第一章 士官学校編

第一話 邂逅、夏

 その少年に出会ったのは、まだ日照りの続く、夏の終わりのことだったと思います。


 その日はちょうど、士官学校の野外訓練が行われていました。定められた地点まで、軍備を持って三日間徒歩で行進するものです。


 常日頃、校内で生活するわたしたちには、目に映るものがみな新鮮で、興味深く見えました。長距離の行軍もまるで遠足さながらです。わたしたちはまったく、浮かれきっていました。

 

 目的地に到着し、野営の準備を慣れた手つきでこなした後のこと。


 わたしたちは教官の目を盗んで、行軍中に発見していた遺跡へと、夕暮れとともに忍びこんでしまったのです。


 石をアーチ状に積み上げた門をを抜けた先には、朽ち果てた建造物がいくつも横たわっています。その中には当時の形をそのまま残したものもいくつかあり、湿った空気と遺跡をくまなく被うツタは、わたしたちの幼稚な冒険心を酔わせるには十分でした。


「意外と、中は広いもんだな」

「これは祭壇ですかねえ」


 石段を幾層にも積み上げ、中央に平たく加工した岩を載せてある不思議な空間は、とりわけわたしたちの目を引くものでした。


 中央の岩板には、何やら古代の言語でしょうか、紋章と呪文のようなものが彫られてありますが、今では何の効果も発揮しそうにありません。


 あれこれ探索して奥に奥にと進んでしまううちに、どれぐらいの時間がたったかもわからなくなってしまったころ。


「何だお前ら、どこから入った?」


 そこが野盗のねぐらであることに気づくのに、そう長くはかかりませんでした。


 ◇


「まずった、ギド。信号魔法を!」

「とっくに打ってます!」

「マリアンヌは逃げろ! とにかく外に出るんだ! 奴らは俺たちでなんとかする!」


 散策気分の冒険が、一瞬で決死の逃避行に変わってしまいました。たかが若者数人、と見逃してくれればよかったのですが、野盗たちもあいにくそこまでお人好しではなかったようです。


「娘だ、娘を捕まえろ! おそらく貴族のとこだ、身代金が取れる!」

「逃げるなよ、小娘! 大人しく捕まらないと痛い目を見ることになるぞ!」


 明らかに野盗たちに狙われているのを知りながら、わたしは無我夢中で遺跡の外を目指して駆けていました。ですが、ここは野盗の勝手知ったるところ。後ろを振り返らずとも、建物内を反響する足音がどんどん近づいてくるのがわかります。


 彼らの息遣いが聞こえるほどにまで近づかれてしまったとき、ふと前方を見ると、見慣れない奇抜な格好をした小柄な少年が一人、暗がりの中に立っていたのでした。暗くてはっきりとは見えませんが、鎧らしきものを着て、腰には剣を下げているようです。


 もしかしたら野盗の仲間なのかもしれない、と覚悟を決めようとしたそのときでした。


「ツヤンレシンソ、ツヨシヲンナ! ハトウソオバゴナオ、カクゾラシンオ、カクゾ?」


 突然、空気が震えるような大声がわたしの鼓膜を襲いました。


 少年はその殺気だった目線を後方の野盗に向け、背丈ほどもあろうかという剣を抜いて高々と右目の前に掲げています。


 そしてわずか一瞬、その小さな身体が跳ねるように野盗の眼前に踊り出ました。


 突然の乱入者に野盗たちが怯んだ瞬間、息を呑むよりも疾く少年が構えた剣を雷のように振り下ろした、のだと思います。


「キィエエエエエエィィーーーッ!」


 一人、血飛沫とともに野盗がつんのめるように倒れました。


 切り倒すや否や、再度剣を振り上げ、先ほどの絶叫とともにもう一人。


「キィエエエエエエィィーーーッ!」


 武器を構える間もなく、野盗は左肩から右腰を切断されていました。


「ドンラキバケヒ、ンラナバネラキラナルク」


 その姿を見て、後ろを追いかけていた野盗たちの目に恐怖の色が浮かぶのがはっきりわかりました。彼らは、自分たちが狩られる立場になったという非情な現実に気づいてしまったのです。


 夜盗らが蜘蛛の子を散らすように逃げていった後、ドサリ、と少年がうつ伏せに倒れていきました。そのときになって初めて、わたしは彼が傷だらけであることに気づいたのです。


 ◇


「マリアンヌ、無事か? すまん、数人とりこぼした」

「賊の死体、ですかい? 誰がこんな--」


 仲間たちがようやく駆けつけてきました。どうやらお互い無事だったようです。夢中で走っていたため気がつきませんでしたが、彼らはわたしを逃すために野盗と戦ってくれていたのでした。


「この子が--。それよりも治癒を! ひどい重症なんです」

「こいつが? うわ、ひどい怪我じゃないか、何があったらこんなことになるんだ」


 少年の体には無数の裂傷と、豆粒ほどのもので貫かれたような傷痕がありました。正直、生きているのも不思議なくらいです。


 治癒魔法ヒールはあまり得意ではありませんし、怪我人の身体に使うのも初めてでした。しかし、泣き言を言っていられません。わたしの危機を救ってくれたこの少年を、ここで見捨てるわけにはいきませんでした。


 少年の体から奇妙な鎧を取り外すと、そこかしこの傷に向かって懸命に治癒魔法ヒールをかけます。胸に、体に、足に、腕に、顔に。少年の体で、傷のないところはありません。


 魔法を出し尽くして倒れるまで、わたしはこの命の恩人へ必死の治療を施していました。


 ◇


 それからまもなく、信号魔法に気づいた教官たちがわたしたちのもとに駆けつけてきました。少年は治癒魔法の効果があったのか、何とか息をしてくれています。


「いったい、何が起こったというんだ……。その少年と死体は、何者かね?」

「この子はわたしを助けてくれたのです。賊は、この長剣で」


 慌てて事情を説明しましたが、あまりに突然の出来事に頭がついて行けず、支離滅裂な説明をしてしまったかもしれません。


 仲間たちもわたしの意見に同調してくれましたが、こんなおとぎ話のような出来事を即座に理解する方が難しいでしょう。


 そして、まだ目を覚まさない少年とともに野営地に連れ帰られたわたしたちは、引率の教官にこってり絞られました。無断で宿舎を抜け出したこと、野盗に遭遇してしまったこと、そして何よりも一人の少年を拾ってきてしまったこと--。


「これだけの騒ぎとなっては、演習は一時中止とする。そして脱走を行ったものについては、覚悟しておくように。処分は学校に戻り次第通告する」


 軽い気持ちの散歩が、ここまでの大事になるとは思っていませんでした。


 その晩は、遺跡でのあの鮮烈な光景が脳裏に焼きついて離れず、興奮で寝付けずにいました。教官の厳しい叱責も、夕飯抜きでの学校までの罰走も、あの光景に比べれば味気ないものに過ぎなかったのです。


 ◇ ◇ ◇


 それから、士官学校へと連れ帰られたわたしたちを待っていたのは、何度も行われる事情聴取と山積みの反省文、そして懲罰としての肉体労働でした。


 わたしはこれまで目立った問題行動もなく、いわゆる真面目な良い子だったのですが、この件を機にすっかり不良学生として見られているようです。故郷の父と母が聞いたら、どう思うでしょう。当分の間、他の生徒から隔離された懲罰房で生活することまで義務付けられてしまっているのです。


 部屋の荷物を片付けて懲罰房へと移動しようとしていた矢先、例の少年が目を覚ました、との報告がありました。


「事情聴取を兼ね、一時的に謹慎処置を解く。病棟へ移動するように」


 自分の処罰にかかりっきりですっかり忘れてしまうところでしたが、について何らかの説明ができるのは、わたししかいなかったのです。

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