第2話
俺は、猫と遊ぶ妻を眺める。
やっぱり、楽しそうだ。動物は癒しになると聞く。
昨夜、寝る前に思いついたことを切り出してみた。
「あのさ」
「なに?」
妻が顔をあげ、俺のほうを向く。
「こいつ、飼ってもいい?」
「え? この子? 急にどうしたの?」
「なんか、
妻の表情が、ぱっと明るくなった。だがすぐに元に戻る。
「あたしは嬉しいけど、ほら、体調もあるし。
「うん、ちゃんとやる」
「元の飼い主さんがわかったら、返すんだよ?」
「うん、それまでだけでもいい」
恵二郎とは俺のことだ。なんだか、猫を飼いたいとねだる子供とその母親みたいな会話になってしまったが、それでいい。体調が不安定な妻はペットなど言い出しにくいだろうから、俺が飼いたいことにするのだ。
「わかった。じゃあ、名前決めないとね」
「そういえば昨日調べたんだけど、古代エジプトには猫の顔をした神様がいたらしいよ。バステトっていう女神が有名らしい」
「へえ。……じゃあ、この子はテトにしよう」
「男みたいな名前だな」
「男の子だよ。モノがついてるもん」
妻は猫のお尻を俺のほうに向けると、尻尾を持ち上げてみせた。
ああ、なるほど。
こうして、オスだけど女神の名前を半分もらった猫、テトは、わが家の一員となったのだ。
テトは利口な猫だった。
トイレも爪とぎの場所もすぐに覚えて、失敗しなかった。パソコンや有里のメガネなども、一度ダメと教えたら触ろうとしない。日本語を理解しているのかと思うほどだ。
そして俺がうすうす予想していた通り、テトは俺よりも妻になついた。
なついた、なんてもんじゃない。一日中、べったりである。
妻がリビングで本を読んでいれば、隣へやってきて寝転がる。キッチンで家事をすれば、足元に座って妻をやることを眺める。ずっとそんな具合だ。
甘えんぼうなんだと言って妻はまんざらでもないようだが、俺的には、こいつはちょっとストーカー気質なんじゃないかとすら思える。
なにしろ妻が入浴していると、ずっと脱衣所で待っているほどなのである。
そのいっぽう、俺が自分の小遣いで買ってやった猫用オモチャには興味がない。
最初に一、二度いじっただけで、あとは見向きもしなくなった。オモチャで遊ぶよりもママと一緒にいるのがいいんだ、というアピールのつもりかもしれない。
まあ、俺としては文句はない。
妻の気晴らしになって、体調不良のことを少しでも忘れていられる時間が作れたらそれでいいのだから。
そういう意味では、テトは十分に役目を果たしてくれている。
テトを飼いはじめた、翌々週の土曜のことだ。
俺と妻は、かかりつけのクリニックへと向かった。二度目の血液検査の結果が出る日なので、俺も付き添うのだ。テトは留守番である。
待合室には、高齢者や母子連れなど数人が順番を待っていた。小一時間ほど待つと、名前が呼ばれる。
診察室には、先生がにこやかに座っている。この町で家を建てて以来、三年間お世話になっている先生だ。頭が禿げているから老けて見えるが、たしかまだ四十代だったはずである。
体調は改善しないと伝えると、先生は首をひねり、少し難しい顔になった。
「二回目の血液検査、結果出たんだけどね。んー。異常ないんだよね。この数値だけで判断すると、奥さん、カンペキな健康体なんだわ。でも、体温は……七度五分か」
先生はいったん言葉を切り、それから、やんわりと続けた。
「これは一般論として、あくまで参考意見だけどね。もしかしたら精神的ストレスとか、心理的な要因が原因かもしれないね。こう言うと誤解する患者さんがいるんだけど、これは精神疾患という意味ではないから。気を悪くしないでくださいね」
心理的な要因。
俺は先生の言葉に、ぞくりとした。心に、目の粗いやすりをかけられたような気がする。妻を見ると、彼女も不安そうな表情で俺を見ていた。ひとつだけ、引っかかっていることがあるのだ。ただ、医師に話す内容ではない。
いつもどおり薬をもらっての帰り道、妻がぽつりと言った。
「やっぱ、アレかなあ」
「うーん。でも、先生に言ってもなあ」
「だよねえ。お祓いとか? やだなあ」
三か月ほど前、妻の勤め先に蛇が入り込む事件があったのだ。
朝、妻が出社して、さて仕事だと自分のデスクのチェアを引いたときだった。
チェアの座面に、大きな黒っぽい蛇が、とぐろを巻いていた。鎌首をもたげ、まるで待ち伏せしているようだったという。
妻は悲鳴を上げ、思わず床に尻もちをついた。そのとき、床から見上げるような位置関係になった蛇と、まともに目が合ってしまったらしい。
その瞬間、恐怖感で妻は金縛りのようになった。総毛立ち、全身から汗が噴き出したが、動けない。蛇に睨まれた蛙ってこのことだ、そう思ったそうだ。
さいわい、近くにいた同僚がすぐに助け起こしてくれて、けがはなかった。蛇は男性社員がチェアごと外へ出してくれた。チェアも新品に交換してもらったが、その後もずっと、近くになにか隠れているんじゃないかと気味悪くてたまらなかったという。
妻の体調不良が始まったのは、その数日後からだったのだ。
タイミングがタイミングだけに気になってはいたが、「
クリニックから帰る俺たちの足取りは、重くなりがちだった。
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