第六話 タネガシマ

 ガラル砦は、相変わらず血の匂いに満ちています。リガリア軍は砦に向かって攻撃を続け、砦のアルレーン軍が応戦する、そんな光景が連日ずっと続いているのです。


 砦にとりつこうとする敵兵を、弓の雨が襲います。火球が特大の霰のように降り注ぎます。


 わたしは、ただ指示された方向に攻撃魔法を放つだけ。敵兵の顔が見えるほどの距離になっても、それは変わりません。ただ、敵に向かって放つだけ。


 一瞬、杖を向けた先の敵兵と目が合った気がしました。きっと気のせいです。気のせいでなければ、困るのです。


 もう、人を撃っていることを何とも思わなくなってしまうほど、わたしの心は冷たく無機質になっているのでした。


「目標、左前方敵歩兵! 攻撃魔法、放て!」


 そしてまた、号令が戦場に響きます。


 ◇


「今日は、ちと押しとるようじゃな、ゲルトさぁ」

「そうだな、俺ら騎兵部隊も暴れがいがあるってもんだ」

「報告、報告です! 敵部隊が撤退を始めました!」

「そんなことは見てりゃわかる。よおし、暴れるぜ」

「誘っちょるようにも、見えっがの」

「問題ねえ。誘いだろうが何だろうが、軟弱なリガリア兵如きにこの突撃が止められるもんかよ」

「……む。承知じゃ」


「ガハハハハ! 俺の愛槍の錆になりたいやつはどいつだ!」

「……妙じゃ。敵が、怯えとらん」

「どうしたキーレ。置いていくぞ」

「のう、ゲルトさぁ。一旦引っ返して--」


 ◇


 魔法部隊に休む暇はありません。最近は弓への防御は大盾を構えた歩兵部隊に任せ、ただひたすらに号令のもと、機械のように攻撃魔法を撃ち続けるのみです。そしてまた、突撃をかけてくる敵兵が見えます。指示通り、杖を構え、詠唱。体内のマナが尽きるまで、これの繰り返しです。


 こちらの攻撃魔法に怯んだのか、攻撃対象の敵部隊が退却を始めました。それだけでなく、敵全体が前線を大きく下げていきます。


 それを好機と見たのか、砦から騎兵部隊が飛び出して行きました。きっといつものように、鎧袖一触、敵兵を蹴散らして帰ってくることでしょう。


 ガラル砦に籠る兵士は、皆そう思っていたに違いありません。それだけの迫力と安心感が今の騎兵部隊にはありました。


 そしてその騎兵部隊が敵歩兵に接近しようとした次の瞬間。


 --パァーン、と、冷たく乾いた音が戦場に数度、響き渡ったのでした。


 ◇


「……っ? なんだっ!?」

「ぬかったっ、種子島ば、持っておるとはっ!」

「ぐっ、ぐはっ……!」

「ゲルトさぁ! まずい、立て直せんっ!」

「退け……キーレ……!」

「全員退けぃ、退却じゃ! 死ぬ気で砦ば戻れ! ゲルトさぁは、おいが!」


 ◇


 後々聞いた話によると、この日、リガリア軍にはなる新兵器が配備されていたのでした。まず手始めに、歩兵を蹂躙してくる厄介な騎兵部隊を標的にしたのです。


 銃の存在を知らないアルレーン軍は、この新兵器に大きな衝撃を受けました。弓よりも遠く、魔法よりも手軽に使えるこの武器は、これからまもなく各地の戦場を席巻していくことになります。


 そしてこの時、無敵のアルレーン騎兵部隊は、この戦場で初めての敗北を喫したのでした。


 それは単なる一部隊の敗北というわけにもいかず。ガラル砦の士気を一身に背負っていた騎兵部隊の敗北は、兵たちの気力を奪うのには十分すぎるものでした。


 バスティアン様もその報告を聞いて、馬鹿な、と一言吐き捨てたと聞いています。


 その後、騎兵部隊がやっとの思いで退却してきたとき、キーレは一人、被弾し落馬したゲルトさんを背負って帰ってきたそうです。


 騎兵部隊の被害は、砦に与えた衝撃ほどひどくはありませんでした。軍馬も兵士も、致命傷を負ったものは存外少なかったのです。ガラリア軍も新兵器の扱いにまだ慣れていなかったのかもしれません。ただ--。 


 ゲルトさんは、必死の治療にも関わらず、息を吹き返すことはありませんでした。体を貫いた数発の弾丸が、あの筋骨隆々の兵士の命を奪っていってしまったのです。


 豪雨を合図に戦いが止んでも、キーレはゲルトさんの亡骸の側を、ひとときも離れなかったと聞いています。


 ◇


 その夜わたしは、雨の中キーレを探して砦中を駆け回っていました。騎兵部隊の待機場所はもちろん、病棟、炊事場、心当たりのあるところを片っ端から--。


 このプロシアントに来てから繋がりを持つことが少なかった彼の気持ちが、痛いほどわかるような気がしたからです。大事な人を失うのは、本当に辛いから。


 キーレは砦の裏に一人、雨に濡れながら佇んでいました。彼の視線の先には、人が数十人入れるほどの大きな穴があります。亡くなった兵士たちの、遺体を埋めるためのものです。


「キーレ、あまり無理をすると、風邪を引きますよ」

「……」

「……キーレ?」


 ぽつりぽつりと、誰に聞かせるわけでなく、キーレが口を開きます。


「……種子島の間合いば、知っちょった」

「……敵が誘っちょるのも、分かっちょった」

「すべて、おいの、……慢心じゃ」

「ゲルトさぁは、おいが殺した! ……おいがっ!」


 わたしはその時初めて、彼が震えているのを見ました。戦場であんなに逞しかったその背中が、とても小さく、年相応のものに見えます。


 それは馬に跨る颯爽とした彼の姿とは全く違っていて、本当に、ただの少年が、悲しみを堪えているだけで。


「撃たれるべきは、おいじゃったんに……」

「キーレ、それは、それは違います。少なくともゲルトさんは、そんなことは思っていません」

「……」

「そして、決してあなたを恨んでもいないはずです」

「おいは一人じゃ。悲しむ人など、誰も、おらん」

「わたしが、悲しみます。そして、他のみんなも」

「……!」


 はっとした顔をしたキーレに、わたしは一言、言葉をかけました。


「他には誰も、見ていません。キーレ、あなたも、泣いていいのですよ」

「--っ……! ううっ……、っ……!」


 そっと、この小さな戦士を抱きしめたわたしの胸に、嗚咽か慟哭か、言葉にできない叫びが消えていきました。


 ◇


 ゲルトさんを弔った帰り道。キーレはわたしに、少しだけ自分のことを話してくれました。


 それは、初めて聞く彼の家族のこと--。


「おいには、歳ん離れた兄上アニサァがおっての」

ユッサは強く、学問もようできて、自慢の兄でごわした」

「まだ小さいおいに、いろんなことを教えてくれての」

ンマん乗り方ば、政務の合間を縫って付きっきりで見てくれて、の」

「そんな兄上アニサァも、戸次川へつぎがわで逝ってしまいもした」

「種子島で、撃たれたとば、聞きもす」


「ゲルトさぁは、兄上アニサァに、よう似てごわした」

「どっかん来たかもわからんおいに、一人のおいに、わぜ、優しくしてくれもした」

「隊ん兵児ヘコらも、皆慕っちょった」

「惜しか人ば……失ったのう」


 ぽつりぽつりと、寂しそうに呟きます。墓標のように立てられた槍と剣も、黙ってキーレの独白に聞き入っているようでした。


 そして、キーレはどこか吹っ切れたように暗く深い雨空を見上げました。いつの間にか雨足は弱まり、月が微かに顔を出しています。


「……あいがとごわす。もう、迷いもはん」

「そう、ですか。なら、良いのですけど」

「泣こよか、ひっとべちゅうんが、薩摩ん教えぞ。大将どんはどこじゃ。報告ば、せんと」


 立ち直ったのも束の間。キーレは慌ただしく、バスティアン様を探しに駆けて行きました。

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