第五話 エンミュール奪還戦①
昨夜のニクラス傭兵団にはいつも通りの騒ぎから一夜明け、傭兵の諸部隊を加えたアルレーン軍は目的地のエンミュールへと進軍を進めていた。一歩一歩進むごとに、兵士たちの緊張感が増していくのがわかる。もう、いつ接敵してもおかしくはない状態だった。
センジュは銃を背負って隊の後ろを行軍している。どこかに預けてきたのか、いつも従えているお気に入りの馬の姿は見えない。
どうやら指揮官様の指示のもと、ニクラス傭兵団はアルレーン軍の銃部隊の指揮を任されているらしい。それもあってかオヤジもいつにも増して鼻息を荒くしている。
そしてその銃部隊は、アルレーン軍の先鋒を歩いている。アタシもオヤジに連れられて少し奥にいるとはいえ、最前列を進む兵士の頭が見えるほどだった。
「おいが
「サツマ殿、それでは約束がのう--」
「あれはおんしが危うかときの話じゃ。娘っ子は、おんしに預けもす」
不穏な会話をする二人の声も、蹄音と兵たちの足音に紛れて消えていく。
草原がやや傾斜をもって見上げるように迫ってきたころ、偵察の兵だろうか、数騎の兵が馬を飛ばして急ぎ駆け戻ってきた。
「敵軍は、エンミュールの町への途中、この先の丘陵地帯に布陣しています。防柵を設置し、迎撃する構えです」
冷や汗が体を伝う。全身が軽く震え始める。これから、戦闘が始まるのだ。それも、これまで誰も経験したこともないだろう、大規模な銃撃戦が。
◇
敵軍から千歩ほどの距離でアルレーン軍は一度進軍を止めたようだった。ここなら、十分に銃の間合いの外になる。
陣形を確認するのか、号令をかけられて各隊の隊長が本陣へと集まっていく。オヤジとセンジュも近衛兵の案内のもと、軍議に参加しに行ってしまった。
この距離になると、敵軍の姿がぼやけてではあるが見えてくる。ややなだらかな丘を使い、要所に木の防柵を立てて急拵えの砦にしている。その影に、銃を持った兵士が何人も見えた。長槍を構えている者もいる。
よく見ると防柵に見えたものは、横倒しにした荷車であるようだった。長槍も、鍬や鋤に手を加えたものに見えてくる。アタシたちが相手にするリガリア軍とは、こういう相手なのだ。それをこれから--撃滅しなければならない。
丘の傾斜は、緩やかだがひどく長い。こちらから攻めるには、敵軍が布陣しているその丘を駆け上がっていく必要がある。なんとか騎馬で登っていけそうではあるものの、十分に苦戦が予想される地形だった。
後ろの魔法部隊は円盤を持ち寄っておかしな装置を組み立て始めている。その隣では黒板を持った男が、ぶつぶつ言いながら何か書き込んでいた。この一角だけは、戦争に似つかわしくない奇妙な雰囲気を醸し出している。
ラッパの音が、高らかに戦場に響く。戦いの火蓋がじき切られるに違いなかった。
◇
「敵軍、八千。布陣は、先ほど報告した通りです。オルレンラント伯爵、ご指示を」
「正面は最前列に銃部隊、長槍部隊もつけろ。その後ろに弓兵、歩兵。両翼は騎兵部隊、丘を抜けて敵軍の退路を断て」
「はっ」
「それから魔法部隊、遠距離攻撃部隊を中軍に置く。ローター、敵陣地を一掃してやれ」
「承知しました。火祭りにしてやります」
「銃部隊の配置はキーレとニクラス傭兵団に預ける。あの丘を抜けば、我々の勝利だ」
「む。心得もした」
「では、配置に付け。魔法部隊の攻撃後、前線を銃の間合いまで押し上げる。いいなっ」
「はっ、承知しました」
◇
オヤジがセンジュを連れて帰ってきた。二人の目に、怯えはまったく見えない。団員たちも、普段目にしているおちゃらけた態度はどこへやら、眼光鋭く敵軍を見つめている。
センジュが、銃部隊の前に立った。アルレーン軍のものと合わせて、合わせて四百近くになっているだろうか。隣にはヨシュアとかいう指揮官様の近衛兵を従えている。
「魔法攻撃ん後、間合いを詰める。駆け足じゃ」
「ヤー、サツマ殿」
団員の掛け声にアルレーン軍が驚いている。その部隊のざわめきを、センジュはカタナを抜いて鎮めてみせた。日の光を返す眩しいその刃先に、兵士たちの目線が集まる。
「おいが合図ば出すまで、決して撃ってはならん。決してじゃ」
「ヤー、サツマ殿」
いつの間にかアルレーン軍の兵士も一緒になって、センジュの名を呼び始めた。いや、厳密には名でもなんでもないのだけれど。
「種子島ば間合いは、百歩ぞ。幸い、風上じゃ。相手ん弾は当たらん」
「ヤー、サツマ殿」
「弾が来ようが、臆すな。怖くば、おいを見よ。おいも駆けもす」
「ヤー、サツマ殿」
まるで魔法にでもかかったように、混成の部隊が一つになっていく。もしそんな魔法があるのなら、センジュはこの戦場で特一級の魔法使いだった。兵の一人一人が、今やセンジュの一挙手一投足を見つめている。
「そろそろ、始まる頃ぞ」
センジュはそう言って、兵たちに背をむけ、一人敵陣を見つめている。カタナは敵陣に真っ直ぐ向けられたままだ。
◇
一筋の赤い線が、敵陣に向けて放たれて行った。が、当たらない。無人の丘に刺さっていく細く弱いその弾道を見て、敵軍も嘲笑っているようだった。予想外にみすぼらしい魔法攻撃とやらに、アタシも団員たちもがっくりと肩を落とす。
続いて、大量の火球が雪崩のように放たれていった。今度は、丘に構えた敵軍の陣地に見事に命中している。防柵は木っ端微塵に破壊され、火が周囲に広がっていく。あまりの威力と精度に、陣地にいた敵兵がたまらず飛び出してきた。
また、ひょろっとした魔法攻撃が飛ぶ。その後を、火球の雨が襲う。荷車でできた砦は、見るも無惨に粉砕されてしまっていた。
アルレーン軍は、未だ銃の間合いの外にいる。砦を頼りにしているリガリア兵にできることは、慌てて他の陣地へ隠れることだけだった。
「進めい!」
先頭でセンジュが構えたカタナを振り下ろす。銃と長槍を構えた兵士たちが、足並みをそろえて丘に向かって駆けて行く。軍ラッパの音が軽快に草原へと響きだす。
アタシはオヤジとジャマルに囲まれて、突撃していく兵士たちの後を追っていた。丘ではなんとか体勢を立て直した敵兵が、銃を構え出す。放ったその銃弾は、アルレーン軍の先鋒の遥か前に着弾したようだった。
「歩兵部隊、前へ!」
後方から、指揮官様の命令が伝えられる。盾と剣を持った兵がセンジュの部隊に続くように前進する。草原が、地鳴りのような足音で揺れる。気を抜くと立っていられないほどだ。
敵の陣地で、こちらの耳にまで届く大爆発が起きた。どうやら敵軍の火薬に引火したらしい。火薬の煙たい香りが、歩兵部隊にいるアタシたちにも届いてくる。
好機と見たのか、センジュのカタナの向き先が変わる。もう、アルレーン軍の前線は敵軍と百歩近くの距離にまで届いていた。センジュはまだ、号令をかけない。
敵兵からの銃弾が、足元に刺さり始める。発砲音とともに、ヒュンヒュンと風を切る音が横を抜けていく。センジュは前を向いたまま、歩みを止めない。左右を弾丸が抜けて行っても、表情一つ変えていないに違いなかった。
「放てい!」
カタナを振り下ろすと同時に、銃声よりも強く、大きく、センジュの声が戦場に響いた。
味方部隊が、待っていたかのように銃撃を始める。硝煙が立ち上り前方の視界が塞がっていく。最前線の兵が発砲を終えた。入れ替わるように後続の兵が銃を構える。鳴り止まない発砲の音とともに、隠れる場所を失った敵兵がバタバタと倒れてゆく。
足元に突き刺さっていた銃弾が、頭上を通過し始めた。敵の銃弾に倒れる兵が出始めている。オヤジもジャマルも盾を構えて、姿勢を低くしながら進んで行く。もうこれ以上、前を見る余裕はなかった。
後ろからは魔法部隊の攻撃が、唸り声をあげて敵陣地を襲っているようだった。兵たちの頭上を弾丸と、火球とが舞う。
銃声が絶え間なく鳴り響いている。風上でもあるため、顔を伏せていれば硝煙はもう気にならない。
気づけば頭上を飛ぶ弾丸の数が、だいぶ減ったことに気がついた。押している、はずだ。前方では剣と盾を構えた兵士たちが丘を駆け上っていく。
一人、丘から兵士が崩れるように転がり落ちた。アルレーンの兵士だ。また一人、丘を転がっていく。敵兵も、長槍を駆使して必死に反撃を試みている。剣戟の音が、戦場に響き渡る。
いつの間にかセンジュは前線を離れ、銃兵たちに指示を与えていた。そして自分も銃を構えて射撃を繰り返している。銃口の先には、敵の指揮官らしき帽子を被った男の姿があった。
他の銃兵たちも散開して、寝そべった体勢で射撃を繰り返している。センジュが仕込んだ寝撃ちとやらに違いない。
アタシも思い出したように銃を取り出して、構える。狙いは砦で指示を出している、あの羽帽子の男。ここからは二百歩ほどの距離。動かなければ、アタシなら、当てる。
風向き、やや追い風、よし。装填済みの銃を構えて、優しく引き金を引いた。
◇
敵陣のある丘は、今や両軍の兵士で埋め尽くされていた。長槍の穂先が、柄が、激しくぶつかる。もう誰も丘を転がり落ちる兵士に目を向けようとはしない。上の、さらに上の敵陣地を目指して、アルレーン軍は遮二無二丘を駆け上がっていく。
こんな乱戦となっては、もう銃を構える余裕もない。例え撃てたとしても、味方に当たってしまうかもしれなかった。
魔法部隊もそれは同様なようで、一時攻撃を止め、攻撃対象を丘のずっと奥に変更しているようだった。丘の向こうにはもう、視界は届かない。統制された緻密な弾幕は影を潜め、ただひたすらに火球を飛ばしている。
センジュはどうやって乱戦から抜け出てきたのか、近衛兵と何やら話をして魔法部隊の方へと去っていった。
オヤジもジャマルも隣でうずうずしているのが分かる。そして、アタシがこの戦場で二人の重荷になっていることも。
歯痒さを堪えて、アタシはもう一発丘に向けて発砲を試みた。無人の草原へと、弾丸は落ちて行く。その銃声も喧騒にまみれてどこかへ消えていった。
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