第四話 野営地にて

 ケンプトへと到着したアルレーン軍は、目下エンミュールを占領しているリガリア軍のもとへ向けて歩みを進めていました。


 各地の傭兵団を加え、その軍勢は一層数を増しています。戦火が開かれてからというもの、わたしもこれほどの軍勢を見るのは初めてのことでした。


 ケンプトの町で傭兵団との交渉を行なっていたというヨーゼフも本軍に合流し、わたしと馬を並べて遠くなってしまった故郷を目指しています。


「この辺りまで来ると、ようやく帰ってきたという感じがしますね」


 辺りの丘陵を見渡して、ヨーゼフが感慨深げに呟きます。幼いころに家族と見たことがあるような、そんな景色でした。


「ええ。もう、一年近くにもなるのですね」


 思い出したくもないエンミュール陥落の知らせから、じき季節が一回りしようとしています。あれから、本当に色々なことがありました。幾度の戦場を越え、生き残ってきたのも全てはこの戦いのため--。


 懐かしい故郷の思い出は、生々しい戦場の光景に隠れて色褪せたものになってしまっていたはずでした。ですが改めてこのエンミュールへの道を辿ると、こう胸に込み上げるものがあります。


 ですが、ここはまだ戦場。わたしは微かに湧いたその懐郷の気持ちにそっと蓋をして、手綱を強く握るのでした。


 ◇


 エンミュールの町まであと一日弱の地点へと辿り着いた辺りで、ようやく日が暮れ出しました。故郷の方角に赤い日がゆっくりと落ちて行きます。本日はこの辺りでアルレーン軍は野営をするつもりのようでした。


 ヨーゼフと別れ魔法部隊の皆と灯りを囲んでいると、どこか賑やかな一団が通り過ぎて行きます。戦場に向かうにはやや陽気すぎるその雰囲気に、眉をひそめる者までいるほどです。


 その先頭を馬を曳きながら歩くのは、腰に長剣を下げた、見覚えのある黒髪の青年でした。


「あら、キーレではないですか」

「む。おんし、まだ戦場ユッサバにおったか」

「ええ、成り行きですが、まだ」


 そういえば、キーレにはわたしが従軍していることを伝え損ねていました。どこか呆れたような、悲しいような顔をしているキーレの後ろを、彼の傭兵団が通り過ぎて行きます。


「……。おんしもこっで野営でごわすか」


 魔法部隊の面々は、わたしが傭兵団と知り合いなことに驚いているようです。灯の周りがざわめきたちます。


「ええ、わたしは魔法部隊の皆と。キーレの部隊は、どこに宿を構えるのですか」

「そいが、決まっちょらん。どこもかしこもあるれーんの軍でいっぱいでの」


 おいたち傭兵団は退けもんじゃ、と面倒そうに吐き捨てています。


「この辺りであれば、少し場所が取れますよ」

「おお、そいはありがたくごわすな」

「ちょっと隊長、流石にこの連中とは--」


 抵抗感を露わにする隊員を差し止めるように、わたしはキーレの傭兵団の一行を隣へと案内してあげました。傭兵団だからといって邪険に扱うのは良くありません。彼らもまた、同じ戦場で肩を並べるもの。わたしたちの命を守ってくれるかもしれない人々なのです。


 それから、キーレの傭兵団には個人的に興味がありました。あの彼が居心地の良さを感じるような傭兵団とはどのようなものなのか、少し話してみたくなったのです。


「野郎ども、魔法部隊の方々のご厚意に甘えることにして、今日はここで夜を越すぞい」

「ヤー、親父殿」


 立派な顎鬚を蓄えた男性の大声に従って、団員たちは野宿の準備を始めました。どうやらこの大声の主が、キーレの言っていた団長さんのようです。


 傭兵団というだけあって、団員たちは皆頑強な体格をしていました。皆、軽々と片手に弓や槍といった武器を担いでいます。ここには場違いな少女まで、銃を担いでせわしなく働いているようです。


 その準備の様子をひとしきり眺めた後で、わたしは先ほどの団長らしき人に話しかけてみることにしました。


「あの、あなた様が傭兵団の団長さんですか」

「おお、ご迷惑をかけてしまいましたのう。どうもうちの団員たちは騒がしくていけませんなあ」

「いえ、お気になさらず。同じ戦場に向かう者どうし、ゆっくりしていただければ」


 声が大きいのはかないませんが、どうやらこの団長さんはなかなかに人当たりが良い方のようでした。


「ワシは団長のニクラスといいます。ちいと事情がありまして、アルレーン本軍と合流することになってしまいましてのう」

「あら、そうなのですか。こう雰囲気が違うと、大変でしょう」

「実はまったくその通りですわい。賑やかな連中ばかりでして」


 ガハハ、と豪快に笑い飛ばす団長さんのもとへ、キーレが戻って来ます。


「キーレ、この方があなたを助けてくれたという団長さんなのですね」

「で、ごわ。ニクラスさぁには御恩がありもす」

「サツマ殿、この女性もまた、お知り合いなんですかのう」

「え、ええ。マリア=アンヌ=エンミュールと言いまして、この魔法部隊の隊長を務めています。キーレは士官学校で、わたしの従者をしてくれていたのです」

「なるほどのう。あなた様が、例の」


 どうやら団長さんはわたしとキーレの関係を知っているようでした。キーレが自分のことを話すとは思えませんので、ヨーゼフあたりから聞いたのでしょうか。


「キーレが、長い間お世話になったと聞いています」

「キーレ、とはサツマ殿のことでしたな。いやはや、お世話になっているのは我々かもしれませんぞ。こと戦になるとサツマ殿は頼りになりますからのう」


 団長さんは、頭を下げるわたしをキョトンとした顔で見ています。貴族に頭を下げさせてはならないと思ったのか、慌ててとりなそうとして気まずい沈黙が流れてしまいました。間を取り持つべきキーレはじっと黙ったままです。こういうところは、変わっていません。


「キーレは傭兵団のことを、本当に楽しそうに話してくれるんです」

「ほーう。あの無口なサツマ殿がですかい」

「よっぽど楽しい日々だったのだと思いますよ。わたしといたときは、堅苦しい学校生活か、戦場かでしたから」


 それにあのころ、キーレはまだプロシアント語に慣れていませんでした。相変わらず不思議な訛りではありますが、随分と流暢に話せるようになったなあと、感心したものです。


「実はワシもサツマ殿の過去については、てんで知りませんでして」

「キーレは、自分のことを話してくれませんからね」

「辺境伯様どころか司令官様とまでお知り合いとは、もうたまげたもんですわい」

「彼らとは学園から一緒でしたから、親交があるのですよ。一緒にガラル砦で戦ってもいますし」


 傭兵団でも相変わらず、キーレは身の上話をしていないようです。ここまで口を閉ざしていると、何か理由があるのかとまで勘繰ってしまいます。


 そういえば、砦でともに戦った学友たちも今回の作戦に参加していました。皆、それぞれに部隊を率いてこの野営地のどこかにいるはずです。


「サツマ殿とは、どうやって知り合ったんで」

「それがですね、野盗に襲われたわたしを助けてくれたのです。それも傷だらけの体で」

「ははあ。なんとも、サツマ殿らしいですなあ」

「ところが本人はどこから来たのかもわからないらしくて。あのときは言葉も通じないので、苦労しました」

「なんと、サツマ殿はプロシアント語を知らんかったのですかい」

「ええ、軍部の人が一生懸命教えてくれたのですが、どうしてもあの不思議な訛りになってしまって」


 そういえばガラル砦の戦い以来、フランツさんはふっといなくなってしまっていました。おそらく帝都の方へ戻ったのだと思いますが、元気にしていますでしょうか。


「サツマ殿は傭兵団の連中ともよくやっておりますぞ。銃の指導なんかも丁寧にしてくれおる」


 あのキーレが、傭兵団の指導にあたっているとは驚きです。士官学校のころは皆の後をトコトコと付いて来ていたのに。少し昔を思い出して、なんだかおかしくなってしまいました。


 ◇


 わたしたちがキーレの話で盛り上がっている間に、周囲はとても賑やかになっています。どうやら、傭兵団の者がお酒を振る舞いだしたようでした。


 隊長として厳しく注意するべきところかもしれませんが、明日の戦いに備えて士気を高めておくのも悪くありません。案の定、傭兵団を遠ざけていた魔法部隊の面々も、お酒と聞いて身を乗り出しています。


「親父殿、一部の者が酒を隠し持っていたようです。アルレーン軍の前ですし、止めますか」


 一際冷静な団員が確認を求めて声をかけてきました。困ったようにこちらを見てくる団長さんに、わたしも隊長としてこう答えておくことにします。


「せっかくですので、皆で飲んでしまいましょう。明日は命を預ける身です。他人より、杯を交わした相手の方が良いのではないでしょうか」


 団長さんは、ほうと驚いた表情を見せると、満面の笑みを浮かべて傭兵団のもとに飛び込んで行きました。


「隊長様のお許しが出たぞ、野郎ども! せっかくの酒じゃ、回せい回せい」


 どこから出して来たのか、次々と酒瓶が魔法部隊の面々にも配られていきます。いいんですか、という目をした隊員によく見えるように、わたしはぐいっとそのお酒を飲み干しました。


「おおー、良い飲みっぷりだ。アルレーンに置いとくのが惜しいねえ」

「ほれほれ、アルレーンの兵士さんたちも飲みねい飲みねい」


 一杯お酒が入れば、後は言うに及ばずで。魔法部隊と傭兵団の混成部隊が、すっかり出来上がってしまいました。


「俺は魔法ってのを見たことがないんだよなあ」

「そうか、せっかくだしちょっと見せてやるよ、それ、攻撃魔法ファイヤーボール!」


 おおっ、と傭兵団から声が上がります。許可のない魔法の使用は厳しく咎められるのですが、今回は見逃しておくとしましょう。


 隣では陽気に踊る傭兵団の団員に、魔法部隊の隊員が手拍子を取っています。荷物と合わせて持ち込んでいたのか、笛の伴奏付きです。


 こういった息抜きも、時には必要なのでしょう。せめて明日には響かない程度に留めてもらわねば困るのですが。


 奥の方ではいつの間にかキーレもお酒の席に参加していました。魔法部隊と楽しそうに盃を合わせています。


 それを見て、わたしは士官学校での生活を少し思い出していました。あのときもゲルトさんが、お酒をこっそり出していましたっけ。ほんのりと、目頭が熱くなります。


 アルレーン軍では珍しい野営地での宴会は、しばらく続きました。明日は戦地。故郷エンミュールは、すぐそこです。

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