


 どうやら、ステッフェルン平原というところが戦場として想定されているらしい。このエンミュールの町からは北に四日ほどの、リガリアとの国境付近の土地だそうだ。 


 団員たちは見たこともない大戦さということで、すっかり興奮してしまっている。ただ、誰も帝都の軍隊というものを見たことがなく、そこは少し不安そうだった。


「帝都からも三万を超える軍が派遣される手筈になっています。我々アルレーン軍は、数から行って従の立場になることでしょう」

「帝都の軍隊ってのは、どういうもんですかいのう」

「はっ。魔法部隊を主力としており、銃の配備はまだ進んでいないと聞いております」


 うーむ、とオヤジが不安そうな顔をしている。このエンミュールで銃撃戦を繰り広げたアタシたちにとって、銃の備えがないというのはそれだけで心許ないものだった。


ユッサば下知は、ダッがとりもすか」

「おそらく、帝都の大貴族のどなたかが指揮官になると思われます」

「大将どんが、大将ばなくなるんでごわすな」

「……? ああ、オルレンラント伯爵は、一将の立場になります。軍の一角を担うことになるでしょう」

「なんと、それは困りましたのう。あのお方は随分と話がわかる方じゃったからのう」


 確かに帝都貴族たちとオヤジがうまくやっていけるとは思えなかった。アタシも、見たことのない帝都の兵士と肩を並べて戦場に出たくはない。


「心配はいりません。我々アルレーン軍はオルレンラント伯爵指揮のもと、独立して行動できるはずです。伯爵もそう仰せでした」

「大将どんのもとなら安心じゃ。槍働きのしがいがありもす」


 センジュは機嫌良さそうにカラカラと笑っている。これから始まる決戦が、楽しみでしようがないといった顔だ。


 いつの間にか風が冷たさを含んだ秋のものになっている。目指すはステッフェルン平原。リガリア軍との決戦が、迫っていた。

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