第1話 最初の混乱
この馬鹿げた大騒動が『転移』なんてご立派な名前で呼ばれる様になったのは、太平洋戦争の終戦90年目を迎えた頃の事だ。
政府はこの数日前から、『日本全国にて様々な異常事態が起きます』と警告を行っていた。本当に季節外れの雪が降ったり、小笠原諸島の島が増えたりと異変の連続だったからな。
だが、冗談を真面目に受け取ってしまう連中は『政府の陰謀だ』と騒ぎ立てた。政府に楯突く事が正しいと考えていた当時のマスコミも、それに乗っかった。そして、電波障害と全ての人工衛星を失った事で殆どのテレビ局がくたばった。
今のテレビを見てみろよ。真面目にちゃんとニュースやってるのは国営放送と県立放送だけで、他の民放は政府を馬鹿にしてばかりだった連中がことごとく刑務所送りになったために、アニメとバラエティの放送でシノギを得るばかりだ。
まぁ、稼げるなら祖国とお上方をこき下ろしてもいいと付け上がっていた連中の妥当な末路、といったところだな。まさか21世紀になって『愛国心』が求められる事になるなんて、当時の俺も思いもしてなかったよ。
(とある元芸能人のインタビュー番組より)
・・・
西暦2035(令和17)年8月16日 東京都
「今のところ混乱は見られないが、面倒事はまだまだ続きそうだな」
都心を走る送迎車の車内にて、国家公安委員会委員長を務める
全世界を争乱と混沌の中に叩き込んだ『第三次世界大戦』は、日本国内にて腐りきったリベラリストと、特権階級になろうとしていたフェミニズム信奉者や歪んだグローバリズムを崇める狂信者、そして悪質な新興宗教のおぞましさを顕にした。
自衛隊の存在意義や国家としてのあり方、そしてナショナリズムを過度に全否定する姿勢で日本の受ける傷を増やした要因に対処し、その上で政治や安全保障に携わる者達の改善をしなければ、やがて碌でもない末路を迎える事を自覚した政府は、警察の上位組織として保安省を設立。手始めに与党内部の裏金疑惑に関わっていた者達を厳しく処罰した。
国民の大半は自分達の思っていた以上に政治の構造と政治家の役割を簡略的に認識しており、そして大衆は『全ての悪を滅ぼし、単身であらゆる問題を解決する救世主』という民主主義政治では絶対に生まれないであろう存在を所望していた。故に支持を表していない者達から支持を得るためには、分かりやすい『勧善懲悪』を成す事が求められたのである。
楠見は『勧善懲悪』を実行する立場にある者だった。戦後、内部入れ替えを経て政府の支配下に置いた公共放送を利用して野党の素行が悪い者を貶め、大義を得た上で拘置所へ放り込むという、過去の独裁政治で見られた様な行為をする事に対して楠見は内心うんざりしていた。だが、そうやって政治の劇的な改善を怠ってきた結果が、今の『汚れ仕事』を生み出していたのだ。
「委員長、『新たな選択肢』が最近支持率を伸ばしている様です。やはり、『移民』達からも信頼されているからでしょうか?」
「…若者達も、ようやく正しいやり方で日本を変えようと努力し始めたという事だ。それも、老人どもの意に沿う様に見せて、過去の旧弊を否定する様にな」
楠見は秘書にそう言葉を返す。戦後、政府に対する不信と野党の過激派や左派的な政治運動団体の扇動によってもたらされた混乱と、保守勢力の無惨な醜態は既存政治への失望を生みだし、国家としての崩壊がその兆しを見せていた。
だが、その危機的状況が、真に現実的な視線で正しい選択を取れる、『今の日本に必要な人物』を生み出す事となった。それが新興政党『新たな選択肢』であり、ポジションとしては右派ポピュリズムという現代日本では珍しい部類の勢力であったが、それ故に新鮮さと、『某新興宗教の政治的影響力の完全排除』や『物価上昇に合わせた適切な賃金引き上げ』といったマニフェストで人気を博していた。
「今、我が国は氷河期世代を腐らせたまま老人にしてしまったばかりに、若い労働力としてナローシアやリードゥスからの移住者を受け入れざるを得なくなっている。与党も連立を組んでいる相手をそろそろ変えるつもりだし、それに応じていかねばな…」
・・・
同日 神奈川県内
全世界が本当の意味で戦場と化した第三次世界大戦は、日本の平和を完全に崩し、そして新たなモデルの安全保障を欲する事となった。
戦後、自衛隊はナローシア王国やリードゥス王国との戦闘で損耗した装備と部隊の再建、そして拡充に力を入れたものの、戦後直後は志願者がそれ程集まらず、充足率は低迷していた。警察も同様で、特に殉職者の多かった機動隊は新規隊員を集める事に苦慮する事となった。
これを解決するために、当時開発が進展していたロボット技術に着目するのは至極当然の事であった。そもそも『第三次世界大戦』で大きな活躍を見せたのはUAVをはじめとしたドローン兵器であり、しかし同時に生身の歩兵同士がぶつかる白兵戦も頻発した。そこで人員不足の解消も兼ねて人型ロボットを歩兵として運用するというレトロフィーチャー的な発想が試みられる事となった。
「にしてもだ。事前に異常事態が起きるとアナウンスされても尚、『そんな事が起こる筈がない』と言い張り、実際に起こった後は『政府が何もしてくれなかった』と言いふらすとか、こいつ等の記憶容量は半世紀前のディスク以下か?」
神奈川県内にある警察署の玄関前で、第1特別機動大隊所属の『ワーカー・オフィサー』はそう呟きながら、容疑者が移送されていく様子を見つめる。今逮捕されているのはSNS内部で騒ぎ立てるのに飽き足らず、複数人と共謀して行政や警察の業務妨害を実行した者達であり、中には政府に対して批判の域を超えた中傷を発し、公安に目をつけられた者もいた。そういった『反政府主義者』の取り締まりには従来の警察官も投じられているが、中には執拗に抵抗して相手を殺そうとする狂乱者も出てきているため、『ワーカー・オフィサー』が投入される事となった。
この『ワーカー・オフィサー』はアメリカの企業が開発した人型ロボット『アトラス』を祖とし、国策企業『チカマツ』で開発・生産されている『ワーカー』シリーズの一つであり、機動隊で用いられている防護服を装着できる様に設計されている。故に例え刃物を突き付けられても、3Dプリンターやホームセンターで買える部材で作った銃で撃たれてもびくともしない。そして首都圏を管轄とする保安省警邏団の第1特別機動大隊には270機の『オフィサー』が配備されていた。
「むしろ今になって、こういう世迷い事で騒ぎ立てる人が市井に残っていた事が驚きですよ。先の大戦でロシアが没落し、中国も深手を負った影響で左派勢力が後退し、これまで世論に影響が大きかった者の悉くが支持を失って獄中に放り込まれたというのに…」
「それでも、残るものは残る。『右』が節度を忘れて調子に乗るのを恐れて、敢えて見逃された者もいるしな」
機械である事を思わず忘れてしまう程の、軽快な会話を交わす様子。首都圏や大阪、北海道、名古屋、福岡、沖縄の六つに配置されている特別機動大隊は保安省が直接管理する実働部隊であり、合計1620機の『オフィサー』が保安省と公安委員会の『手駒』として治安維持に用いられていた。
「ともかく、俺達はただ国家の『部品』としてふるまうのみだ。今独房に放り込まれた有機物どもの様な醜態を晒さずに今を生きる手段、ただそれだけだ」
・・・
日本国より西に500キロメートル
中華風の街並みが広がる港湾都市、緑岸。その一角に二人の男が立つ。
「閣下、彼の国は果たして、我らの一手となるでしょうか…?」
中華風の街並みには似つかわしくない、西洋風の衣装を纏う茶髪の男性の問いに、金髪が印象的な青年は小さく息をつきつつ答える。
「彼らの実力と、この世界に応じるための『準備』はスフィアが保証してくれている。今はただ、どう彼らを利用するか考えよう」
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