月夜に跳ねる

旗尾 鉄

第1話

 ある金曜日の仕事帰り、俺は駅から出て家路を歩き始めていた。

 駅前の小さなロータリーを通り過ぎ、わが家の方向へ少し歩くと、住宅やコンビニがぽつぽつ建っている。


 俺は、いつものコンビニに立ち寄った。店の前で妻に電話すると、今日はだるくて夕食の支度ができなかったと済まなそうに言う。オムライスが食べたいというので、俺はオムライス二つとお茶二本、ついでに缶ビールを一本買った。


 コンビニの隣は、空き地だ。剥げかけた文字で「売地」と書かれた看板が立っているその空き地の片隅に、猫がいた。


 草むらの中に、前足をそろえてちょこんと座っている。じっとこっちを見ている。猫のくせに、ずいぶん利口そうに見えた。大きさからして子猫ではなく、成体だ。


 とはいえ、それだけだ。俺は猫が特別好きってわけではない。まあ、見てるだけならかわいいよな、その程度だ。だからこの時も、そのまま通り過ぎた。


 ところがそいつは、なにを思ったのか俺のあとをついてきた。数メートルの距離を取って、つかず離れずである。途中で追っ払おうとしたが、俺が歩き出すとまた平気な顔でついてくる。


 そうこうするうちに、自宅前に着いてしまった。俺が足を止めると、そいつは怖がりもせず近寄ってきた。

 夜道を歩いているときは気づかなかったが、街灯の下でよく見ると、ちょっと変わった毛並みの猫だ。よく見かける三毛や茶トラではない。


 全身、薄い灰色というか、銀色っぽい。体全体に、黒っぽい斑点模様がある。四肢は斑点と同じ色の縞模様になっている。


 大きめの耳をピンと立て、アーモンド型の目で俺を見つめている。ワイルド系のイケメン、あるいは美少女かもしれないが、そんな感じだ。首輪をつけていない。


 飼い猫というよりもむしろ、以前テレビの野生動物番組で見たヤマネコに似ている。もちろん大きさが家猫サイズだからヤマネコではないだろうが、チョイワルそうな雰囲気が似ているのだ。


「俺の家、ここなんだよ。だから散歩はもう終わりだ。おまえも気をつけて帰れよ」


 俺はそう言い含めて、玄関のカギを差し込んだ。






 妻は普段着で、リビングのソファに座っていた。寝込むほどではなかったようだ。


「ただいま。体調どう?」

「おかえり。ごめん、夕方からだるくて。ごはん作るのやめちゃった」

「うん、無理しないほうがいいよ」


 妻の有里ゆりは、三か月ほど前から急に体調を崩した。三十七度台の熱が続き、倦怠感が強い。ときどき熱が三十八度を超えたり、目まいがすることもある。


 かかりつけのクリニックで診てもらったのだが、コロナは陰性、血液検査の結果も異状なしだった。対症療法で解熱剤をもらって、様子を見る状態だ。


 妻の勤め先の上司が理解のある人で、相談したら一度きちんと治したほうがいいという話になり、先週から休職させてもらっている。


「オムライス、食べよう」


 オムライスを食べながら、俺はさっきの猫の話をした。妻は猫が好きだから、気分転換になるかと思ったのだ。


「コンビニの隣の空き地から、家の前まで猫がついてきてさ。ちょっと変わったやつ」

「へえ。どんなの?」

「うーんと、背中に斑点の模様があってね。なんかこうヤマネコっぽい感じの」

「えー、こんな町なかにヤマネコはいないでしょ?」

「うん、そうなんだけど。雰囲気がね。ちょっとヤンチャそうで。タマとかポチとか、そういう名前は絶対に似合わない顔してた」

「ポチは犬だよ、あはは。見たかったなあ」


 妻が笑っている。

 俺は少し安堵した。


 夕食後、俺はネットで猫の品種を調べてみた。猫の紹介サイトはかなりいろいろある。画像を探していると、いた。

 あいつと同じ外見をした猫だ。


「見つけた。これ。これと同じのががいたんだよ」

「どれどれ、見せて。ふうん、エジプシャン・マウっていうんだ。けっこう、あたし好みかも」


 俺についてきた猫は、エジプシャン・マウという種類らしい。エジプト原産だという。


 タブレットで写真を見ながら、妻は楽しそうだった。






 翌朝、新聞を取りに玄関へ出た俺は、思わぬものを目撃した。

 昨夜の猫が、わが家の玄関にたたずんでいたのである。


 小雨の降るなか、雨宿りをするかのように屋根のある玄関ポーチに座っていた。両足をそろえて、最初に空き地で見かけたときと同じポーズだ。ポーチへの避難が間に合わなかったのだろう、頭も背中も濡れている。


「おまえ、また来たのかよ。まさか、一晩中いたわけじゃないだろうな?」


 俺は妻を呼んだ。

 玄関へ出てくるなり、猫に気づいて妻は目を丸くした。


「どしたの、その猫ちゃん」

「昨日話したやつだよ。有里、猫好きだから顔だけでも見せようかなって。嫌だったら追い払うけど」

「ほんとだ。昨日の画像とおんなじ模様してる」


 妻は少し迷ったようだが、言った。


「寒そうだし、入れてやったら。タオル持ってくるから」


 妻が使い古しのタオルを持ってくる。俺はその乾いたタオルでそいつの全身を拭いてから、抱きかかえてリビングへと連れていった。




 俺が床に下ろしてやると、猫は嬉しそうにソファの妻に近づき、さも当たり前のように妻の膝に乗って甘えはじめた。


「わあ、人懐こい子だねえ。いい子いい子」


 妻は嬉しそうに頭をなでる。


「野良猫って感じじゃないよな」

「うん。野良だったらもっと警戒心あるよね。やっぱり、どこかの飼い猫じゃないかなあ。うちの近所では、こんな子飼ってないはずだけど」


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