第四話 奇貨置くべし

「ごぶさたしております、マリア=アンヌ嬢」


 謹慎生活にも慣れてきた矢先、久しぶりにフランツさんから呼び出しを受けました。キーレの言語学習の付き添いを数度行った後、ぱたりと呼び出しがなくなったのでどうしたのかと思っていましたが、何事かあったのでしょうか。


「あの流民の少年について、少し意見を伺いたいのですが」


 課題に追われていてすっかり忘れていましたが、学習の付き添いがなかったということは、キーレとも随分と顔を合わせていないことになります。


「あいつ、どこぞの部族の貴族の出だったりしませんかね」


 わたしが予想外の推察に困惑していると、フランツさんはキーレについて新しい情報を教えてくれました。


「先日馬の世話をさせていたんですが、あいつ、馬に乗れるんですよ。それも訓練を受けたように軽々と乗りこなしていまして」


 ここ、プロシアント帝国では、馬に乗れるということは貴族の象徴の一つです。農耕馬と違って騎乗に適した馬は貴重で、なおかつそれなりの訓練を受けないと乗りこなせません。わたしも、何とか乗って走らせることはできます。


 そして、馬上で巧みに武器を操る騎士の姿は、士官学校の学生にとっては憧れの対象なのでした。


「それに普段の佇まいも、どこかこう落ち着き払っているというか」

「確かに、幼いわりに貫禄がありますね」

「こればかりは平民の自分には判断つきかねましてね」


 ため息をつく姿を見てもフランツさんは以前より気さくになった気がしますが、こちらが彼の素に近いのでしょうか。


「マリア=アンヌ嬢から見て、どうでしょう。貴族の雰囲気とやらを感じますか」

「言われてみれば、ですが。ただ--」


 遺跡で出会った彼は貴族とはかけ離れた、一個の野生を見るようであった、と言いかけましたが、咄嗟にあの時の血生臭い光景を思い出して言葉に詰まってしまいました。


「いえ、何でもありません。そうですね、普通の出自でないものは感じます」

「おお、そうですか。彼は普通に話していても、自身のこととなるとだんまりになるので」

「え、話せるのですか?」

「もちろん。よければ今から案内しましょうか? 心配はいりませんよ。許可はとってあります」


 そういうことではなく、キーレがもうプロシアントの言葉を話せることに驚いたのですが。語学達者なフランツさんにとっては、さほど驚くことでもないのでしょうか。


 ◇


 キーレの部屋は来客者のための別棟の隅にあります。わたしの懲罰房よりもやや手狭ですが、こちらもなかなかに良い環境を与えてもらっているようで安心です。


「こちらに」


 開錠してドアを開けると、少年は何やら机に向かって一心不乱に本を読んでいるようでした。


「おい、お客さんだぞ」


 わたしに気づき一瞬驚いた表情を浮かべましたが、キリッと敬礼をするとたどたどしく話しかけてきました。


 「これは、久しぶりサッカブイで、ごわ。喜入きいれ銑十郎せんじゅうろうと、申す」


 彼が発した言葉に対してわたしが大きな疑問符を浮かべたことに気づいたのか、フランツさんが解説をしてくれます。


「まあ、発音がたどたどしいのもあるのですが。いかんせん使っていたテキストが古くてですね。ご覧のとおり、奇天烈な言葉遣いになってしまいまして」


 どうやらプロシアントの言葉は、彼の口に合わなかったようです。


「ああ、意思疎通に問題はありませんよ。ゆっくり話してあげてください」


 お言葉に甘えて、キーレと少し話してみることにしました。


「お久しぶりです、キーレ。ここでの生活は、どうですか」

「知らんこっが、多かが、充実は、しちょる」

「そういえば、あなたはどこから来たのですか?」

「生まれば、薩摩ぞ」

「サツマ?」

「京の都ん、わっぜ西ば国じゃ」


 何やら耳慣れない単語ばかりで、なかなか会話が進みません。


「自分にもわかりませんが、どうやらヒノモトという島国があって、そこのサツマという地域の出身だそうです」

「サツマなんて、聞いたこともありませんね」

「おそらく遥か東方なのかとは思いますが、どうやってここまで辿り着いたのやら。本人に聞いてもわからんとしか言わんのですよ」


 ◇


 しばらくキーレとぎこちない会話をしていると、思い出したかのように時計を見たフランツさんが面会終了を伝えてきました。


「これから学生たちの歩兵訓練を見学してきます。何せこいつが見たい見たいとせがむもので」

「異国の兵児ヘコば、見にゆくんと、いい土産に、なりもす」


 ちょっと見ない間に、キーレとフランツさんはずいぶんと親しくなったようです。


「よければマリア=アンヌ嬢も同行しますか? 懲罰房の生活は、さぞ息が詰まるでしょう」

「よろしいのですか? あ、でも許可が--」

「後で自分の方から上手いこと言っておきますので、問題ありませんよ」


 ウインクを返すフランツさんのご好意に甘えて、訓練場へ連れて行ってもらうことにしました。謹慎生活始まって以来の、久しぶりの外出です。


 ◇ ◇ ◇


 士官学校の訓練場は、コの字に配置された建物の中央にあります。キーレの生活する別棟からは、歩いて数分の距離です。謹慎生活のせいですっかり足が萎えてしまったわたしにとっては、この短い移動ですら骨の折れるものでした。


 キーレはおそらく学園が用意したのでしょう、薄手の平服に着替えています。相変わらず丈も裾も余っていて、ますます幼く見えてしまいます。


 訓練場では、学生たちが並んで整列していました。おそらく入学してから日の浅い新入生なのでしょうか、私語をして教官に厳しく注意されているのが見えました。早速、罰走として訓練場の周囲を走らされています。


「フランツさぁ、あれは、何ですかの」

「あれは訓練用の障害物だな。どうやら今日は障害走をやるらしい」


 訓練場には網や梯子といった物体が所狭しと並んでいます。フランツさんの言う通り、本日は障害走の訓練のようです。


 教官の号令とともに、学生たちが走り出しました。網を匍匐して潜り抜け、丸太が積まれた壁を縄梯子で上り下りする姿は、見ている分には楽しいものです。


「なんとも、楽しそうなもんでごわ」


 キーレはこの観覧にすっかり夢中になっているようでした。ほうほう、と頷きながら熱心に訓練を見つめています。


「そんなに興味があるなら、お前も参加してみるか?」


 フランツさんはそんなキーレを見て、人肌脱ぐ気になったようでした。わたしも一人になるわけにもいかないので、慌てて教官のもとに向かう二人を追いかけます。


 ◇


 キーレの運動能力は、頭抜けたものでした。貴族の家庭から出てきたばかりの新入生では、まるで相手になりません。幾重にも仕掛けられた障害物を悠々と突破し、なんならもう一周してみましょうか、といった表情で辺りを見回しています。


 突如乱入してきたこの小さな少年に驚きを隠せないのか、学生たちからざわめきの声が上がっています。教官も慌てて、フランツさんから聞いた通りにキーレの紹介をするのでした。


「これは、予想外でしたね」


 遺跡での彼を知っているわたしからすればそこまでの驚きはないのですが、フランツさんはキーレの身体能力に目を丸くしていました。


「プロシアント語ができるようになれば、ぜひ情報部にでも。いや、偵察兵にしてみるのもいいな」


 一応はわたしがキーレの管理を任されているはずですが、何やら皮算用を始めています。


 教官が移動を告げるまで、フランツさんは何やらぶつぶつと呟いていました。これから、北の牧場に移動して乗馬訓練を行うのだそうです。


 馬と聞いてキーレは目を輝かせていますが、あいにくわたしは食事の時間となってしまいました。


 牧場にも同行するという二人を残して、わたしはとぼとぼと一人懲罰房への道のりを歩くことになりました。キーレの更なる活躍は、今回はお預けになりそうです。

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