閑話 悍馬に乗れ!

 ある日、オヤジが乗れもしないのに馬を一頭、手に入れてきた。どうやら馬車馬にでもするつもりらしい。さっそく無駄遣いをしたことをジャマルに咎められている。


「また要らないものを買ってきて。どうするつもりなんです、この馬」

「だって、安かったんじゃよ。普通の半値ほどでのう。馬車馬にでも使えばいいじゃろ」

「とにかく、代金は親父殿の報酬から引いておきますからね」

「そんな殺生な……。皆で使うんじゃし、ええじゃろ、なあ」

「使いものになれば、ですがね。みる限り、相当気性が荒そうですよ」


 オヤジが買ってきたという馬は、荒れ狂っていた。オヤジの馬鹿力でも手綱を抑えられず、団員が二人がかりで必死に暴走を止めている。


 その荒れ具合を見ては、とてもおとなしく馬車を引いてくれそうには思えなかった。


「ほら、去勢すれば気性も落ち着くかもしれんし。そしたら馬車馬にもなるぞい」

「それは一理ありますね。処置の代金はもちろん親父殿持ち、ということで」

「ジャマルぅ……」


 馬車馬には普通、去勢した雄馬が使われる。体力があり、気性の穏やかな馬が適しているのだ。それなら確かにこの馬にもまだ使い道があるかもしれなかった。


 遠くから馬を見ていたマルコが駆け寄ってくる。そしてジロジロと荒れ馬を観察した後、一言、呟く。


「こいつ、メスっすよ。多分」

「な、なんと……」


 ◇


 それからこの雌馬をなんとか躾けるべく、様々な団員たちが挑んでいった。


「よし、まずは俺だ。見てろよ、まずは優しくだな--」

「ヒヒヒーーーン!」


 跨ろうとした団員は、ものの見事に振り落とされてしまった。おまけに後ろ足で砂までかけられて、見るも無惨な姿で地に伏している。


「ねえ、乗るにしてもさあ、先に鞍と鎧を付けないと話にならないんじゃないの?」

「それだお嬢、誰か鞍と鎧を持ってこい!」

「そんなもん、この傭兵団にあるわけないだろうが。誰も馬に乗れんのだぜ」

「じゃかあしい! ないなら作るしかねえだろ。ミスラロフ、ミスラロフの野郎はどこだっ」


 可哀想なミスラロフは、事情もろくに説明されないままこの悍馬の前に連れてこられてしまっていた。


「そういえばアイツ、馬はどうなんだ。ギリギリ武器、にならんか?」

「鞍とか鎧なら、いけるかもしれないっす」

「おい、見ろ。アイツ、近づいていくぞ」


 団員が見守る中、ミスラロフはゆっくりと正面から馬へ近づいていく。その手にはこれから鞍に加工するつもりなのか、大きな鉄版を抱えている。


「--嗚呼、美しい! その毛並み、その脚線美、まさに神が使わした天馬そのものです、その瞳、黒真珠を思わせるその瞳には誰もが魅了されるに違いありません、当然この私めも!」


 あ、豹変した。ミスラロフのやつ、どうやら馬でも問題ないらしい。


「アイツ、馬でもいけるのか……。ますます人間離れしていくなあ」

「でも、武器より馬の方が、まだ人間に近いっすよ」

「それは確かにそうなんだが……。おい、アイツ何かやる気だぞ」


「恐れ多くもこのミスラロフ、あなた様に鞍を作って献上したいと思います、ええめっそうも無い、私ごときが乗ることはございません、あなた様の美しさをより華麗に、より耽美にするお手伝いをさせ--ぐばぁっ!」


 哀れなミスラロフは、くるりと反転した雌馬に蹴り飛ばされて宙を舞ってしまった。


「おいおい、大丈夫か? 結構な距離、飛んでったぞ」

「だが、馬の気持ちもわからんでもない。俺でも、ああする」

「おーい、ミスラロフ、生きてるかー」


 ミスラロフはなんとか、鉄板を盾に生き延びていた。抱えていた鉄の板にはくっきりと蹄の跡が刻まれている。


「ミスラロフ、大丈夫? 骨とか、いってない?」

「無事、です。お嬢」

「あいつらの悪ノリに付き合っちゃ、ダメだよ」

「それはそう、です。が、鞍は作り、ます。絶対、に」


 どうやら創作意欲を掻き立てられてしまったらしい。ミスラロフはふらふらとどこかへと去っていった。もしかしたら、町の鍛冶屋にでも向かったのかもしれない。


「おい、次は誰が行くんだ?」

「うーし、三番マルコ、いきまーす」


 今度はマルコが挑戦するようだった。舌なめずりをして、雌馬の方に向かっていく。


「おお、やれいやれい! 一番初めに乗りこなしたもんには、賞金を出すぞい」

「いいんですか、親父殿」

「男に二言はねえ! ニクラス傭兵団が馬一頭に負けたとなっちゃあ大恥よ! お前ら、男を見せてみろい!」

「ヤー! 親父殿!」

「ねえ、それって自分の失態を隠そうとしてない?」


 戦場でも聞けないような大歓声が上がった。皆、目の色が変わっている。次は俺だとばかりに、雌馬の前に大行列ができてしまった。


 ちなみにマルコはあっさりと振り落とされ、なんと小便までかけられてしまっている。不憫なマルコは、泣きながら水場の方へ歩いて行った。


 ◇


 それからニクラス傭兵団の荒くれ者たちが何人も挑んではみたものの、乗りこなすどころか跨がることができたものさえいなかった。団員たちが肩で息をする中、雌馬は汗ひとつかかず涼しい顔をしている。


「くそっ、こいつ、なんて強情なんだ……」

「これだけのいい男が言い寄ろうってのによお」

「親父殿、もう、無理ですよお。金はいいから、買ったところに返して来ましょうよお」


 とうとう弱音を吐く団員まで出始めている。ここまで団員たちの心を折るとは、この馬、なかなかやるかもしれない。


 そもそもの話、団員たちは馬に乗ることが不得手だ。というより、乗れるものがいない。テロルランドではその山がちな地形もあって、馬での移動に適していないのだ。


 おまけに馬は牛と違って高価でもある。アルレーンには余るほどいるそうだけれども、テロルランドでは貴族用のものしか出回っていない。生まれてこの方、馬なんて触ったこともない者がほとんどだった。


 そんな絶望的な状況の中、アタシはあることを思い出した。


「どうかしたっすか、お嬢」


 着替え終わって戻ってきたマルコが、疲れた表情でアタシに話しかける。まだ匂いが残っているので、正直あまり近くに寄ってこないでほしいのだけれど。


「センジュ! あいつ騎兵だったんじゃん!」


 そう、まだニクラス傭兵団には、最後の希望が残されていたのだ。


 ◇


「で、おいが呼ばれたわけでごわすか」

「頼むよセンジュ。もうセンジュしか残ってないんだ」

「そうだ、頼む、サツマ殿。俺たちの誇りを守ってくれ」

「ミスラロフの仇を、討ってやってくれ」

「どうかワシの報酬も、救ってやってくれい」

「おっと親父殿、それはいけません」


 ジャマルに懇願しているオヤジは放っておいて、皆がセンジュを祈るような目で見つめている。


 センジュは雌馬に近寄り、じっと見つめると--。


「鞍と鎧が、のうごわすな。こりゃおいでも無理じゃ」


 あっさりと白旗を上げたのだった。


「くそう、やはり無理じゃったか……」

「では親父殿、しっかり後始末をつけてくださいね」

「ぐぬぬ……仕方、あるまい……!」


 オヤジが諦めてその馬を返しに行こうとしたそのとき。


「待っ、た。その馬、返す前に、これ、を」


 息も絶え絶えのミスラロフが、鞍と鎧を抱えて走って来たのだった。


 ◇


「異人殿、こちら、鞍と腹帯、そして鎧、です。サイズは、合う、はず」

「ミスラロフ、もういい、喋るなっ」

「ああ、お前はよくやったよ」

「あとはサツマ殿に任せようぜ」


 団員たちは今にも倒れそうなミスラロフを抱え、センジュと雌馬を見守っている。


「どう、どうどう。ほれ、怖かなか」


 センジュはゆっくりと馬を撫で、その背に鞍を載せてやった。そして落ち着かない様子のその馬を宥めながら、腹帯を締めていく。


「よしよし、よか子じゃ、おいをそん背に、載せてたもんせ」


 そして、手綱を手に軽々とその背に飛び乗ってしまった。


 振り落とそうと暴れ始める馬の上で器用に上体を維持し、竿立ちになった馬を余裕を持って制御している。


 ようやく、その馬はセンジュを主人と認めたようだった。大人しく、センジュの手綱捌きに従って歩いていく。


「ほおー、見事なもんじゃのう。こうも暴れ馬が大人しくなるとは」

「これでなんとか、使い道ができましたね、親父殿」


 団員たちが感嘆の声を漏らす中、センジュは馬から飛び降りると、優しくその頭を撫でてやっている。先ほどまでの暴れ様が嘘のように、雌馬は気持ちよさそうにセンジュに頬を寄せていた。


 ◇


「とりあえず、あの馬はサツマ殿に預けることにしようと思う」

「意義なーし!」


 その後、他の団員たちが再度乗馬に挑戦したが、雌馬はセンジュ以外をその背に載せることはなかった。


 久しぶりに馬に乗れたのが嬉しかったのか、センジュは珍しくずっと笑顔を見せている。


「それにしても、あの暴れ馬をなんとかしてしまうとはのう」

「俺なんて、小便かけられたんすよ。くそっ、まだ匂いがついてらあ」

「まあ、サツマ殿はとっくにジャジャ馬を手懐けてますからね。悍馬一頭従えても、不思議ではありません」

「……。それも、そっすね」

「え、どうしてみんなアタシの方を見てんの?」


 ニヤニヤ笑う団員たちの向こう側で、センジュは楽しそうに馬を走らせていた。

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