第38話 逸れる二人

 ライトが教室へ戻ると、隆嗣りゅうじはすでに自分の席に戻っていた。


「おう、ハンカチ返せたか?」

「いや、ちょっと邪魔が入って……」

「そうか、残念だったな」

「あぁ、うん。放課後にまた狙ってみる」


 詳しく聞かず、亮は次の授業の準備を始める。


 授業開始のゴングが鳴った。教室の扉がそっと開き、慌てた様子の優月ゆうづきが入ってきて、あまり音を出さないように席に着いた。


 亮は振り向いたが、どうしてと聞くことはできなかった。


「ごめんなさい」と優月が手を合わせる仕草をした。


「急に葉月から食事に誘われて」

「そっか、そんなことかと思った」

「せっかく約束していたのに、残念でしたね」

「別に気にしてない。妹を大事にするのは良いことだ」


 ガラッと扉の開く音がして、優月が亮に「先生が来ましたね」と言った。




 午後の休憩時間も、優月はずっと同級生の女子に囲まれ、話しかけられていた。そのたびに亮はしぶしぶ席を譲り、授業が始まるまで別の場所で過ごすようにした。


 二人が話すチャンスはないまま、六時間目の古典が終わり、放課後の音楽が流れ始める。


 教諭が教室から出ていき、生徒たちも自分のデスクモニターをシャットダウンして帰る準備をする。その間に優月が背を丸め、ひっそりと亮に話しかけた。


矢守やもりくん、ちょっと待っててもらえますか?話したいことが」

「分かった、あまり長くは待てないぞ」

「分かりました」


 教室を最初に出て行ったのは碧琴みことだった。彼女は月高テニス部のバックリュックを肩にかけて廊下に出ていく。リストバンドは外して、机に置いて帰ったようだ。


 亮は軽く息を吐き、デスク画面の電源を切る。


「亮、今日どうすんの?」


 隆嗣が声を掛けた。


「部活に決まってんだろ」

「あー、朝練サボったからな」

「うるせぇよ、倍練習してやる」


「ファイトね!」と、隆嗣が亮の胸を拳で叩いた。


「おう、お前こそハンカチ返せよ」

「そうだねぇ。グッドラックトゥミー!」


 隆嗣は舞踏会のように身軽なステップで教室を出て行った。


 亮はしばらく席で座ったまま、MPディバイスをいじっている。


 紗凪さな瑞音みずねたち四人の女子が、優月と話している会話が亮の耳に入った。


「優月さま、一緒にカラオケ行きませんか?」


 葉月との区別のため、彼女は「優月さま」と呼ばれることになったらしい。

 優月は困ったような声で答えた。


「ごめんなさい、先に長森さんとお約束しましたので」

「そうですか……優月さまきっとお歌もお上手なのに」

「今日は木管部にお邪魔させていただくので、また今度誘ってくださいね」


「分かりました。では優月さま、また明日!」


「ええ、また明日」と、優月は柔らかい口調で応じた。


 二人の女子生徒が紗凪とともに教室を去り、瑞音だけがその場に残る。


「長森さん、先に部室に行っていてください」

「場所は分かりますか?」

「はい、葉月に聞きました。矢守くんに話があるので、終わったらすぐに行きます」


 瑞音は空気を読み、頷いた。


「分かりました、では部室でお待ちしています」

「ええ、楽しみしています」


 瑞音もいなくなり、教室は亮と優月だけになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る