第5話 月高の名人たち ③

 群衆の中から野太い男の声が響き、大きな男が葉月たちの前に立った。180センチを超える巨体は、よく鍛えられている。ガタイが良すぎるせいか、ブレザーのボタンは一つも付けていない。


「神宮寺さん!」


 葉月は視線を合わせるために首を伸ばし、男の目を見た。


「三年D組の大竹先輩ですね。何か御用でしょうか?」


「じ、神宮寺さん、俺を知ってくれてるのか?」


「ええ、我が校の柔道部主将であり、今夏の全州大会で優勝された、大竹五郎先輩でしょう?全州制覇、おめでとうございます」


 淡々とした声ではあったが、葉月に褒められたことに喜びを隠しきれないのか、大竹は「ハハハ」と大声で笑った。


「そこまで知ってくれているなら、話が早い」


 葉月は鞄を片手で持ち、もう片方の手をそっと頬に添えた。


「一体どのような御用でしょうか?」


 大竹は大きな掌を胸に置いた。


「神宮寺さん、好きだ!俺と付き合ってください」


 ド直球ストレートな告白は、月高ではありふれた光景で、葉月は困ったように微笑みながら頭を下げる。


「ごめんなさい、大竹先輩のお気持ち、嬉しいですが、付き合うことはできません」


「何故だ?!」


 一度断られたくらいでは諦めないのがスポーツマンだ。その愚直さのまま、大竹は思いをぶつける。


「神宮寺さんは俺にとって勝利の女神だ。夏の全州大会優勝は、あなたへの贈り物のつもりで獲ってきた」


 重く情熱的な言葉を聞くほどに、葉月の表情は険しくなり、眉を寄せて首を左右に振る。


「ごめんなさい。大竹先輩は素敵な方ですから、きっと私よりも見合う方に出会えるでしょう」


「俺には神宮寺さん以上の人はいない、何故だ!」


 好きな相手に振られた大竹は、機嫌の悪いゴリラのように肩を怒らせた。葵唯と美波は体格差に萎縮し、動静を見守ることしかできないでいる。


「先輩、道を開けていただけますか?」


 そう言って、大竹と葉月たちの間に割り込んだのは勇真だった。冷静な口調だったが、不遜なその態度に大竹が怒りを増幅させる。


「何だお前?!一年の分際で人の告白を邪魔してんじゃねぇぞ」

「葉月姉さんの気持ちは聞いたでしょう?満足できませんか?」

「は?まだ話終わってねぇよ!」


 大竹が叫ぶと、勇真は鋭い視線を投げつけた。


「先に言っておきますが、これ以上、葉月姉さんに迷惑をかけるなら、恥をかくのは先輩ですよ」


「お前こそ、いい歳こいて姉貴の恋バナに干渉してんじゃねえ、さっさとどけよ」


 勇真は冷たく笑った。


「先輩のような方を頑冥不霊と言うんですね。道をお譲りいただけないなら、強行突破しますが?」


「邪魔してんのはてめぇだろうが!!」


 大竹は両手を挙げた。葵唯と美波がぎゅっと目を閉じる。


「きゃあああ!!」と女子二人の絶叫が広場に響いた次の瞬間。


 勇真が風を切るように右足を一歩踏み出し、腰に差した柄に触れると、大竹の横を通り過ぎた。着地の音と納刀の音が重なる。


 大竹は空気を掴んだことに気付き、ハッと息を吸った。


「逃げやがったか?!」

「また汚いものを斬ったな……」


 ガサッと音がして、大竹のベルトが切れ、ズボンが落ちた。鮮やかな柄のトランクスが群衆の目を奪う。


おおおおーーー!!


 見物人たちのガヤに気付いた大竹の戦意や怒りは一瞬にしてゼロになった。好きな女性の前でこんな格好になり恥をさらす羽目になり、大竹は慌ててズボンを上げる。


 一連の騒ぎに、葉月は胸を痛めたように困った顔をして、勇真を優しく叱った。


「もう、勇真、いたずらはいけませんよ」

「葉月姉さん、先に無礼を働いたのは先輩です。それに、ちゃんと手加減しましたから」

「大竹先輩、弟がベルトを斬ってしまってごめんなさい。新しいものを弁償しますので」


 パンツを見られたうえに謝られ、大竹はこれ以上の辱めを受けることは耐えられないと、首をぶんぶん左右に振った。


「いやいやいやいや、弁償なんてとんでもない。ベルト一本くらい、安いもんだ」


「そうでしょうか?」


「そうだ!神宮寺さんに迷惑をかけてすまない!」


大竹はズボンを握ったままの恥ずかしい状態で、周りの生徒たちの視線を痛いくらいに浴びていた。ベルトのことなんてどうでもいい。一刻も早くこの場から立ち去りたいと、裾をぎゅっと掴んだまま頭をぺこぺこ下げて葉月の前から逃げるように去っていった。


 後ろ指を指して大竹を笑う者もいれば、彼が勇真に殴りかかろうとしたことを罵倒する者もいた。そして何より、葉月への賞賛の声が高らかに響く。大竹のような行いをした者にも素直に謝る、無垢な花のような性格こそ、神宮寺葉月が月読高校の皆から愛される所以だった。


 歩きづらそうに去っていく大竹を見送りながら、葉月はまだ申し訳なさそうに、彼の残像をぼんやりと見ていた。


「葉月さま」と美波が声をかけると、ようやく葉月は気を取り戻した。


「早く行きましょう」


 葉月、勇真、美波、葵唯の四人は教室棟に向かって回廊を目指した。全州大会優勝の柔道部主将をパンツ一枚にした勇真が先頭に立っているのを見ると、周囲の学生たちは自然と道を譲り、集まっていた者たちはちりぢりになった。


 ライト隆嗣りゅうじも一部始終を見ていた。


 四人が二人の前を通り過ぎる時、葉月は亮の首元を見て足を止めた。


「葉月さま、どうされました?」と葵唯あおいが呼びかける。


「いえ、なんでもありません」


 葉月は亮から目を逸らし、歩き去っていった。


 間近で葉月を見た隆嗣は、興奮して亮に言った。


「おい、見ただろ?葉月ちゃん、こっち見たぞ。やっと俺が色男だって気付いてくれたかな、惚れちゃったかな~!」


 亮は白けた目で隆嗣を見て、「いや、何か勘違いだろ」と言った。

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