第十話 顛末

 リガリア軍の追撃は、存外に手ぬるいものでした。退却の途中に何度か接敵することはありましたが、騎兵部隊が追い払う構えを見せると、すぐに引っ込んでいきます。


 何かに怯えているのか、それとも砦を占拠したことで満足したのか、それ以上激しい追撃が来ることはありませんでした。


 そうしてリガリア軍の追手を振り切り、西方都オルレンラントへやっとの思いで退却したわたしたちを待っていたのは、城内の予想外の歓声でした。まるで戦争に勝利したかのように、街中の人が手を振って兵士たちを迎えてくれています。


「これはいったい、どうしたことだ」

「てんで、想像がつきませんでしたねえ。てっきり、厄介者を抱え込むもんかと」


 バスティアン様もギドさんも、場内の意外な反応に戸惑いを隠せません。


 しかし、その理由を考えるほどの余裕は、ありませんでした。夜通し駆け通したわたしたちには、つまらないことに思考を割くほどの余力も、残っていなかったのです。


 豪華な宿舎を用意されたわたしたちは、そのまま、崩れ落ちるように眠りについたのでした。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。久しぶりに柔らかなベッドで、わたしは早々に目を覚ましました。


 もう、兵士たちの突撃の声は聞こえてきません。弓矢の降る音も。魔法攻撃の音も。地鳴りがするような、騎兵部隊が駆ける音も。


 とても静かな朝でした。


 ぶらぶらと宿舎の庭を歩いていると、朝早くから訓練をしている兵士たちを見かけます。その中に彼がいる気がして、しばらくじっと見守っていました。この街には、早朝から絶叫と共に長剣を振る少年など、見当たりません。


 静かな朝が、こんなにも寂しいものだとは知りませんでした。


 ◇


 それから、何気なしに宿舎の食堂に集まったわたしたちは、久しぶりのゆっくりとした朝食を摂ることができました。


 といっても、食事は喉を通りません。少し水と果物だけを口にして、しばらく佇んでいました。


 その後しばらくすると使いの者がやって来て、オルレンラント侯爵、つまりバスティアン様のお父様から呼び出しがあったことを伝えられました。


 侯爵は城の執務室にいらっしゃるということなので、慌てて水浴びをして旅塵ならぬ戦塵を落とし、用意された礼服を着て城を目指します。


 この街に不慣れなわたしたちを、バスティアン様が先導してくれていました。街に入っても眠れていないのか、目の下に大きなくまをつくったままです。


「この街は、平和なままだな」

「そうですね、若」

「リガリア軍は、ここにも攻めてくるだろうか」

「はい。おそらくは、いずれ」

「当分は、戦争だな」

「これも時代ってやつですかねえ」


 繰り出される不穏な話題とは裏腹に、バスティアン様はどこかホッとした表情をしていました。


 ◇


「よくやったと、とりあえずは褒めておこう」

「父上、今はそれどころでは……!」

「リガリア軍のことは心配いらん。守りは万全だ。攻めてこようが、じきに引き返す」

「そんな、悠長なっ……」

「君たちは、安心して休んでおくといい。何か必要なものがあれば、言いなさい。それぐらいの働きはしてくれた」

「父上っ……!」

「心配いらん、と言ったではないか。それに、今の君たちが戦力になるとは、到底思えん」


 オルレンラント侯爵は、自信があるのか、リガリア軍の侵攻にもまったく落ち着いていました。ガラル砦での戦闘を簡単に報告しただけで、わたしたちは再び宿舎での待機を余儀なくされたのです。


 戦争の足音が、再び近づいているのを知りながら。


 ◇ ◇ ◇


 それから数日後。城壁の外で戦闘が始まったようですが、わたしたちは完全に蚊帳の外にいました。街の人々も慌てることなくいたって普通にしていて、時折聞こえてくる鬨の声や攻城砲の轟音を除けば、ここが戦地であることをまったく感じさせないほどです。


 リガリア軍の侵攻を聞いたオルレンラント侯爵は、真っ先に城壁の防備に手を付けたと聞いています。例え百万の兵で囲んでもこの城は落ちない、と自慢げに話していました。


 宿舎での生活は、いたって気楽なものです。特にやることもないので、魔法の訓練に参加したり、読書をしたり、編み物をしたりしながら過ごしています。


 彼はまだ、姿を見せません。


 ◇ ◇ ◇


 そんな日が数日続いた後、リガリア兵が撤退したとの報告が飛び込んできました。


 なんでも、わたしたちがガラル砦で戦っている間に、オルレンラントでは周辺の春小麦の畑を、麦がまだ青いうちに全て刈り取ってしまったんだとか。


 現地調達の食糧を期待していた敵の大軍はそれを見て意気消沈し、兵糧不足で冬を前に退却してしまったそうです。


 侯爵の戦略的な見事な勝利だ、と街では持て囃されていました。


 しかし、そんなことは今のわたしにはどうでもよく。ただ、彼がひょっこりと顔を出すのを待っていたのでした。


 ◇ ◇ ◇


 リガリア兵が去ってしばらく後、ここ西方都では街をあげての祝勝の祭典が開かれました。


 わたしたちガラル砦帰りの兵は、儀礼用の白馬に乗り、街の大通りを歩くことになります。憧れの眼差しを向ける子どもたちに必死に笑顔を返しながらも、わたしは早くこの祭典が終わらないものかと考えていました。


 叙勲式は城内の大広間を使って行われます。バスティアン様はなんと、伯爵になられるそうです。これからは爵位を付けてお呼びしなければなりません。


 儀式用の華麗で窮屈な衣装にわたしが苦しんでいると、控えの間で話している主従を見つけました。


「なあ、ギド。俺のやったことは何だったんだろうな」

「何です、若」

「いたずらに兵を集め、そして殺した」

「……」

「その結果が、伯爵位だとよ」

「……それは、若の功績があってのことで」

「こんなものがあっても、お前の腕はもう動かない。ゲルトも、キーレも、帰って来ない」

「それは……」

「戦争が続けば、この苦しみから目を背けられると思っていた。だが、この有様だ。父上は、それは上手くやったんだろうよ。犠牲は少ないに越したことはない……!」

「……若。強くなりましょう。この苦しみがわかる人が上にいるだけでも、救われるってもんです」

「ギド、俺は。俺は……っ!」


 ガラルで戦った兵たちの悲しみを隠すように、叙勲式は豪華絢爛に行われました。そしてオルレンラント侯爵から、主だったものは直々に勲章を受け取ることになります。わたしも、その一人でした。


「マリア=アンヌ=エンミュール嬢。君もよく、戦ってくれた。これは、感謝のしるしでもある」

「--んなものが」

「ん?」

「こんなものが、何だって言うんですか」

「おい、マリアンヌ、待て--」


 止めに入るバスティアン様を遮るように、わたしの口が動いていきます。


「欲しいものなら他にあります。私の父を、キーレを、返してください。返して、くださいよ……!」


 お付きの者が慌てて引き離すまで、わたしは延々と嘆願とも恫喝ともとれない言葉を並べていたのでした。


 ◇


「すみません。侯爵様の前で、とんだご無礼をはたらいてしまって」

「いや、いい。気にするな。それに、あれには俺も胸のすく思いだった。父上は、俺たちの痛みと苦しみを知らん」

「そう、ですか」

「それよりだな。言いにくいのだが……」

「……? 何でしょう」

「墓を、つくってある。ガラルで命を落とした者のだ。よければマリアンヌ、君にも、手を合わせに行ってやってほしい」

「……!」

「若に変わって申し上げますがね、砦周辺には調査のものを何度もやっているんです。それでも見つからないってことは、それは」

「そんな……!」

「気が向いたらでいい。ただ……。君が来た方が、彼も、きっと喜ぶだろう」


 ◇ ◇ ◇


 ◇ ◇ ◇


 オルレンラントをぐるりと囲む城壁の脇に、小さな丘があります。


 そこにはガラル砦で命を落とした数百の兵士を弔うお墓が、麦畑を見下ろすように建てられていました。


 その中に、一際大きな墓標と、一際小さな墓標が並ぶように二つ。


 小さな墓標には、ついに渡せずじまいだったマフラーが、結ばれています。


 彼の欲しがっていた、丸に十字の紋章を、ひらひらと風に翻して--

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