第八話 闇夜の別離

 先日の夜襲の功績を踏まえて、キーレは正式にゲルトさん亡き後の騎兵部隊を率いることになりました。地位が上がれば面倒ごとが増えるのは戦場でも同じのようで、いつもの無表情で本営の軍議に参加しているようです。


 そしてその軍議の帰り、でしょうか。ローターさんに先導され、キーレとギドさんが魔法部隊のもとに姿を現しました。


「見たまえ、これが、我が魔法部隊の全容だよ」

「皆、よかまなこばしとるのう」

「そう言ってもらえるとは光栄だ。皆、少し集まってくれないか」


 なんだろう、とわたしも含めて部隊の面々がローターさんの前に整列します。


「先ほどの軍議で、魔法部隊の諸君と試してみたいことができてね」

「そうおっしゃられても、我々に新しいことをする余裕はありませんよ」


 副隊長が不満げにローターさんへ言葉を返します。


「そう言わずに、話を聞いてくれたまえ。これまで魔法部隊は、合図があるとはいえ、各自銘々に攻撃を放っていた」

「攻撃対象の指示はありますが、その通りです」

「だが、その方法では命中率は個人の熟練度に依存してしまう。そこで、異なる運用案を、そこのキーレ騎兵隊長が持ってきてくれたのだよ」

「む。お力をば、貸したもっせ。遠か敵ば、狙ってほしか」


 キーレの言う新しい魔法部隊の運用とは、一言でいうと、精密遠距離攻撃でした。


まず一人が目標に向かって魔法攻撃を行い、観測役が着弾点を確認する。それを基準に照準を修正し、今度は部隊で一斉に目標への攻撃を行う。攻撃が成功すれば、また新しい目標へをして、照準修正後に一斉攻撃を--。


「早い話、弓隊でもたまにやってる戦法を、魔法部隊でもやってみようつうわけでさあ」

「と、いうことだ。魔法攻撃の射程と威力なら、甚大な被害を敵に与えることができるだろう」

「しかし隊長、観測役とやらはどうします。遠くの着弾を正確に見ることができる者が、この部隊におりますでしょうか」

「それはあっしに任せてくだせえ。腕はやられたが、まだこの両目は死んじゃいねえ。目の良さに関しては自信がありますぜ」


 ◇


それから、ギドさんも含めて魔法部隊の演習が始まりました。キーレも黙って訓練を見守っています。夜襲で大打撃を受けたであろう敵軍が再び攻めてくる前に、なんとかこの新戦術をものにしなければなりません。


「着弾、確認。目標から前方に五十歩、右に三十歩、ズレてます」

「よし、修正しよう。むむ、だいたい、このぐらいだろうか」

「再度着弾を確認。今度は後方に二十歩、左に十五歩、てところで」

「マリア=アンヌ君の精度が高いな。君はどうやって攻撃を修正しているのだい?」

「ええ、と。着弾のずれと目標の距離からおおよその角度を割り出して、正確な軌道をイメージしています」

「ほう、もしかして、君、数学が得意だったりするかな」

「学校ではそうでした、けど」

「よし、照準の修正はマリア=アンヌ君に任せる。ギド殿と連携して、うまく調整してくれ」


 何やらわたしにも重要な役目が与えられてしまいましたが、全うするほかありません。


 その後しばらく訓練を続けるうちに、射程も、命中精度もなかなかのものになってきました。わたしの頭も、疲れ果ててぐるぐると回っています。


「これなら、実戦でも使えるな。副隊長」

「はい。我々魔法部隊の強さを、敵軍に知らしめてやりましょう」

「ギド殿も、キーレ騎兵隊長も、ご苦労だった。我が魔法部隊の活躍を、楽しみに待っていてくれたまえ」


 うむ、とキーレが頷きます。そういえば彼は、ずっと魔法部隊の訓練を眺めていただけでしたが、騎兵部隊の方は大丈夫なのでしょうか。


 ◇ ◇ ◇


 更なる援軍の到着で息を吹き返したリガリア軍に対しても、魔法部隊のは非常に有効でした。弓部隊や新兵器部隊、兵糧部隊を遠距離から狙い撃ちすることで、敵の攻撃は歩兵中心の単発なものになります。それであれば砦の地の利を生かしつつ、余力を持って撃退することができるのです。


 ゲルトさんを失って勢いを落としていた騎兵部隊も、思う存分暴れ回っています。そしてそれを率いているのは、遠目にもわかる小さな兵士でした。


 そして戦況有利のまま、バスティアン様を中心に軍議が始まりました。今回はわたしも新戦術の成果の報告として、ローターさんに帯同しています。


 魔法部隊が存外の成果を上げていることに、ローターさんはすっかり上機嫌で報告をしていました。場の空気も、皆どこか安心したように落ち着いています。


 オルレンラントからの急使が到着するまでは--。


 ◇


「オルレンラントから、急使が参っております。通してもよろしいでしょうか」

「構わん、通せ。この場で話を聞く」


 皆、待ちに待った援軍の知らせと信じて疑いませんでした。


 しかしその内容は、わたしたちの期待とは全く逆の、撤退を命ずるものだったのです。


「撤退? 確かか? 父上はとち狂ったか! 我々は今押しているんだぞ!」

「間違いありません。オルレンラントまで撤退せよ、と侯爵様は仰せです」

「馬鹿を言え。父上は戦況をご存知ないのだ。そうに、そうに違いないっ……!」


 援軍があれば確実に押し返せるというのに、とバスティアン様は憤りを隠せません。確かに、戦場を有利に進めているのは我々です。この命令はいささか不条理なものに感じられました。


「くっ……。しかし命令は、命令だ……。釈然としないが、従うほか、あるまい」


 唇を噛みながら、悔しさを滲ませるように呟きます。


「退却戦は、きついですぜ、若。何せ背中を敵さんに見せなきゃなんねえ」

「……ここぞとばかりに、追撃をかけてくるだろうな」

「侯爵代理。急いで準備をさせましょう。時間をかけると、敵軍に勘付かれます」

「その通りだ、男爵。よし、全軍、直ちに撤退の準備にかかれ。実行は、日が落ちてからだ。我が軍は、闇夜に紛れてオルレンラントまで撤退する」

「はっ」


 こうして、辛くて長いオルレンラントへの撤退が、始まったのでした。


 ◇ ◇ ◇


 日が落ちるや否や、わたしたちは北東へ向かって退却を始めました。まずは、魔法部隊と主要な指揮官が。続いて弓隊、歩兵部隊が。騎兵部隊は側面の援護に回っています。


「どうか敵さんが気付いてくれないといいですがねえ」

「それはもう、天に祈るのみだな」

「やれることはやりました。後はもう、若の武運を信じるだけでさあ」

「違いない。急ごう、馬の足を潰さんようにな」


 焦って馬を駄目にしてしまっては元も子もありません。限界まで急がせつつ、かつ馬を潰さないようなぎりぎりの速さで、わたしたちは夜中の行軍を進めていました。


 ◇


 夜空に月が顔を出し始めた、それからまもなくのこと。


「バスティアン侯爵代理、報告です。敵兵が砦に向かって進軍しています」

「くそ、早いな。もっと待っていてくれればと思ったが」

「砦にはまだ人数が残っていたはずですが。若、どうします」

「どうもこうもない。このまま、駆けるしかあるまい」


 敵軍が追撃をかけてきたのです。偶然夜襲をかけようとしたのか、退却の微かな兆候を見逃さなかったのか、何にせよ的確で迅速な判断です。そしてそれは、わたしたちにとってはこれ以上ない不幸な行動でした。


 わたしたちが馬足を早めようとした、その時。後方から一騎、一人の兵士が馬を飛ばして近づいてきました。


 下馬して駆け寄ってくる兵士に、わたしたちも一度馬の歩みを止めます。


「大将どん、キーレでごわ」

「キーレか!? どうした、何かあったか」

「後ろん火ば、敵兵じゃな」

「……そうだ、気付かれた。キーレ、お前も急げ。追いつかれる前に、逃げ切るほかない」


 そうか、と納得した表情でキーレは、極めて冷静に告げるのでした。


「おいに、殿しんがりば、行かせてほしか」

「キーレ、お前……!」

「こんままでは、追っつかれもそ。ダイかが残って下知せねば、危うか」

「それは、その通りだ。だが……」

「大将が討たれれば、ユッサば負ける。ユッサば負ければ、国が滅ぶ。そいが、道理ぞ」

「……死にに行くようなものだぞ」

「おいには戦場ユッサバが住処じゃ。こっで生き、こっで死ぬ」

「駄目だ、お前では。ゲルトにも、マリアンヌにも合わせる顔がない」

「止めても無駄じゃ。おいは、行く」

「待って! だめ、だめです。あなたが行ってしまっては……!」


 わたしは慌てて馬を降り、馬に飛び乗ろうとしたキーレを強引に止めようとしました。去ろうとする彼の左腕を、力の限り掴んで--。


 しかし、そんなわたしの手を、彼は振り払うのでもなく、そっと優しく撫でるのでした。


「……綺麗な手じゃ」

「こん手は戦場ユッサバで、汚れてほしく、なか」

囲炉裏いろりん横で、編み物ばしていて、ほしかなあ」


「キーレ……」

「そいじゃ、達者での」

「キーレ、俺たちはオルレンラントで待っているからな! 街道を北に進めば追いつくはずだ。必ず、必ず生きて帰ってくるんだぞ! いいなっ!」


 そのままそれ以上言葉を交わすことなく、キーレは颯爽と馬首を返し、暗闇へと去ってしまいました。



 それから、彼が、わたしたちの待つオルレンラントに帰ってくることは、ありませんでした。

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