第七話 崩れた王国

 丘の敵兵が、蟻の子を散らすように逃げて行く。味方の兵もそれを無理に追おうとはしない。青い草々に覆われていた丘は、今は兵士の死体で赤く染まっていた。アルレーン軍の、勝利だった。


 戦勝を告げるラッパの音が戦場に響き渡る。兵士たちが、勝鬨の声をあげる。オヤジは横でほっと胸を撫で下ろしていた。


 百五十八の団員のうち、二十が死んだ。何度も戦ってきた仲間だ、顔も名前も酒癖だって覚えている。その二十人が、死んだ。


 傷を負っていない団員なぞいなかった。オヤジもジャマルも、アタシを庇っていくつもの裂傷を負っている。


 勝鬨の声は、まだ響いている。勝利を祝うその歓声が、今は少し耳障りだった。


 ◇


 アルレーン軍は丘での勝利と並行して、別働隊にエンミュールの町を占領させていたらしい。戦いを終えたアタシたちは、揃ってその町へと向かって行った。


 野外での待機を命じられた他の傭兵団とは違い、ニクラス傭兵団には町での滞在が認められた。どうやらアタシたちは準軍属の扱いらしい。これも役得、といったところだろうか。


 エンミュールの町はひどい有様だった。家という家が、荒らされつくされている。引き上げるリガリア軍が略奪して行ったに違いなかった。


「こりゃひどいのう。宿でもあれば、と思ったがそれどころじゃないわい」

「我々も、野外で一夜を明かすべきだったかもしれませんね」

「うーむ、高待遇と言えば高待遇だけに、そうもいかんなあ」


 結局アタシたちは、被害の薄い町はずれに野営することにした。突然の珍客に被害を受けた町の住民たちが集まってくる。プロシアント語が通じるのが分かると、安心した顔をして食べ物や衣類を運んできてくれた。どうやらアタシたちは、彼らにとって解放の英雄らしい。


 戦勝祝いと称してさっそく酒盛りを始める団員たちに混じることもできず、アタシは一人でしばらくぼんやりとしていた。


 初めて経験する、戦争だった。


 ◇


 乱痴気騒ぎを続ける傭兵団のもとに、伝令の兵が駆け込んできた。異様な盛り上がりに一瞬驚いた顔を見せたものの、そのあとは極めて冷静に要件を告げていく。


 伝令に呼ばれているのはセンジュだった。心当たりがないのか、本人も不思議そうな顔をしている。


「キーレ=サツマ殿、貴殿が戦闘中に捕らえた捕虜ですが、先ほど意識を取り戻しました。ついては貴殿も尋問に参加していただきますが、よろしいでしょうか」


 どうやらセンジュはアタシの見ていないところで名のある将を捕らえていたらしい。相変わらずの戦闘民族っぷりである。


 それから、アルレーンの人々はセンジュのことをキーレ、キーレと呼んでいる。センジュという名前もアタシが勝手に呼んでいるだけではあるけれども、このキーレという方が本当の名前だったりするのだろうか。


「それから、負傷者の方は町の広場にて医療部隊による手当をいたします。希望の方は、広場までお越しください」


 伝令はそう手短に伝えると、センジュに向けてかつて辺境伯様が住んでいたであろう城を指差し、去っていった。医療部隊まで出してくれるとは、とんだ高待遇だ。アタシも治癒魔法とやらをかけられてみたい。


 一方、命令を受けたセンジュは腕組みをしてウンウン唸っている。


「センジュ、行かなくていいの?」

「行きたくは、なか」

「どうしてさ、捕虜に会うだけでしょ」

「尋問とやらが、おいは好かん。そいと--」

「それに?」


 女子オナゴは苦手じゃ、と吐き捨てるセンジュは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。捕虜とオナゴにどんな関係があるのか知らないけど、今もこうしてオナゴとやらと喋っているのはいいのだろうか。


 センジュには悪いが、城内に入れるせっかくの機会だった。もちろんアタシは貴族様のお城なんて入ったこともない。なんとか言いくるめて同行してしまおう。


「そんなに嫌なら、着いてってあげるよ」

「……それは、名案にごわすな」


 驚くことに、案外あっさりと提案が通ってしまった。早くも腰を上げて城へ向かおうとするセンジュを、アタシは慌てて追うことにするのだった。


 ◇


 捕虜の尋問とやらは城の地下の牢屋で行われているらしい。城内を見て回れるかと期待していたけれども、そんな間もなく直接地下牢へと案内されてしまった。


 つい先刻占領したばかりだというのに、薄暗い地下牢はまるで先ほどまで使われていたかのように生活感があった。おそらくアルレーン軍が来るまで、ここにはエンミュールの人々が捕えられていたのだろう。湿った独特の空気に思わず鼻を覆う。


 その地下牢の一室に、センジュの捕えた捕虜は監禁されているらしい。見張りの兵が数人立ち塞がっている牢屋が、どうやらそれらしかった。


「キーレ、あなたも呼ばれたのですか」


 背の高い女性が、センジュに親しげに声をかける。軍服を着ているからようやく兵士とわかるけれども、そうでなければこんなおっとりした女性が軍隊にいるなんて思わないだろう。


「む。仕方なく、の」


 センジュも軽く言葉を返す。どうやらまたしても顔見知りらしい。見張りの兵はその様子を見て道を開けてくれた。


「あら、その子は確か傭兵団の」

「団長の娘っ子じゃ。女子オナゴ同士がよかろうと思うての」


 どうやらこの女性はアタシのことを知っているらしかった。そういえば魔法部隊との宴会で見かけた、気がする。アルレーンは軍にも綺麗な女性がいるんだな、と思ったっけ。


 こちらに対してもにこやかに微笑みかけてくる。綺麗な淡褐色の目でこんなことをされたら、傭兵団の連中は皆参ってしまうだろう。アタシも軽く会釈を返し、あとはセンジュに任せることにした。


「初めまして。マリア=アンヌ=エンミュールと申します。キーレは、士官学校でわたしの従者をしてくれていました」


 あまりの情報の多さに頭がついていかない。ということは、この女性はセンジュの主君、になるのだろうか。頼みのセンジュは勝手にやれ、と言わんばかりにそっぽを向いている。


「あ、アンジェリカです。センジュは、アタシのオヤジがやってる傭兵団にいて--」

「では、あなたがキーレが言っていた、銃の扱いが上手な娘さんなのですね。お会いできて、よかったです」

「こ、こちらこそ」

「キーレはそちらではセンジュ、と呼ばれているのですか?」

「いえ、これはアタシが勝手に呼んでるだけで。みんなはサツマ殿とか呼んでます」

「ふふ。相変わらず、名前を覚えられていないのですね」


 マリア=アンヌさんは平民のアタシにもとても優しかった。司令官様もそうだったけど、本来貴族様が面と向かって平民と話すことなんてめったにないのだ。時折後ろで結んだ長い金髪を撫でながら話す姿は、とても貴族らしく優雅で上品だった。


「マリア=アンヌさんは、どうしてここに?」

「マリアンヌでいいですよ。わたしは、キーレが捕らえた方の手当をしていたので」

「じゃあ、マリアンヌさんは魔法が使えるんですね」

「ええ、一応は。アンジェリカさんは付き添いですか?」

「アタシも、アンジェでいいです。何を考えているんだか、センジュが一緒に来いって」

「お二方。申し訳ありませんが、そろそろ尋問が始まりますので私語は謹んでいただけないでしょうか」


 見張りの兵の声にアタシたちの会話はそれっきりになってしまった。


 ◇


 尋問を行うのは、行軍中にお会いしたいつぞやの司令官様だった。あのときの気さくな態度はどこへやら、今は厳しい目つきで腕を組み、簡素な椅子に腰掛けている。


 そしてその目線の先にいるのは、栗色の髪をした女性だった。手枷と足枷をはめられている。乱れきった髪の間から、鋭い目つきでこちらを睨んでいた。


「訊きたいことがいくつかある。プロシアント語は、できるか」


 捕虜の女性は、答えない。その強情な態度を見て、横の兵士が棒で腹を一突きする。苦しげなうめき声をあげても、女性は一言も話さなかった。


「オルレンラント伯爵。やめてあげてください。話なら、わたしが」


 見かねたのかマリアンヌさんが指揮官様に詰め寄る。


「バスティアンでいい、と前にも言っただろう。お前のわだかまりもわかるが、キーレも帰ってきたんだ。伯爵はやめてくれ」

「では、バスティアン様。おやめください。尋問であれば、わたしが引き継ぎます」


 マリアンヌさんは、見かけによらず気の強い女性のようだった。司令官様に怯みもせずに主張している。司令官様もその剣幕に少し驚いたようで、一言二言言い残すと尋問を引き継いで去っていってしまった。


 後には尋問の兵士と、アタシたち三人だけが残るだけになった。


「あの、せめてお名前だけでも教えていただけないでしょうか。わたしはマリア=アンヌ=エンミュール。名前からも分かる通り、このエンミュールの地の者です」


 そう優しげに語る姿に話す気になったのか、捕虜の女性がようやく重い口を開いた。


「カトリーヌ=ド=レボン、と言ウ」

「カトリーヌさんは、プロシアント語が話せるのですね」

「私も辺境の出ダ。多少の会話はできル」


 女性が相手と知り警戒心が緩んだのか、捕虜はマリアンヌさんの問いかけに答えていく。これを狙ってやったのだとしたら、あの司令官様、とんだ食わせ者かもしれない。


「あなたは魔法騎士をしていましたし、貴族の身分だと思うのですが」

「貴族など、今のリガリアにはもう、いなイ」

「いない、とはどういうことでしょう?」

「言葉通りダ。リガリアは今、平民が政治も軍事も行っていル。王も貴族も、主だった者は処刑されタ」


 衝撃的な事実だった。リガリアが、そんなことになっていただなんて。


「話には聞いていましたが、本当だったのですか」

「だから、私に人質の価値は無イ。身代金を払おうとする家族も、死んダ」

「亡くなった、のですか」

「革命とやらに巻き込まれてナ。私だけが生き残っタ。そのまま、食えもしないから軍にいル」

「これから、どうするおつもりです」

「……どうもこうも無イ。死ね、と言われれば死ヌ」


 カロリーヌ、という名の捕虜はここで大きくため息をついた。


「戦場で、一思いに殺してくれれば良かったのニ。あの男、情けをかけタ」

「あの男とは、キーレのことですね」

「む。呼んだかの」


 居眠りしていたセンジュが、最悪な場面でこちらに反応する。


「お前、なぜ、なぜ私を殺さなかっタ!」

「おいは女子オナゴは斬らん。おんしの事情など、知ったことではなか」

「……ッ!」


 センジュは相手の怒りなど気にかけないように、平然と言い放っている。これが尋問だと、わかっているのだろうか。


 それから例の捕虜、カトリーヌは一言も喋ってくれなくなった。


 あとはなんとかするから、と言ってマリアンヌさんはアタシたち二人を先に帰してくれたけれども、センジュは不服そうな顔をして、死にたがりには困ったもんじゃ、と吐き捨てている。


 あんたも似たようなものだ、とその横顔に言ってやろうとしたが、なんとなく気が向かずそのまま地下牢をあとにすることにした。

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