第六話 エンミュール奪還戦②
敵軍が陣地を敷く丘をアルレーン軍が駆け上り始めてから、戦場は混乱を極めていました。
小高い丘は両軍の兵士で入り乱れています。こうなってしまっては、もう魔法攻撃は意味をなしません。丘の向こう、敵の陣地があるかもしれない方向をめがけて、当てずっぽうで攻撃を放つだけになってしまいました。
わたしも照準器を解体するよう隊員に指示をして、次の指令を待っています。待つといっても、ただじっとしていると時折流れ弾が飛んできてしまうので、防御魔法は展開したままです。
いつのまにかわたしたちの周りは、防御の歩兵を少数ほど残すばかりになってしまいました。観測兵と計算兵は、もうお役御免とばかりに丘の光景を魔法障壁の陰から見つめています。
これまで待機していた騎兵部隊の一隊が、猛然と丘を駆け上がっていくのが見えました。その進路に立ち塞がる敵兵を、まるで埃でもはらうかのように蹴散らしていきます。その威力、迫力はまさにアルレーン騎兵ここにあり、といったところでしょうか。
こちらの軍からも散発的に発砲音が聞こえます。前線にいたはずの銃兵はいつのまにか丘を囲むように離れて布陣し、寝そべりながら銃を構える奇妙な格好で射撃を繰り返していました。どうやら銃部隊は、敵主力への狙撃へと作戦を切り替えているようでした。
その銃兵たちを、陣頭堂々と立って指揮している兵の姿が見えます。長剣をかざして声を上げているのは、キーレです。銃弾が飛び交う中、悠然と采配を奮っています。そういえば、こんなに近くでキーレの戦いを見るのは初めてでした。少し前までは小さかったあの背中が、今ではひどく頼もしいものに思えてきます。
キーレはしばらく展開した銃部隊に指示を与えたあと、何か気になっているのか周囲を見回しています。伸びた黒髪が、しきりに左右に揺れていました。長剣を鞘へとしまい、側に控えていた隊章付きの近衛兵を呼び寄せて何やら話しているようです。
「ヨシュアさぁ、といったかの。敵は、こいだけでごわすか」
「確認できている限り、丘に布陣している兵で全てです」
「……。匂うの」
「何か、不審な点がおありで」
「敵ば、何かを待っとるように見えもすな」
丘の敵軍は一方的にアルレーン軍に押し込まれていました。放棄された即興の防御陣地の横を、アルレーン軍が駆け抜けて行きます。
リガリア軍も必死に最後の抵抗を行っています。丘の防御陣地を抜ければ、エンミュールの町はもうすぐそこなのです。槍と槍が、剣と剣が打ち合う音が、離れているもわたしのところにまで聞こえてくるようでした。
十分押し込んだと見たのか、オルレンラント伯爵が温存していた両翼の騎兵部隊を放ちました。ラッパの音とともにけたたましく蹄音を響かせて突撃を開始していきます。
騎兵部隊は敵陣地を大きく回り込むように手薄になった丘の両側を駆け抜けて行きます。あっという間に最深部の敵陣地に入り込み、拠点に籠る敵を蹴散らし始めました。
打撃を与えた騎兵部隊はそのまま敵拠点の後方へと駆け抜け、エンミュールの町を伺う構えを見せています。敵軍としても阻止したいところでしょうが、防戦一方で手が回らないのか、アルレーン軍の騎兵部隊は悠々と敵軍の退路を立ちながら町を目指して行きました。
昨年のガラル砦での戦いでもそうでしたが、リガリア軍の騎兵部隊の姿にはなかなかお目にかかっていません。噂には、騎兵を持っている貴族たちが帝国との戦いには参戦していないのだそうです。どのような事情があるにせよ、この戦場はアルレーン騎兵部隊の独壇場でした。
気づけば魔法部隊の周囲にいるのは、魔法部隊の防御の兵を除けばオルレンラント伯爵の本軍だけとなってしまっていました。歩兵も騎兵も丘の争奪戦に加わってしまい、わたしたちだけが取り残されたかたちになってしまっています。
といっても今回の戦闘は余力を残して戦えるほど、余裕のあるものではありませんでした。リガリア軍も一定の備えのもと、わたしたちアルレーン軍を迎え撃っています。今なお前線で響く、鳴り止まない発砲音がその証拠でした。
伯爵は食い入るように丘の戦況を見つめています。わずかに残る敵の防御陣地を陥しさえすれば、もう勝利は間違いありません。あとは故郷エンミュールの町へと凱旋するだけ--。
そう、わたしたちが勝利を九割九分確信したとき。
丘の向かって右奥から、けたたましい音とともに敵兵が現れたのでした。
◇
「敵騎兵が、本軍を目指して突進してきます! 急ぎ、退避を!」
伝令が状況を伝えるより早く、わたしたちは戦場の危機に気がついていました。予備戦力のほとんどまでも丘の陣地奪取に投入してしまったアルレーン軍の本陣は、今や少数の近衛兵とわたしたち魔法兵を残すばかりです。この状態で敵兵に突撃をかけられてしまえばどうなるかは、日を見るよりも明らかでした。
慌てて近衛兵がオルレンラント伯爵を守るように陣形を組みます。わたしたち魔法兵も、防御魔法を展開してなんとか突撃に備えます。
合図とともに攻撃魔法が敵兵に向かって放たれました。が、当たりません。機敏に攻撃魔法を避けた騎兵の軍勢が、風を切るようにしてわたしたちの方へと突進してきます。
数にして百騎と少し、といったところでしょうか。騎兵部隊が、せめて歩兵部隊が残っていれば難なく撃退できたかもしれません。しかし、今となってはどうにもならないこと。わたしたちは独力でこの騎兵の突撃に対抗しなければならないのでした。
戦場にぽっかりと空いた無人の草原を、敵騎兵はとてつもない速さで走ってきました。もう、その姿が、鎧や剣の一つ一つがこの目ではっきりと確認できる距離まで迫ってきています。
わたしも懸命に攻撃魔法を放ちますが、左右に機敏に動く敵騎兵はそれを軽々と避けてこちらに向かってきます。魔法部隊の中には、恐怖のあまり背を向けて逃げ出す者が出始めました。騎兵の怖さは、アルレーンの者であれば皆骨身に染みるほど理解しているのです。
逃げ出したくなる気持ちを懸命にこらえ、震える足に必死に喝を入れながら、わたしはひたすらに攻撃魔法を放っていました。せめて一発でも当たってくれれば、突撃が止まってくれるかもしれません。
そんなわたしの願いも虚しく、敵兵はまさに百数歩の先まで迫ってきていました。ようやくここまで、エンミュールを取り返す寸前のところまで辿り着いたというのに。今となっては、せめてヨーゼフだけでもこの本陣にいないことを祈るばかりでした。
全てを諦めかけた、その瞬間。
「今じゃ、放てい!」
聞き覚えのある声とともに、左右から銃声が響きました。
突然の轟音に恐怖した馬たちが、竿立ちになっています。次々と発射される銃弾に、完全に虚をつかれた敵騎兵が撃ち抜かれて馬から落ちていきます。
予想外の出来事に、わたしの頭が付いて行けていません。いったい何が--。
キーレが、わたしたちの前で銃を構えていました。立ち上る硝煙を気に留めず、背中に担いだもう一丁の銃を手に取りさらに射撃を行っています。
気づけばわたしたちの左右から、硝煙がいくつも立ち昇っていました。目を凝らしてよく見てみると、銃を構えた兵士たちが草原に身を隠して、寝そべるような格好で射撃を続けています。
罠に嵌ったのは、敵騎兵の方でした。
◇
予想外の射撃に敵騎兵の勢いが完全に止まりました。馬を制御することに必死な敵騎兵のもとに、銃を撃ち終えたアルレーン兵たちが詰め寄って行きます。
しかし。危機が去ったとほっとしたのも束の間。まだ、敵の数騎が、止まりません。射撃に怯むことなく、こちらに突進してきます。
銃兵が勇敢にも正面から弾丸を浴びせていますが、馬に当たる前に弾かれていました。
--魔法騎兵です。前方に魔法障壁を張って、こちらの銃撃を無効化しながら突っ込んできていました。
まさか戦場で魔法騎兵の姿を見るとは思いませんでした。それも、敵兵として。そして、魔法騎兵がここまで危険だとは想像だにしていませんでした。何せこちらの銃弾も、魔法攻撃も弾き返しながら迫ってくるのです。
オルレンタント伯爵が、魔法騎士のローターさんを士官学校最強だと言っていたのがわかる気がします。何をもってしてもこの突撃をまったく止められる気がしません。このまま侵入を許しては、本陣深くまで攻撃が届いてしまうかもしれませんでした。
その無敵の魔法騎兵の前に、一人の兵士が立ち塞がっています。長剣を抜き、両手で高々と右頬の前に構えた前傾の姿勢--何度も見てきた、ジゲンの構えです。
「キィエエエエエエィィーーーッ!」
キーレはまったく怯むことなく、咆哮とともに敵騎兵に向かって走り出しました。
そして同じく猛烈な速さで向かってくる魔法騎兵と交錯するその瞬間、地面に体を擦り付けるように障壁の下を滑り込むと、両手に持ったその長剣で、馬脚を真っ二つに斬り飛ばしてしまいました。
馬が悲鳴をあげ、もんどり打って倒れ込みます。騎乗していた敵兵も体勢を大きく崩し、同じく地面へと叩きつけられてしまいました。
キーレの動きは機敏そのものです。即座に地面に付した敵兵に組み付き、鎧で斬撃が効かないと見るや、長剣の柄を使って兜を殴り飛ばします。
数度の衝撃の後、敵兵の兜は宙を舞い、魔法騎兵は力を失ったようにだらりと草原に横たわったのでした。
◇
それからすぐ、異変を察知した味方部隊が、次々と本陣を守るように帰陣してきました。
丘の上から回り込んだ騎兵と麓から押し上げる歩兵によって、リガリア軍が押し潰されるように蹂躙されています。もう、この戦いの勝者を決めるのに時間はかからないでしょう。
「ちと、こっまで来てくれんかの」
魔法騎士との戦闘に勝利したキーレが、わたしを呼んでいます。怪我でもしたのかと慌てて駆け寄ってみると、キーレは先ほど倒した敵兵を指差し、わたしに何かうながしています。
「手当ば、してたもんせ。おいには、
不満げな顔で告げたキーレの側に倒れていたのは、長い栗色の髪をした女騎士でした。
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