第三話 保護と監視

「フランツだ、言ってみな」

「ふらんつ、さぁ」

「そうだ、それから呼ばれたときは敬礼をするんだ。こう」


 例の少年、キーレは普段は来客を案内する特別個室に護送されていました。特別個室とは言っても、寝台に小さな書斎を設けた、簡素なものです。部屋の外には見張りの衛兵さんが剣を下げて番をしています。


 部屋にキーレとともにいるのは、軍から派遣された軍人さんでしょうか。丁寧に整えられた短い黒髪に、長身。顎の尖った利発そうな顔には、灰色の目と鋭い鼻が添えられています。学校の女子生徒がいれば、色めきだって騒ぎ出すかもしれません。


 横でキーレがその真似をして、ブカブカの平服のまま、一生懸命に右手をおでこの前に付けて敬礼をしているのが微笑ましく見えます。


 今日、謹慎中のわたしはどういうわけか、この演劇の練習でもしているような部屋に行くように指示を受けていたのでした。


「これはマリア=アンナ様、自分は帝国軍情報部所属、フランツ=マイヤーであります。この度保護された少年の監視を命じられております」

「フランツ様、はじめまして。魔法科所属、四回生のマリア=アンヌ=エンミュールです」

「いえ、自分への敬称はおやめください。自分は平民の出ですから」

「でしたらわたしの方も結構です。わたしは士官学校の学生ですので、軍人さんにそう呼ばれるのは憚られます」

「そういうわけにもいきません。自分はエンミュール辺境伯領の出でありますので」


 どうやらわたしと同郷のようで、少し親近感が湧いてきます。ですが、それと敬称は別の話。しっかりと分別はつけないといけません。


 それからお互いの呼び方をめぐってしばらく押し問答をしているうちに、ようやく軍人さん改め、フランツさんが折れてくれました。


「それではマリア=アンヌ嬢、本題に入ってもよろしいでしょうか」


 ええ、と返すと、フランツさんは真面目な表情のまま続けました。


「自分の任務は保護民の監視と、彼の言語習得の補助であります。彼の体力が回復して後、会話ができるよう学習させるよう情報部からの命令です」

「承知いたしました。しかしなぜ、わたしが呼ばれたのでしょうか」


 するとフランツさんはここだけの話、と声をひそめながら教えてくれました。


「情報部は彼から異国の情報をいろいろと聞き出したいのですよ。最近国境近くで不穏な動きがあると囁かれておりますし。報告書によると、あなたはずいぶんと彼に信頼されているようですから」


 なるほど、そういうわけでしたか。わたしを交えて会話をすることで、緊張を和らげて情報を聞き出そうということのようです。


「ですので、自分が講義をしている間、同席していただけますでしょうか。同席といっても、講義の邪魔にならない限り何をしてもらってもかまいません。あなたは謹慎中と聞いていますし、もちろん学校からは許可を得てあります」


 承知しました、と答えると、フランツさんは手際よく机を片付け、持参した本を並べ始めました。


「隣国リガリアで使用している、我が国プロシアント語の初等文法のテキストを手に入れましたので、こちらを用いるつもりです。外国語として教えるのであれば、きっと習得も早いでしょう」

「その本、リガリア語で書かれているようですけれども」

「これぐらい読めないようでは情報部ではやっていけないのですよ」


 フランツさんは、想像していたより優秀な方のようでした。平民の身分でありながら帝国の情報部へ所属するなんて、並大抵の努力ではできないことでしょう。同郷のわたしとしても、地元出身で優秀な方が軍部にいることが、少しばかり誇らしくもあります。


 ◇


「これは、ペン、です。ほら、続けて」

「こいは、ぺん、でごわ」

「うーむ、こいつは難物だな。舌の構造でも違っているのかもしれん」


 彼らの授業は、想像以上に難儀をしているようでした。キーレの発音は、お世辞にも上手とは言えないもので、不謹慎ですが、油断しているとこちらが吹き出しそうになってしまいます。


「こんにちは、ほら」

「こんにちは」

「おお、いいじゃないか! ありがとうございます」

「あいがとさげもす」

「うーん、通じはするんだが、なかなか流暢にならないな」


 はじめのうちは面白おかしく見物していましたが、だんだんと退屈になってしまい、持参していた魔法についての本を読むことにしました。読書をしているうちにだんだん本の方に没頭してしまい、だいぶ時間が経ったことにも全く気がつかないほどでした。


「本日はここまでであります。また明日、同時刻に伺いますので恐縮ですがご足労願います」


 フランツさんの声で慌てて退出の準備をして、わたしは生活の場である懲罰房へと向かうことにしたのでした。


 ◇ ◇ ◇


 謹慎中の学生には、懲罰房と呼ばれる部屋での生活が義務付けられます。学生寮とは隔離されたこの懲罰房は職員寮の端に位置しており、懲罰と名前はついていますが、いたって快適なものです。


 室内にはベッドと書見用の机が備え付けられ、要望すれば図書館から書籍などを受け取ることもできます。食事も冷めてはいるものの学生のものとほとんど変わらないものが提供され、毎日の水浴びも許可されています。


 外出と面会が禁じられているため、学友たちと会えないのは寂しいですが、罰としてはずいぶんと緩い類のものです。


 食事をとりながら本をめくっていると、コンコンと扉を叩く音とともに、一通の封筒が投じられました。


 急いで確認してみると、差出人はカール=エンミュール子爵、つまりわたしの父からでした。


 封筒には既に開封された跡があり、情報部許可、との印が押してあります。つまりは軍部によって検閲済みだということ。謹慎が快適だという先ほどの妄言は、取り消さないといけないかもしれません。


「親愛なる我が娘へ--」


 父の手紙は、この言葉で必ず始まります。そして、無事を喜んでいることとともに、勝手な行動への叱責、そして反省を促すお説教が何行にも渡って書かれていました。これを情報部の軍人さんが読み直していたかと思うと、任務とはいえ少し気の毒になります。


「今回のことは、帝国軍情報部からの指示に従うように。それから、これ以上お母さんを心配させるのはやめておくれ」


 快適な懲罰房生活で忘れてしまっていましたが、今回の事件は一学生に軍の関与があるほど大事になっていたのだ、と改めて思い知らされました。


 キーレのことについてはまだ父のもとに情報が行っていないのだと思うと、これから先再び送られてくるであろう叱責文に頭痛がする思いがします。せめて母にだけは黙っていてほしいものですが、残念ながら望み薄でしょう。


「そして魔法の研鑽を怠らないように --父より」


 そして手紙はいつもこの文で締めくくられます。わたしが帝都の士官学校にいられるのも、魔法の素養があったからなのです。


 父のような辺境の田舎貴族にとって魔法の才能は非常に貴重ですし、その才能に磨きをかけるべく大金を払って送り出してくれたことには、とても感謝していました。


 父の期待に応えるべく、わたしはせっせと机に向かいました。謹慎中とはいえ、授業は進んでいます。実習のある科目、とりわけ魔法の実習では相当遅れをとっていることでしょう。せめて座学だけでも、追い付いておかないといけません。魔法学に、数学に、歴史学、と挙げればきりがありませんでした。


 こうしてわたしが山のような課題と格闘している間に、少年の、キーレのことはすっかり頭の中から忘れ去られてしまったのでした。

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