第2話 プロローグ ②

 トンネルの中でライトは跪き、地面に両手を付いた。息が荒い。グールに追われたストレスが大きいのだろう。


「あれが、本物の、鬼……?お母さんがよく言ってる。鬼を見た人は生きて帰ってこないって。俺たち……どうなるんだろう」


「大丈夫、私たちはきっと生きて帰れるよ」


 優月ゆうづきがあまり平然と答えるので、亮は混乱した。


「そんなこと……どうして言い切れる?大人だって簡単にやられる。鬼は怖いんだよ?」


「でも、マナの力があれば、鬼なんてそんなに怖いものじゃないよ」


 そう言うと、優月は両手にペンダントを握った。宝石から発する青い光が闇を貫き、トンネルの入り口から外へと放たれる。


 光は二人の顔を丸く照らし、徐々に全身を温めていった。


「私が一緒にいるから。亮くんはきっと無事に帰れるよ」


 優しく微笑む優月を見ていると、亮は自分が怖がりすぎているような気になって、恥ずかしくなった。姿勢を正し、ガッツポーズを作る。


「よし、優月ちゃんが怖くないなら、俺だって怖くないよ!」


「うん、皆といた時も思ったけど、亮くん、やっぱり格好良いね」


優月は目を細めた。鬼の子と言われても庇ってくれたのは、純粋に嬉しかったのだろう。


 優月に褒められ、亮の心臓がまた強く打ちはじめた。鬼に追われていた時の、恐怖の鼓動とは別の感情だ。亮は優月の不思議な力にも惹かれていた。


「ううん、優月ちゃんこそ凄いよ!さっきの技、鬼が嫌がってるように見えた。まるでアニメの魔法少女みたいで格好良かった!」


「亮くん、マナはアニメじゃない、実在する力だよ?亮くんが月の心を見ているのは、現実だよ」


 亮は両目をこすり、それからもう一度ペンダントを見た。緻密な細工、青い光。それは幻覚などではない。

 それから亮は優月を見た。鬼を恐れず、妙に大人びているこの少女のミステリアスな雰囲気が気になってたまらない。


「ねぇ、優月ちゃんはどうしてそんな凄い力を持ってるの?」


 純朴な目で見つめると、優月は「うーん」と悩み、そっと胸元に手を当てた。


「亮くん、私はね、「こうづきゆうづき」っていう名前なの。月に生まれて、お父さんとお母さんの仕事のために一緒に地球に降りてきて、あのお城に住んでいるの」


 優月の言う「お城」は、この辺りの住民は大昔から立ち入り禁止と教えられている、森の中の洋館だ。


 突然の告白に、亮は目を丸くする。


「え?優月ちゃんは……宇宙人ってこと?」


 優月は亮の質問を聞いて、少しぼうっとしたような表情になり、「うーーん」と首を傾げた。


「宇宙人っていうよりは、月人つきじん、かな?」


 初めて聞く言葉に、亮は興奮した。


「月人……凄いね!」と、自然と笑いがこぼれた。


「優月ちゃん、まるでかぐや姫みたい。もしかしたら、ご先祖様はかぐや姫なのかな。……俺なんて、この町で生まれて結界の中で育って。MPテレビでしか外を知らないから、見上げた空に浮かぶ月の方が身近だなって思ってたけど……。でも、優月ちゃんは月で生まれたんだね……」


 鬼から隠れていることも忘れたように嬉々として話す亮を見ていると、優月もだんだんと笑顔になった。そして、かぐや姫の子孫だと言われると、顔を真っ赤にして目を伏せた。


「亮くんは、月が好き……?」


 優月はか細い声で言い、上目遣いに亮を見た。

 亮は即答した。


「めちゃくちゃ好きだよ!だって、月があれば夜の世界がよく見える。お父さんが、月のおかげで地球には生き物がたくさん生きているって言ってた。お母さんも、それなら毎日お月様にありがとうって言わないとねって。だから俺、夜になるたびに月を探してるよ」


 歯を見せて爽やかに笑う亮を見ていると、優月は自然と手に力がこもった。照れたように笑ったが、その心はときめきでいっぱいになっている。


「亮くんのお父さんとお母さん、優しい人なんだね」


 優月がそう言った時、ゴロンと音がして、トンネルが急に揺れ出した。激しい揺れに、天井から石や砂が落ちてくる。


「じ、地震?」


 亮は優月を庇いながら、揺れが収まるのを待った。


「地震じゃないよ」と優月が言った。その時、トンネルの中に赤くぎらついた光が差し込んだ。


「鬼に襲われているんだよ」


 巨躯を屈めるようにして、赤い鬼の目がトンネルの中の二人を見つけた。もう一度、怒号のような音が響き、トンネルが大きく揺れる。鬼がトンネルの壁を外側から殴っているのだ。


(俺は、男の子だ。ビビっちゃ、ダメだ……)


 亮は歯を食いしばり、小さな拳を固く握った。だが、体の震えは止まらない。


「優月ちゃん……俺たち、ずっとここにいれば、いつか鬼は諦めるかな?」


「鬼は獲物を見つけたら食べるまで絶対に諦めないよ」


 亮はさらに震えが強くなった気がしたが、何とかポジティブな気持ちを保とうと、頭をフル回転させた。


「そうだ、鬼は太陽の光が嫌いだって、神社の人から聞いたことがある」


「うん、でも……朝が来るよりも前に、トンネルが壊されちゃうね」


「そんな……。じゃあ、どうすれば……」


 揺れは収まらない、獲物を見つけた鬼が、執拗に殴りつけているのだろう。


「あのね、亮くん。私なら鬼を倒せる。でも……一撃では厳しい」


 そう言いつつも優月は覚悟を決めたように首からペンダントを外した。ペンダントは外側と内側に分かれ、優月は外枠の部分をスカートのポケットに入れると、真ん中の宝石とチェーンを亮に見せた。


「亮くん。これはお父さんからもらったお守り、月の心オツキハートだよ。これを持っていれば、鬼は絶対に近付けない。亮くんはこれを持ってて」


「え?でも、優月ちゃんがお父さんからもらった大切なお守りだろ?」


「私は先にトンネルから出て、亮くんから鬼を引き離す。それから、倒してみる」


「でも……優月ちゃん一人に鬼を倒させるのは……」


 亮が困ったような顔をしているのを見ると、優月は柔和に笑った。


「大丈夫、亮くんは私が守るよ。だから亮くんはこれを持ったまま、太陽が起きるまで、トンネルから離れないで」


「ちょっと待ってよ、優月ちゃんは、朝まで鬼と戦うつもりなの?」


「うん、他にも仲間を呼んでくるかもしれないから。もし朝まで私が戻らなかったら、亮くんはお家に帰ってね。それで、次の満月の日、公園でまた会おうね」


 亮の顔がさらに曇った。


「……ごめん、優月ちゃん。俺、その約束、守れないよ。俺もうすぐ、東の新都に引っ越しするんだ。だからこれ、預かれないよ」


 亮は優月の提案を受け入れられなかった。そして、こんな約束さえ果たせない自分の非力さが嫌になった。


 優月はそんな亮にまた笑いかける。


「いいよ、それなら次に会えるまで、亮くんが預かっていて。亮くんがマナの力を信じていたら、いつかきっとどこかで、月の心がまた会わせてくれるよ」


 何もできない自分に焦る亮の背後から、優月が両手を回し、ペンダントのチェーンを付けた。


「だからその時は、私のお婿さんになってね」


 甘いような香りが漂ってきて、亮は真っ赤になった。七歳の子どもにとっても、その意味は大きい。それでも、勇気を振り絞って優月の方を振り向く。


「それなら、優月ちゃんは俺のお嫁さんってこと?」


 赤らんだ亮の頬に、優月はキスをした。


「そうだよ、私が亮くんのお嫁さんになってあげる」


 トンネルがまた強く揺れた。


「……分かった。俺、それまでに、優月ちゃんを守れるような逞しい男になる!」


「うん、待ってる。それじゃ、行くね」


 優月の体が青く光った。マナの光だ。颯爽とトンネルを飛び出すと、山を殴りつけている鬼に跳び寄り、小さな手を挙げた。ワンピースの振り袖が鋭く振り払われる。マナの光が鬼の顔に傷を刻んだ。

優月はそのまま少し離れた場所に着地すると、鬼を振り返ることなく走り出す。


 鬼は怒り狂ったような呻き声をあげながら優月を追いかける。


ライトグールを近付けないようトンネルから引き離す、優月ゆうづきの作戦通りだ。


 優月が闇に呑まれて見えなくなるまで、亮はトンネルの入り口から外を覗いていた。


(優月ちゃん頑張って……)


 鬼に気付かれれば、優月の覚悟を無駄にしてしまう。亮は気配を消すように努力した。


 長い時間が過ぎた。朝はまだ来ない。亮は少し疲れを感じながら、トンネルの深部に移り、体育座りをした。


 手を開けば優月のお守りがある。温かみのあるその光は、亮の恐怖や焦りを癒やした。気持ちが緩んでくると、急激に眠気が襲う。身も心も酷く疲れていた。軽く目を閉じると、すぐに眠りに就いた。


 次に目を開いた時、亮は自分がどこにいるのか、何があったかを一瞬で思い出し、ぼんやりとする頭を左右に振って覚醒させた。


「優月ちゃん?」


と囁いてみたが、やはり優月は戻っていなかった。


 トンネルの外から白い光が差している。朝はとっくに訪れていた。


 亮がトンネルを出ると、太陽はもう高かった。眩しさに目がくらむ。


「おーい、ここだ!子どもがいたぞ!!」


 野太い男の声が聞こえ、亮が振り向く。捜査隊の男たちが、崩れた山の上から亮を見下ろしていた。


 保護された亮は町の診療所で治療を受けたが、数十メートルの高さから落ちたというのにほとんど無傷で、軽い脱水症状を起こしているだけだった。奇跡といえる出来事に、両親も捜査隊の大人たちも驚き、何があったのかと亮を質問攻めにした。


 谷底には光がないはずなのに、なぜトンネルを見つけて入れたのかと聞かれ、亮は自分の首に付いている月の心のペンダントを見せた。だが、そのペンダントは誰にも見えなかった。亮は、こんなにも美しく光る青い宝石がなぜ見えないのか不思議でならなかったが、大人たちは亮を心配しはじめた。遭難中のショックで幻覚が見えているのだろう、登山中の遭難者によくあることだと、大人たちは言った。


 翌日、隣町の越中郡の山々に、生き物の死がいの一部が見つかった。それは鬼の腕のようだった。ようだった、と言わざるを得ないのは、それがあまりに不完全で、ボロボロになっていたからだ。実際に鬼を見た者もほとんどいないなか、鬼であると断定することは難しかった。国民の不安を煽らないよう、ニュースでは、山林で動物の異常死体が発見されたと報じられ、鬼が結界の外へ出たという事実が知らされることはなかった。幸い、千切れた結界の縄は修復され、それ以降に鬼が山を出ることは食い止められた。


 優月は見つからなかった。しばらくは人数を増やして拡大捜査が行われていたが、とうとう見つからないまま、優月は鬼に食われたのだろうと結論付けられた。


 亮は何度もペンダントについて説明し、優月がいかに勇敢だったかを話したが、大人たちの結論は変わらず、亮は怒ってワンワン泣いた。


 七歳の子どもをこれ以上傷つけてはいけないという配慮もあり、町ではこの件について、表だっては触れないでおこうという暗黙の了解もあった。


 大人たちがどれだけ口をつぐんでも、亮の心の中ではあの日の出来事が肥大していった。ペンダントはいつでも見られるし、手で触ることもできる。

頑なな亮の様子を見て、両親は彼を神社に連れて行った。両親としては息子を信じたい気持ちもある。月読つくよみ神社の人間であれば、何かわかるかもしれないと、祈るような気持ちだった。


 西方の山々がオレンジ色に染まり、その境界をくっきりと際立たせている。月が細くなっている。

 矢守やもり家の三人は、月読神社の応接間に招かれた。畳の間に両親が並んで正座し、その後ろで亮は胡座をかいている。神主は痩せた中年の男だった。お参りの時間は終わり、社務所も閉めた後だったが、神主はきっちりと狩衣かりぎぬを着ている。


「では、息子は幻覚を見ているわけではないんですか?」


 半信半疑だった亮の両親は、縋るように神主に聞いた。


「ええ、ご子息が言われているペンダント、温かい光、夜でも明るいトンネルなどは、幻覚ではありません。恐らく優月ちゃんという少女は、皇月こうづきの者でしょう」


 亮の父が、その言葉に反応した。


「皇月って……それは、伝説じゃないんですか?」


「実在しますよ。皇月の者たちは、マナの力で鬼と対峙することができます」


 亮の母も驚き、そして、より大きな疑問を抱いた。


「でも、私にはそのペンダントは見えないんです、どうして息子には……?」


「いいですか、お母さん」と、神主は優しく言った。


「世の中には肉眼で見えないもの、触れることのできないものがたくさんあります。マナもそういうものの一つです。そして、あなたたちのご子息は特別な子です。マナを見て、触れることができるこの子は、いつか皆の希望となるでしょう」


 神主は「ですが、」とさらに優しい声で続ける。


「今後、彼の言動が周りの常識とは違って、理解されないこともあるでしょう。親御さんにできることは、彼の言葉を信じてあげることです。普通の子どもよりも、心のケアが必要になるかもしれません。どうか、大切に育てあげていってください」


 夫婦にとって亮は、普通の活発な男の子だった。だからいきなり「皆の希望となる」と告げられても、実感はなく、まだまだ幼い子どもに変わりなかった。二人は顔を見合わせる。互いの顔に不安の色が浮かんでいるのを見つけたが、神主の言葉を予言として受け入れるしかないのだろうとも思った。しばらく返事はできなかった。


 亮は真面目に聞いていたが、理解できない言葉も多かった。それでも、神主が心地良い雰囲気を作ってくれていたので、安心してその場で黙っていた。


「矢守亮くん」と神主に呼ばれ、亮は背筋を伸ばす。


「お嬢さんから預かった宝石は、今日も持ってきていますか?」


 亮は頷き、胸を張って月の心を両手で持ち上げた。


「これは、優月ちゃんからもらった大切なお守りだから。いつか、また会えるって約束したから。それまで、大事に持っています」


 見せつけるようにペンダントを掲げる亮だが、大人たちには幼い少年の手が空しく見えているだけだった。


 神主はそれ以上何も聞かず、目を細めて微笑んだ。


「そうなんですね。では、その約束を守りましょうね」


「はい、俺は、逞しい男になって、約束を絶対に守ります」


 そして亮は家族とともに恒月こうづき町を去り、ネオエド郡の南西にある海岸都市――新都へと移った。亮は優月を忘れることはなく、毎日ペンダントを着け続け、そして、十年の月日が経った……

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