第42話 弓術の特訓 ①

二人は武道館を出て、洋弓場に移動した。

 月は夜空に高く上がり、わずかに星の瞬きが見える。

 すでに洋弓場の明かりが点いていた。


 月読つくよみ高校は、アーチェリーの強豪校として名高い。そのため、洋弓場の施設は特に立派に築かれていた。一階は世界大会のルールに遵守した正規の射場が広がり、更衣室や事務室、ミーティングルーム、給湯室まで整っている。さらに二階には強化合宿用の宿泊施設まで完備されており、最高の環境が用意されていた。


 射場にも休憩室にも、生徒はいない。時計の針は9時を過ぎており、いくら強豪校とはいえ、こんな時間まで生徒が残っているはずもなかった。


 ピコルスに連れられ、事務室に入ると、そこには一人の女性が待っていた。


「咲月お嬢さま、参りました」


 深々とお辞儀をするピコルスに、咲月は凜とした微笑みを向ける。


「ようやく来ましたか」


「こんな時間までお待たせしてしまい、申し訳ございません」


 ピコルスは先ほどまでの威厳や気迫をすっかり消し去り、いつもの執事然とした態度に戻っている。


「お気になさらず。むしろ、未熟な生徒に貴重な時間や体力を費やしていただき、ご苦労さまでした」


「滅相もありません」


「それにしても、ピコルスさんを相手に一本を取るなんて。夜明けまで無理だと思っていましたが、わずか3時間で成し遂げるとは、なかなか筋が良いですね、矢守やもりくん。実はあれは、神宮寺家のガード隊の採用実技試験と同じ内容なんですよ?」


――神宮寺家のガード隊は、全員あれに通ってるってことか……。


 亮は息を呑んだ。

 これまで「ビシリン先生」の顔しか知らなかった咲月が、使用人を大切にしている姿勢を見ると、彼女が神宮寺家の長女であることを再認識した。


「いえ、この程度のテストを乗り越えられないようなら、人を守る資格なんてないと思います」


 本当はそこで、「神宮寺優月ゆうづきを」守ると言いたかったが、咲月は人一倍、異性との交友に厳しい。ましてや優月は咲月の妹だ。下心があると勘違いされては恐ろしいと、亮は言葉を濁した。


「それは君が月読のメシアとしての自覚が芽生えたということですか?しっかり頑張りなさい」


 咲月の目は、全てを見抜いているかのように鋭い。嘘をつけば簡単に見破られそうだなと、亮は緊張した。


「あの、先生はその話、どれくらいご存じですか?」


「君以上に知っています」


――俺の知らないことが、まだまだあるってことか?


「そうなんですか。先生の方が詳しいなんて、驚きました」


「優月ちゃんがまだ小さい頃、私は神宮寺家当主の補佐役として、何度も交渉会議に参加してきましたから」


 咲月の話を聞いていると、亮は息を吸うだけでもお腹がいっぱいになりそうな気分だった。神宮寺家の人間を、普通の人間と思ってはいけないと改めて思う。


「さすが……凄い経験ですね」


「それは今は関係ありません。君は修行に勤しみなさい。人類の未来がかかっているのですから」


 最後の一言が、まるで巨岩が落ちてきたように亮を苦しめた。吸う息すら痛い気がする。


「分かってます。……あの、修行の前にトイレに行ってきても良いですか?」


「良かろう、5分間の休憩を与える」と、ピコルスが命じた。


「ありがとうございます、すぐ戻ります」


 ライトは洗面所で顔を洗った。冷たい水が、火照った心身を少しだけ冷静にしてくれる。パッと顔を上げると、鏡に自分が映っていた。


「やるしかない、それに、とことんやれば、何とかなるだろ!」


 自分を鼓舞するように呟き、じっとその顔を見つめる。


 水分補給も済ませて事務室に戻ると、咲月の姿が見えなくなっていた。


「師匠、咲月先生は?」


「咲月お嬢さまは先に戻られた。さて、弓術を教えよう」


 二人は射場にやってきた。亮の訓練用の弓矢はすでに用意されている。それぞれの的の射場に、道具を置くための棚が設けられている。


 亮はチェストガードを着け、クイーバーを腰に締める。アームガードの代わりには、オカスソリスのアーマーをそのまま使った。装備が完了すると、ピコルスに向き合う。クイーバーには10本の矢が装填された。


「師匠、準備ができました」

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