第52話
彩子は里穂の部屋で家庭教師をしていた。
「じゃあさぁ、侵略して虐殺とかの蛮行を起こした国は、被害者の国に対してどうすればよいの? 何らかの補償とか?」里穂が彩子に聞いた。
「ううん。まずは自国のやったことをきちんと認めて謝ることだと思うわ」
「謝る?」
「そう。まずは、謝って欲しいと思ってるんじゃないかしら。そして、謝ることからしか始まらないんじゃない? 逆に、もっとも頭に来る行為は、無かったことにされることなんじゃないかしら。
「謝るか……」
美姫は、久しぶりに瞳のアパートを訪れた。その玄関を一目見るや、瞳は呆然と立ち尽くした。
「何、これ!」
玄関のドアは打ち破られて大きく穴が空いていた。明らかに御神乱が破壊した形状だった。
「瞳? まさか……」
中に入ってみると、彼女がベッドの上でしばらく苦しんでいた様子がうかがえた。美姫はすぐに和磨に連絡をした。
堺市の政府内にある防衛大臣の部屋、和磨のスマホが鳴った。美姫からだった。
「鳥越君、どうしたんだ、急に?」
「和磨さん、大変なんです! 瞳が……、瞳が発症して!」
「え! 斎藤君が?」
「瞳が発症して、たぶん御神乱になっていると思います。マンションのドアが打ち破られてて……。たぶん俊作に会えない怒りがアメリカに向けられて……。俊作のいる刑務所に向かってるんだと思います」
「……」
「瞳を殺さないで。瞳を殺さないで……」電話の向こうで、祈るようにつぶやく瞳の声がしていた。
堺の刑務所では、政治犯として収容されていた学生たちが、次々と御神乱化していた。彼らは、それぞれが収容されていた留置所を破壊して外に飛び出して来た。しかし、そこにはパクらしき人物も御神乱も見当たらなかった。
俊作が収容されていた部屋では発症する者はいなかったが、ぞくぞくと発症して破壊される建物の激しい衝撃で、俊作のいる部屋もひずみ、扉もゆがんで鍵の部分が壊れた。いつでも外に出れる状態になった。しかし、部屋にいた学生たちは、すぐに外に出ようとはせず、しばらくは天井や窓際に張り付いていて、外にいた御神乱がそこから遠ざかっていくのを待っていたのだ。
看守とアメリカ軍が武器を手に飛び出して来た。彼らはバズーカ砲やロケットランチャーで御神乱を排除しようとした。何体かの御神乱が頭を撃ち抜かれて倒れた。しかし、御神乱の数のあまりの多さに手こずっており、御神乱に喰われ始める看守や兵が出て来た。彼らは後ずさり、後退していった。
俊作は、これに乗じて留置場を出て、御神乱の動きを避けながら看守たちのいる管理棟の方へ向かった。彼はパクを探していたのだ。
ひとしきり管理棟をめぐったとき、裏手の独房にパクは閉じ込められていた。パクの背中は、激しくピンク色に光り始めていた。
「パク!」俊作は声をかけた。
パクは俊作に気がついた。
「今開けてやるから、待ってろ」
俊作はそう言うと、管理棟から鍵の束を持ち出して来た。
「光り始めてるぞ。ピンクだ。こらえろ! こらえるんだ、パク」
俊作は、鍵を開けると、独房からパクを引っ張り出した。
「俺を助けてくれるのか」パクは言った。
「当たり前だろ! 誰だって目の前で困っている者を助けるのは、人として当然の行為だろ」俊作がやや照れながら言った。
「光り始めた奴は、皆、殺されてた。裏の方に埋められてる」そう、パクは言った。
「分かった。とにかく、逃げようぜ」俊作は言った。
二人は、管理棟の二階に上がり、そこから刑務所の現状を把握しようとした。
留置所を破壊して出て来た御神乱たちは、刑務所の建物自体を破壊し始めていた。そして、既に日本人の刑務官や米兵たちが御神乱の餌食になり始めた。留置施設と作業施設は既に破壊されており、その後には瓦礫の山ができていた。何体かの御神乱は、北に面した塀を破壊して逃亡し、アメリカ占領政府の入っている堺市庁舎方面へと向かっていた。他の一部の御神乱は、管理棟のある三階建ての最も大きく堅牢な鉄筋の建造物に向かった。
パクと俊作は、刑務所内を逃げた。庁舎内では、米兵と日本人の管理官たちが右往左往していた。御神乱は本館のもうすぐそこまで迫っていた。
御神乱がこちらに走ってきているのが見えた。二人は庁舎内にあるエレベーターに逃げ込んだ。
エレベーターに入り、一階のボタンを押して扉を閉めた。ところが、その数秒後に突然エレベーターが緊急停止した。御神乱による建物の破壊により、安全装置が働いて停止したのだ。エレベーターの扉は、どんなに手で開けようとしても開くことはなかった。
「やばい! 閉じ込められた」俊作が言った。
パクは、しばらく黙ってあたりを見回していた。
「何かマイナスドライバーの代わりになるようなものは無いかな?」パクはそう言った。
「ネームプレートの裏にある金具くらいしかないぞ」俊作が言った。
「ま、それで何とかできるか」
そう言うと、パクは自身のネームプレートの金具を改造し、それから、天井のドアやら、ボタンの並んだパネルとかをやおら開け始めた。
「おいおい、何をするんだ?」
それからしばらくの間、パクは色々な配線をいじっていたが、三〇分ほど経ったとき、突然エレベーターが動き始めた。
「すごいな! パク」
「だって俺、工学部の電気科だぜ。でも、褒められたら誰だって嬉しいものさ たとえそれが誰であってもな」パクは、俊作ににやりとほくそ笑んで言った。
「そうだったな」
次の瞬間、一階のドアが開いた。
すると、一人の黒人の米兵がエレベーターに逃げ込んできた。見ると、すぐそばに御神乱が追って来ていた。
すぐにドアを閉めたパク。地下のボタンを押した。
「アリガトー」米兵が言った。
「目の前で食われそうになっている人間を見殺しにはできないからな。たとえそれが誰であってもな」パクが米兵に英語で言った。
「俺たちを恨んでいるんだろう? でもな、俺たちだってやってられないんだよ。俺たち駐留兵は、文化も風習も違う遠いこの国で、家族と離れた状態でずっと駐留させられているんだ。娯楽だって自由に楽しめない。全く息がつまりそうだぜ! たまには酒を飲んでうさばらしをしたくもなるだろ」
「なるほど……」パクは冷たくそう言った。
エレベーターは地階に到着した。誰もいなかった。ただ、いくつかの死体が転がっていた。
息をひそめて、ゆっくりエレベーターを出た三人。そろりそろりと出口に通じる階段の方に歩いて行く。
「ヒーッ! 助けてくれ!」そのとき、突然米兵が叫んだ。
見れば、階段から姿を現した御神乱が米兵に向かって威嚇している。その御神乱の背中はピンク色に光っていた。
腰を抜かして後ずさりする米兵。床を這いつくばっている。その米兵に執拗に迫る御神乱。
すると、階段の上の方から声がしている。
「ひとみー! ひとみー!」美姫の声だ。
「ひとみー! 撃たれてないか? 生きてるのか?」和磨の声もする。
その声は、こちらの方に近づいて来ているような気がした。
「美姫だ! 和磨もいる」俊作は瞬時にそう思った。「しかし、瞳と言っているのは、目の前にいるこの御神乱なのだろうか? 確かに、目の前のこの御神乱は俺とパクには目もくれようとせず、この米兵だけを執拗に威嚇している。もしかすると、この米兵は瞳をレイプした米兵なのだろうか?」
「お前、大阪市で若い女性をレイプしなかったか?」俊作は、下手な英語で米兵に問い詰めた。
「した……。した……。悪かった、俺が悪かった。すまなかった」恐怖にさいなまされながら、震える声で弱々しく米兵は言った。
「すまない。すなない。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ」恐怖で顔を引きつらせながら、大男は御神乱の前で何度も何度もひれふしては詫びていた。
男の瞳からは涙がこぼれ落ちてきていた。
すると、奇跡が起き始めた。蛍のようなピンク色の光が一粒、御神乱の頭上を舞ったと思ったら、その光は二つ、三つと次第に増えていき、やがて美しいピンク色のベールとなって、御神乱を優しく包みこんでいった。
そして、光に包まれながら、御神乱は瞳の姿に戻っていった。光の中から現れた瞳は、全裸の状態で、少し放心状態になっているようだった。
「瞳!」俊作は瞳のもとに駆け寄ると、両手で優しく瞳の身体を包んであげた。瞳の腹部には、何か今までと違う違和感を俊作は覚えたのだが、そのときは、さして気には留めなかった。
「……あ、俊作。やっと会えた」
瞳は、もうろうとしながらもそれだけ言うと、安心したようにその場に倒れ込んだ。目の前では、米兵がまだ泣きぬれながら土下座していた。
「一体何が起きたんだ!」パクがつぶやいた。
俊作は瞳との居酒屋でのやりとりを思い出していた。
「……そう言えば、瞳は言ってたな。自分をレイプした米兵であっても、謝ってくれれば許すと」
「俊作!」
階段から降りてきた美姫が言った。和磨と彩子もいっしょだった。しかも、傍らにはロケットランチャーらしきものをかついでいる自衛隊員も二人いた。彼らは、階段のところで今起きた奇跡を目にしていたようだった。
「美姫! 和磨さん!」
「遅くなって悪かったな。俊作、こっちだ。急ごう」和磨は、階段を昇って、みんなを一階の玄関まで誘導した。
彼らが玄関のところまで出ると、和磨たちが乗って来た自衛隊の装甲車が止まっていた。辺りを見ると、他にも何台かの装甲車が待機していて、隊員たちが忙しく動き回っている。そして、上空には自衛隊の大型ヘリが、今まさに刑務所の運動場に着陸しようとしていた。
自衛隊員の一人がやって来て、和磨に言った。
「大臣、ここはもう我々にまかせてお戻りください」
「大臣?」俊作がつぶやいた。
「和磨さん、今、防衛大臣やってるのよ」美姫が言った。
「ええー! 防衛大臣をですか?」きょとんとした顔で俊作が言った。
「ああ。何か問題でも?」和磨が言った。
「あ、いや。御神乱を殺すのですか? 和磨さん」俊作が和磨に聞いた。
「いやー、そんなことはしないさ。あれは特注の催眠弾なんだ」
「俺たちが、刑務所にいる間に、色々なことがあったみたいですね」
彼らは、止めてあった装甲車に乗った。
「和磨さん、こっちは友人で韓国人とのハーフのパク・ソジュンです」走っていく装甲車の車内で、俊作が和磨にパクを紹介した。
「あれ、君は確か、クルムさんの講演の時の……」和磨が言った。
「ええ。その節は、お世話になりました。どうぞ、よろしく」パクは、気まずそうにそう言った。
「瞳……。良かった。元に戻れて」俊作に抱えられて眠っている瞳に向かって、そう美姫が優しく言った。
「和磨さん、俺、御神乱を人に戻す方法が分かったような気がします」俊作が言った。
「ああ、俺たちも、あの奇跡を見てたよ」
俊作達は、大阪刑務所から脱出した。帰宅後、大阪刑務所で起きたこの事実を「謝る米兵。御神乱は光に包まれて元の人間に戻った」というタイトルをつけてSNSで拡散した。
「何だー? これ! 謝って御神乱が元に戻るんなら苦労はしないぜ! 全く」「いい加減なこと言いやがって!」「どうせフォロワー稼ぎのデマでしょ!」
しかし、そこに付けられていくのは、ディスるコメントばかりだった。この事実を誰も信じようとはせず、フォロワー稼ぎのフェイクニュースとして処理されたのだった。
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