月読浪漫奇譚(仮)

響太 C.L.

第1話 プロローグ ①

 これは月読のメシアと呼ばれた少年が英雄となるまでを描いた英雄譚であり、また、月にある国「皇月こうづき」の姫が地球を冒険し、見聞を広め、愛するものたちのために革命を起こす冒険譚でもある。


 物語は、月の宿命を背負った少年と少女が出逢うところから始まった――



そこは、信濃郡の山あいにある町―恒月こうづき町。

 この町の鎮守の杜である月読つくよみ神社には、神主代々から伝わり、町民たちにも広く知られている「鬼」の伝説があった。その伝説はこんな話だ。遙か昔、地上にはグールと呼ばれる鬼がいた。人を襲う凶暴なグールたちは、ある時、皇月の戦士により結界の中に封じられた。それが、恒月町を囲む一帯の山々である……。


 近代になり、誰もが伝説や昔話を信じなくなった頃、恒月町周辺の山にリゾート開発の事業が誘致された。町民たちは色めきだったが、国の調査隊が山の調査に入ったところ、鬼が今も実在することが明らかになった。その報告では、鬼たちは凶暴さを保ったまま、知力を進化させていたこと。さらに、月の光が失われる新月の夜には、幻を作りだす能力までも持つことが知らされた。

 ただの都市伝説と思われていた鬼の脅威が実際にあるとわかり、恒月町の人々は震えあがった。開発事業は立ち消えとなり、町民たちは日没後の山に近付くことすらできなくなった。


 封じられた鬼の伝説は、それからもずっと町民たちの中で引き継がれていく。時代が変わり、暦が新暦となっても、恒月町は鬼とともにある未来を歩き続けていた。


 神無月の風が町を吹き通り、樹木は鮮やかな黄や赤に染まっている。

 一枚の葉が、ある一軒家の表札を指差すように、ひらひらと円を描いて舞った。そこには「矢守やもり」の文字が刻んである。


 玄関扉が開き、長い廊下に段ボールが積み重なっているのが見えた。扉を開けたのは、明るい髪色の男の子だ。動きやすそうな長袖のTシャツに、クロップドパンツを穿いている。


「お母さん、公園で遊んでくるよ」


 呼びかけに応じ、母親が姿を見せた。


「今日は言えそう?皆、いつも遊んでくれたお友だちでしょう?」


 男の子はそれを聞くと俯きがちになり、しばらく玄関の床を見た。


 一週間後、男の子が家族とともに相模郡の新都に引っ越すことは、すでに確定事項だった。幼い彼に決定権はなく、大人の事情に従うしかないのは分かっている。だが、幼いからといって感情がないわけではない。幼馴染みたちに別れを告げなければならない切なさを紛らわせるように、男の子は靴先で床をトントンと蹴る。


「……うん、今日こそ皆にちゃんと言ってくる。じゃ、行ってくるね」


「行ってらっしゃい。日暮れ前には戻るのよ」


床を軽く蹴ると、曇った気持ちが遊び心に切り替わる。ライトは明るく返事をした。


「はーーい」


 男の子は玄関を閉めると、小さな前庭を越え、ブロック塀を抜け、車通りの少ない道を走り出す。


 澄んだ青空を見上げると、下弦の月が追ってくるように見えた。


 男の子は家から1キロほど離れた場所にある森林キャンプ場として作られた広い公園にやってきた。この森林公園は恒月町の重要な観光スポットの一つで、町外からもたくさんの人が訪れる。もちろん、近隣の子どもたちの遊戯場としても使われていた。


 近くの森には結界の縄が張り巡らされている。だからこそ子どもたちが安全に遊べるのだが、縄は少しずつ老朽化し、先日の嵐で一部が千切れてしまった。町の人はまだ誰も気付いておらず、縄は放置されたままになっている。


 公園にはすでに子どもたちが集まっていた。その中には、優月ゆうづきの姿もあった。

今日は、サラサラの黒髪を黄色いリボンでサイドテールに結い上げている。振り袖の和風なワンピースは優しく風に揺れて舞い、襟元には立派なペンダント。細い月の枠に、神秘的な青い宝石が施されたそのペンダントは、小柄な彼女が着けると少々大きく見える。


 優月は不思議な女の子で、山の中にある洋館の娘だった。

町民たちがその洋館に近付くことはないため、公園にいる子どもたちは優月のことをお利口そうな女の子と思っていた。だが、


「おーい!鬼の子が出たぞー!」


彼女は家の近くの子たちからはよく鬼の子と呼ばれていた。

 からかう男子たちを見て、ポニーテールの女の子が呆れたように溜め息をついた。


「こんなに可愛い優月ちゃんが鬼の子なわけないじゃん!そういうの、やめなよ」


 反論に遭い、野球帽の男の子はムキになる。


「だって優月、前も遊びの途中で勝手に消えただろ?こいつのせいで帰りが遅くなって、僕がお袋に叱られたんだけど」


「ごめんなさい」と優月が頭を下げた。


「いつもこっそり遊びにきてたから……。帰ってないと、お父さんとお母さんに怒られるの」


「おーい!」と男の子が手を挙げると、幼馴染みたちが振り返った。


「来たか、ライト

「遅かったな?」

「ごめん、今何かあったの?」

「かくれ鬼しようって思ってたんだけど、鬼の子が反対してきてさ~、図々しくて困ってたとこ」


 そう言いながら野球帽の男の子は優月を睨んだ。


「やっぱり鬼の子と遊ぶのって面倒くさいなぁ~」


 男の子たちは、どうしても優月を仲間に入れたくないらしい。優月は顔を曇らせる。


 そばで聞いていた坊主頭の男の子が嫌な顔をした。


「俺、鬼の子とは遊びたくないんだけど?急に襲われて食われるかもしれないし。」


 残りわずかな時間で、この町を出なければならない亮は、あまり嫌な思い出を残したくなかった。優月の前に立ち、両手を広げ、眉をひそめる。


「もう、やめろよ。そんなふうに言ったら可哀想だろ。皆で一緒に遊ぼうよ」


「何だよ、亮は鬼の子の仲間なのか?」


 亮は強気なままで、首を横に振った。


「違う、優月ちゃんは鬼の子なんかじゃない。だって、鬼は結界から出られないって神社の人が言ってた。それなら、優月ちゃんが鬼の子だなんて、おかしな話だろ?」


亮は真剣な顔で言い切った。

優月は亮の横顔を見ながら、柔らかな頬をりんごのようにうっすらと赤く染めた。亮が優月の方を振り向く。


「どうしてかくれ鬼じゃ嫌なの?」


 優月はわずかに首を振りながら、「違うの、危ないから……」と答える。

 亮にはその理由がわからず、優月を説得するように言う。


「大丈夫だよ、ここは皆がよく遊んでいるところだから。」


 それを聞いても優月の表情は曇ったままだ。何か悩んでいるのに、それを口に出して言えないような雰囲気がある。

 二人のやり取りを見ていた野球帽の男子が、亮に言った。


「何で亮はそこまで庇うの?もしかして優月のこと好きなの?」


「マジで?鬼の子が好きとか、恥ずかしくないの?」と別の男子が笑った。


 優月が鬼の子ではないと信じている亮は反論しなかった。


「それがどうした。皆、仲間なんだから、一緒に遊ぼう?」


 他の女の子たちも、つまらなさそうに傍観していたが、「遊ばないなら私、帰りたいな。」と言い出した。それを聞いてようやく、野球帽の男の子が引き下がった。


「……分かったよ。でも、また勝手に帰ったら、今度は絶対許さないからな。」


 念押しされ、優月は強く頷いた。


「よーし、じゃ、鬼決めよう」


 ショートボブの女の子が鬼に決まり、残る9人の子どもたちが散らばりはじめる。鬼の女の子は、公園のご神木に腕をつけて目隠しをしながら数を数えた。


「もういいかい?」


「まぁだだよ~」


「三十まで数えたら探しに行くよ~!い~ち、に~い、さ~ん……」


鬼が数えている間に、子どもたちはその場を離れた。


 いつもと同じ場所に隠れても、どうせすぐに見つかるだろうと思った亮は、別の隠れ場所を探していた。


 亮はキャンプ場の遊歩道へと足を伸ばした。ここは公園から登山口へと繋がる唯一の入り口だ。ハイキングコースの途中には洋風の東屋あずまやがあり、亮はその垣の後ろに身を隠す。その時、優月のか細い声が亮に呼びかけてきた。


「亮くん、ここにいたら見つかっちゃうよ?」


 鬼役の子に見つけられるのではないかと、亮は首を伸ばして周囲の様子を窺う。そして、誰もいないことを確認すると、優月の手を引き、垣の後ろに彼女を隠した。まだ何か言おうとするので、「シーッ」と人差し指を立てると、優月は困ったような顔のまま黙り込んだ。


「ここならすぐには見つからないはずだよ?」


 亮は安心させようとしてそう言ったが、優月は真剣な表情を浮かべた。


「でも……グールに見つかっちゃうよ」


 優月が空を見上げ、太陽の位置を確認する。太陽は西の山へと落ちていき、空も、紅葉した山々も、西日に照らされてオレンジ色に染まっていく。カラスが鳴いていた。


「鬼は結界から出てこられないだろ?」


 亮は確信を持ってそう言ったが、優月はそわそわと辺りを見渡していた。

 秋の森は日暮れが早い。鋭角に差し込む西日が、濃い影を作っている。


 二人が帰りの時間を気にし始めた頃、急にドンッと音がして、隠れていた東屋が崩れ落ちた。砂煙が巻き起こり、亮は咳き込みながら目を開く。そこには2メートルを超える巨躯の、二足の影が立っていた。砂煙が散り始めると、亮は目の前に絶望を見た。緑とグレーを混ぜたような不吉な色の肌、鋭い歯に狂ったような赤い目、両手の爪は鋭く伸び、頭には苔のような汚い髪が背中まで覆っている。


 亮は愕然とした。


「な、何だあれ!?」


「鬼だよ」


 優月は意外なほど冷静に言った。


「に、逃げよう」


亮は叫び、逃げようと思ったが、公園に戻る道を塞ぐように鬼が立ちはだかった。亮はとっさの判断で優月の手を引っ張り、山頂へ向かう山道を逃げていく。気温が下がり、汗が冷えて気持ちが悪い。


 鬼は当然のように、二人を追って山を登ってきた。


 坂道を上ると、森から他の鬼が現れた。それは野生の猛獣のように唸った。

このままでは挟み撃ちになる。亮は強引に脇道を通り抜けることにした。


亮は優月の手を少し強く握った。優月は、恐怖に歪んだ亮の横顔を見ながら、手を引かれるままに走った。

 

 だが……。襲いかかった鬼の重量に耐えきれず、路肩が崩れた。二人は土砂に巻き込まれ、そのまま斜面を落ちた。


 山から落ちるさなか、ライトは光を見た。

 それは、優月ゆうづきのペンダントの石の光だった。


 澄んだ夜空に、下弦の月が鋭く光っている。


 二人は崩れた山の下で、土砂と木の幹の破片のそばで失神していた。優月のペンダントは青い光を放ち、それからエネルギーが弱まったように光が小さくなった。


 先に目を覚ました優月が、近くで倒れている亮を見つけた。


「亮くん……」


 小さな両手で亮の体を軽く揺する。亮はしばらく「ううん……」と呻いてから、ゆっくりと目を覚ました。


「大丈夫?」


「うん……。優月ちゃんは?」


「私も大丈夫」


「よかった……ここ、どこなんだろ?」


「上から落ちたみたい」


 亮は崩れた崖を見上げながら、あれだけ高いところから落ちたのに、二人とも全く無傷だったのは奇跡だと思った。それから、青い光が灯っていることを不思議に思う。


「そのペンダント、暗闇で光るんだね?」


 それを聞いて優月は、鬼を見た時よりも驚いた顔をして、そして少し嬉しそうに、柔らかな笑みを浮かべた。


「月の心が見えるの?亮くんも、マナの力を持っているのね」


「マナって何?」


「心が生み出す力よ。」


 亮はもっとマナについて知りたかったが、今度は真っ赤な光が二人を突き刺すように見た。二人とともに落ちた鬼が起きたのだ。


「鬼が……起きた……」


 怯える亮とは裏腹に、優月は立ち上がった。そして、亮が優月を庇ったように、今度は優月が、亮の前に立ちはだかる。優月が両手を左右にまっすぐ伸ばすと、全身から強い光が放たれた。あまりに眩しい光を見て、鬼は腕で目を塞ぎ、辛そうにその場にうずくまった。


「亮くん!今のうちに、あのトンネルに入ろう」


 優月がトンネルと言ったのは、巨岩の割れ目だった。子ども二人が身を隠すのに十分な広さがある。その先を進んでいくと、どこに繋がるのかもわからないほどの広さだ。






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