第11話 財閥令嬢の悩み ③
そう言ってから、美波はさっと顔を青くして、手で顔を覆った。彼女の肝は極めて小さく、もし物質化できたなら、葵唯の一割にも満たないだろう。
「……え、ちょっと待ってください。それって、私が知ってたらまずいですよね……け、消され……」
「私たちが黙っていれば問題ないでしょう、ね、葉月さま?」
葵唯は同意を求めるように言ったが、葉月は俯いたままだ。
「それは私にもわかりません」
「で、でも、災禍を下すのが月の人なら、止めることだってできますよね?政府が情報を入手しているのに、黙って月からの攻撃を受けるなんてありえません。相手方との交渉もしているはずでしょう?」
「それで聞いてくれる相手ならいいですが、結局は私たち人類が変わらなければ、小手先の交渉では何も解決しないでしょうね」
二人は急に空気が重くなった気がした。美波も葉月も箸が進まない。
「そんなこと言われても……何の力もない女子高生三人がここで話してても、何も変わりませんよね……」
美波は絶望的な声で言ったが、葵唯はそれを聞くと妙に開き直った。
「確かにそうね。私たちに解決法がないなら、考えるだけ杞憂ですよね。力のある誰かに託せば何とかなるでしょう?」
二人が思考停止に陥っているのを感じながら、葉月は言葉を失った。無力感だけが強まり、ついため息が出た。
それから10分が経ち、三人は東屋(あずまや)を後にした。午後の授業がもうすぐ始まる。
先ほど三人が座っていたはずの椅子の上、ピンク色の布が石を重しにして置かれている。さっきのは、この布が風になびく音だったようだ。
亮が布を取り上げると、それはハンカチだった。縁取りと植物の模様が手縫いで刺繍され、J・Hの文字も縫い取られている。ハンカチの下にはもう一枚、紙が挟んであった。亮は心拍数が上がるのを感じながらその紙を取り上げ、そこに書かれた文字を見て、一気に眠気が覚めた。
――
先ほどの災禍について、マナの力を持つあなたはどう思われるでしょうか?あなたのペンダントは、私の姉の所有物です。放課後18:00、浮遊電車駅前の本屋、四階の、裏側から三本目の通路で会いましょう。お一人で来ていただけると助かります。
神宮寺 葉月
――
話を聞いている間、亮は一度も声をあげず、音も出さなかった。だが葉月は亮が近くにいることに気付いたうえで、あの話を聞かせたのだ。そう思うと、亮はゾッとした。
周囲を注意深く見まわしながら、亮はハンカチと紙をポケットに入れると、目を細め、鋭い眼力で教室棟の屋根を見上げた。
亮が教室に戻り、自分の席に座ると、目を吊り上げた
「亮、お前どこ行ってたんだよ?!」
「あ~、ごめん。トイレ長すぎて時間なかったから、購買でパン食った」
「んだよ、せっかく亮のために可愛い子が見える席取ってたのに、勿体ねぇな。チャンス逃すなよ~」
「別に、飯食えればどこでもいいよ」
「マージで可愛かったのにな~。てかお前さ、購買でパン買ったんだろ?さっき中庭通ったけどいなかったじゃん?本当はどこ行ってたんだよ」
「まぁ、適当にそのへんで食ったから。ああ、そうだ、これやる」
亮はそう言って、ポケットから出したハンカチを隆嗣にやった。
「何これ、女子のハンカチ?」
いつも通り声のデカい隆嗣を牽制するように、亮はボリュームを抑えて耳打ちした。
「よく見ろ隆嗣、イニシャルが入ってるだろ?しかもこの難易度の高い刺繍。こんなの神宮寺家の家政婦にしかできないに決まってる」
隆嗣はJ・Hの文字を穴の開きそうなほど見つめながら顔を真っ赤にした。
「お、お前、何故、葉月ちゃんの、ハンカチ、持ってる?!お前、俺のライバルか?!」
なぜか片言になっている隆嗣の荒い鼻息がハンカチにかかる。
「いや、たまたま拾ったんだ。このハンカチを神宮寺さんに返すチャンスは、お前に譲ってやる。だから、一発かましてこい」
いつも恋バナは全スルーの亮が、自分のことをこんなにも考えてくれていたとは……と隆嗣は感動した。葉月に話しかける方法も思いつかず、毎日悩んでいた隆嗣の目からは、はらりはらりと大粒の涙があふれている。
「ライトぉ……お前、どこまで良い奴なんだよ……。俺の、一生の友だ……」
「いや、大袈裟だろ」
「大袈裟なもんか!このハンカチがきっかけで、俺ら付き合っちゃうかもしれないじゃんかぁぁ」
「そりゃ願ってもないだろ?」
――純情だなぁ。こんなことで満足できるなんて、ある意味幸せな奴だよ。
亮は呆れて笑ったが、少しだけ羨ましい気もした。
隆嗣が感涙していると、午後の授業が始まるゴングが鳴った。
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