第39話 二人切りの時間

 西の窓から日が差し込み、教室は金色に染まっている。


「ようやくゆっくりお話しできますね」


「ああ、大忙しだったからな。入学初日の感想は?」


「楽しかったですよ」


「転入早々、有名人だな。ほんと色んな意味で凄いよ」


 優月は楽しげに笑っている。


「マイペースに振る舞っているだけですよ」


「それにしても、帰国子女って設定で良かったのか?」


「故郷を亡命し、屋敷で匿われていた姫と言われるよりは受け入れやすいでしょう?」


 二人は声を抑え、周囲に内容が漏れ聞こえないよう気を配った。


「それは分かるけど……でも、ブリタニア州の音大附属校に通ったなんてデタラメ、もしもバレたらどうする」


「あら、嘘なんてついてないですよ。ブリタニア州の附属校に通っていたのは事実です。授業はリモートで受けていましたけどね」


 亮は優月の抜かりのなさに呆れたような顔をした。


「そんな仕組みがあるのか」


「心配をかけたみたいですね。私が学校の人たちに知らせた情報は全て考え抜かれたものですから。亮くんは私のことを、すぐにバレるようなミスを犯す人だと思いましたか?」


「じゃあ、音楽が好きっていうのも……?」


「本当ですよ。私が人類を気に入ったきっかけも音楽です。音楽は感情を表現する宝です。同じ曲、同じ楽器でも、人によって奏でる音色が違う。面白いと思いませんか?」


「俺は……音楽はよく分からない」


「そうですか、人にはそれぞれ異なる強みがありますからね。私だって、フルートは奏でられますけど、歌は音痴です」


「そうなのか……」


 文武両道のご令嬢にも苦手なことがあると分かり、亮はくすりと笑みを浮かべた。カラオケに誘った紗凪の願いはどうやら永遠に叶いそうにない。


「あっ、何か悪いことを考えたでしょう?」


「いや、別に。歌っているところを想像したら可愛いと思って」


「酷い!私は亮くんの未熟なところを一度も笑ったことがないのに……」


 優月の耳がさっと赤くなり、頬をぶすっと膨らませる。


「そんな顔もするんだな」


 亮はわざと優月のことをいじった。


「もう、知らない」


 優月は一瞬だけ口を突き出してムッとしたような顔を見せたが、その後すぐに息を吐き出し、爽やかに笑った。一日中、初対面の人に囲まれ、慣れない対応をした疲れが、亮の軽口で一気に霧散し、リラックスした様子だった。


 そして優月は、亮についての噂の真偽を確かめようとした。


「ところで亮くんは、女の子が嫌いなんですか?」


「は?別に、そんなことはないけど」


「クラスの子たちが、亮くんは女子に冷たいと言っていましたが?」


 亮は、優月にならばと思い、答えを口にした。


「それは、君が俺に預けたお守りをいつも身につけていたからだ」


月の心オツキハートが関係しているんですか?」


 亮は頷いた。


「昔から俺はストーキングに遭ってきた。それは、月の心の特別な力によるものだと思っていた。だから、俺と一緒にいたら……その人も危険に晒されるかもしれないだろ」


 優月ゆうづきライトの話を黙って聞いている。


「だから、女子とは一定の距離を取るようにしてきた」


 優月は切なげな、それでいて少し嬉しそうな表情をした。


「本当に気遣いのできる、優しい愚か者さんですね」


「褒めてないだろ」


 窓外から、ボールがバットに当たる小気味良い音が響いた。他の部活をしている声や音も、教室に届き、こだましている。




 その頃、碧琴は五階の生徒会室から、真剣な表情で出てきて、一階まで降りたところだった。「バイバイ」とクラスの女子と手を振り合う。


 リストバンドを忘れたことに気付いたのは、下駄箱からスニーカーを出した後だった。


 碧琴はスニーカーを戻すと上履きを履きなおし、階段を上がる。





「あんなにバスケが得意なのは意外だった」


「やりたいことは誰よりも上手くなりなさいと教えられましたから」


「さすがだ、女バスの一軍相手に、あんなに落ち着いてプレーするなんて」


「バスケだけでなく、何か上達したいものがある時は、いつも家のガードやメイドの中で優れた者にコツを教えてもらうようお願いするんです」


「本当に凄いよ。神宮寺家の姉弟は、みんな超人だな」


 亮も優月も、ようやく二人で話ができたのが嬉しくて、教室に近付いてくる足音には気付かない。緊張も解け、さっきまで抑えていた声も少し大きくなってきていた。


「ま、負けちまったのは惜しかったよな。せっかく勝てそうだったのに」


「あれはただの練習試合ですから、勝ち負けよりも、皆が楽しくプレーできる方が良いんじゃないでしょうか」


「残り7分で急に動きが遅くなったのは、体力の限界だったのか?」


「いえ、勝ちすぎて悪目立ちすると困りますから」


「何だ……手加減したのかよ」と、亮は呆気に取られたように笑った。


「ええ、一方的に勝つと、イジメみたいに見えるでしょう?それよりも友好試合がしたかったので」


「それ絶対、我妻あがつまさんに言うなよ。怠慢プレイするような奴、大っ嫌いだから」


「分かっています。葉月ちゃんから彼女のことはよく聞いていますから。勝つことにとても執着があると」


「それは悪いことじゃない。スポーツマンのかがみとも言えるよ」


 強い風が吹いて、カーテンが強く揺れた。その音に紛れて、靴音がパタパタと足早に遠ざかっていく。


「そういうものなんでしょうか。ところで、亮くんもこれから部活ですか?」


「ああ、君も木管部に?」


「ほぼ内定ですね」


「休憩時間にかなり色んな部にも勧誘されてたみたいだけど?」


「そうですね、まずは木管部の様子を見てから、余裕があれば他の部も回ってみます」


「そうだな、妹も三つ掛け持ちだし、君ならもっと活躍できるだろ」


 亮の何気ない言葉が引っ掛かったらしく、優月はまたムッとした顔になった。


「私は私、葉月は葉月です。似ていても、私たちは別の人間ですから、比べないでほしいです」


「あ……言い過ぎた、ごめん」


 亮は慌てて謝ったが、優月は大して気にしていないのか、すぐに話題を切り替える。


「加藤さんの特訓はいつからですか?」


「部活の後だな。体力、体幹の訓練には陸部の活動は続けた方が良いって言われた」


「そうなんですか、頑張ってくださいね」


 日が落ちてきて、教室が徐々に暗くなっていく。

 亮は優月を見送ると、別のルートから部活棟に向かった。

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