第二話 病室にて

 ここ、士官学校の病棟は校内の主要な建物からは少しばかり離れたところにあるため、怪我や病気をしない限り、学生たちはあまり訪れる機会がありません。


 といってもその古びた外観とは違って内部は丁寧に管理されているようで、入ると屋内にはチリ一つなく、ツンとした独特の薬品の香りで満たされています。


 そんな病棟の入って一番奥の病室、一般生徒が立ち入れない監視の兵がついた鍵付きの特別病室が、あの、遺跡で助けてくれた少年の居場所でした。


「魔法科所属、四回生のマリア=アンヌ=エンミュールです。面会のため、特別病室への入室許可をいただけますでしょうか」

「ああ、あなたがエンミュール家のご令嬢ですね。この度は災難でしたね、中へどうぞ。皆様お待ちしております」


 特別病室に入るために面会のお願いをすると、警備の兵士さんは存外気さくに、わたしを中へと案内してくれました。


 広いとは言えない室内は、緊張した空気に包まれています。学校長を始め、引率教官、医師らしき白衣を着た人物、そして軍服を来た方の姿が見えました。そしてその周囲を護衛でしょうか、数人の兵士が武器を携えて囲んでいます。


 そして彼らの目線の先には、ベッドに横たわる小柄な少年がいるのでした。


「目撃者の生徒をお連れしました」


 一同に向かって敬礼をすると、警備の兵士さんはこちらに目線をやり、何かを促すように首を振ります。


「あ、魔法科所属、四回生のマリア=アンヌ=エンミュールと申します。この度はお招きいただき--」

「君か、よく来たね。とにかく彼を何とかしてくれ。困ったことに何も喋ってくれんのだ」


 わたしの自己紹介も最中に、恰幅の良い軍服の男性が言葉を継ぎました。早く帰りたいのだが、と言わんばかりの目をしています。


「とは言われましても、わたしも彼については何も知らないのです。助けられはしましたが、偶然に出会っただけですし」

「そもそも厄介ごとを持ち込んだのは君ではないか。ええ? 吾輩も暇ではないのだ、とにかくだな--」

「まあ、そうあまり儂の生徒をいじめないでいただきたいですな、理事殿。詳しくは報告書にも記載があったはずです」


 詰め寄られたわたしの顔色を察してくれたのか、校長先生がその長い髭を撫でながら、助け舟を出してくれました。


「見ての通りだが、彼は何も話してくれんのだ。曲がりなりにも面識がある君なら、と思ってのう」

「こんな馬の骨など軍部で尋問でもしてやればいいのだ。尋問の訓練にもなるではないか」

「彼はおそらくまだ子どもですぞ、理事殿。学校は幼きものに危害を加えるところではない」


 興奮し始めた軍服の男性を静かに諭す校長先生を横目に、わたしは、ベッドの少年を見つめていました。傷跡のまだ残る痛々しい体にダボダボの病人用の服を着せられ、力無くベッドに横たわっています。彼もまたこちらに目を向け、何か思い出そうとしているように見えました。


 次の瞬間、病室に緊張が走りました。少年が飛び起き、左右の膝と両拳を地面についた、不思議な格好をとったからです。


 護衛兵が剣の柄に手をかけ、軍服の男性を守るように飛び出してきています。


 しかし少年はそんなことは意にも介さんとばかりに、ただわたしの方を見て--。


「タシモレワクスバチノイハビタンコ。スモゲサトガイア」


 と。不思議な言葉とともに頭を下げたのでした。


「……?」

「敵意は、なさそうですな」

「しかし何と言っているのだ。異国の者であることに間違いはないが、これでは話が通じんではないか」


 危害を加えないとみて安心した大人たちを尻目に、わたしは少年から目が離せないでいました。


 こうしてみると、容貌は明らかにこの国のものではありません。黒く長い髪を後ろで軽く束ねていて、目は黒々として光を放ち、何やら重たげな表情をしています。平たい顔も相まって、随分と幼く見えてしまいます。


 それから、遺跡で野盗を次々と切り伏せていったあの野生的な狂気が、今はまったく感じられません。それどころか、一種の生命の爽やかさだけが流れてくるようです。


 見ると少年は自らの方を指差し、何か伝えようとしているようでした。正直何を言っているのかわかりませんが、一つの音だけが何とか耳に入ります。


「キーレ?」


 わたしの言葉に、少年は大きく頷き、透き通るような笑顔を浮かべたのでした。


「これだけ待たせておいて、わかったのは名前らしきものだけか。まったく、とんだ無駄骨だぞ。時間の無駄だったではないか」

「まあ、今回は名前がわかっただけでよしとしましょうぞ。少なくとも彼に敵意はなさそうであるし、言葉はゆっくり教えていけばよい」


 その後、少年がまた沈黙を続けてしまったので、その場はおひらきとなってしまいました。せっかく呼んでおきながら、と軍服の男性はぶつくさと文句を言って真っ先に帰って行きました。


 こちらの言葉を理解できていないとはいっても、兵士もいるこの状況で平然としていられるのは、一種異様です。ただ、にこにこと笑みを浮かべながら黙っているので、一同は毒気を抜かれ、質問ができる空気ではなくなってしまったのです。


 こうして、わたしと彼--キーレの、二度目の出会いは終わりを告げたのでした。


 ◇ ◇ ◇


 明くる日、わたしは校長先生に呼び出されました。謹慎処分中はおろか、在学中でも初めてのことです。


 校長室は存外狭く、校長先生の蔵書を収めた本棚が部屋を囲むように並んでいます。そして、中央にある大きな机には、大量の手紙やメモが乱雑に広げられていました。


 しばらくぼうっと本棚を眺めていると、白いものの混じった長い髭を蓄えた、老齢の男性が姿を現しました。この士官学校の、校長先生です。


「よく来たね、マリア=アンヌ君。君への処分が決まったのでな」

「処分とは、謹慎のことではなかったのでしょうか?」

「それはそうなのだが、なにぶん今回は特殊なのでな。例の流民の少年の処遇のこともある」


 今回の件はそろそろ遠方の実家に報告が届く頃です。きっと父には大目玉を喰らうことでしょう。母も学校からの手紙を見たら、仰天して倒れてしまうかもしれません。


 最悪の場合、退学させられ実家に呼び戻されることになるかも--。この楽しい学校生活を、まだ手放したくはありませんでした。


「今回は儂の一存では決められないのだよ。その書類を見てみたまえ」

「これは、帝国軍情報部、と書かれてありますが」

「帝国軍の方から命令、というかたちで文書が来ておってのう。士官学校という建前上、軍部の指示を無視するわけにはいかんのじゃよ」

「え、ええ。わたしは大それたことをしてしまったのですね……」


 事の大きさに、目がくらむ思いがします。


「もちろん、脱走は良くないがな、一人の少年の命を助けようとした、そのことは誇っても良いぞ。貴族たる者、慈しみの心を常に持たねばならん」

「はい、ありがとうございます」

「罰は罰としてしっかり受けてもらうから、そのつもりでな。しっかり反省してきなさい」


 校長先生の優しい言葉に安心して落ち着いたのか、急に目の前の書類が気になってきました。


「あの、書類の方を開けて読んでみてもよろしいでしょうか?」

「かまわんよ、ほら」


 帝国軍情報部と赤い印が押されたその書類には--。


 --今後、保護した少年の管理は本校の生徒マリア=アンヌ=エンミュールの預かるところとする。

 --また、情報部より監視役を派遣する。少年の語学習得に役立てること。

 --会話が一定可能になった場合、再度尋問を行う。以上の措置は軍部の指示のもとで行われる。


 と、わたしが少年の面倒を見ることを義務付ける一言が書かれていたのでした。


 それから挨拶もそこそこに校長先生の部屋から退出した後。


 意思疎通のできない彼にどう接すれば良いのか、お金はいったいどこから出せば良いのか、とあれこれ悩んでいる間に、わたしはいつのまにか懲罰房のベッドで眠りについていたのでした。

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