第51話

 階段を昇って地上に出てみると、そこはハーレムだった。何のことはない。彼は北に戻っていたのだ。

 しかし、もはや群衆の騒乱も治まり、御神乱も軍が排除してくれているみたいだった。幾分小降りになったとは言え、まだ雪がちらついていた。

 彼は、仕方なくイエローキャブを拾った。

「ホワイトハウスまで」サンダースがいかにもヒスパニック系らしいドライバーにそう言うと、ドライバーは、驚いたような顔をした。

「いいんですか? 三百キロ以上はありますよ」

「かまわん。やってくれ。金は持ってる」

「分かりました。でも、こんな時分にホワイトハウスなんて、一体何の用があるんです? ダンナ」

「ああ、ちょっとばかり大統領に言いたいことがあってな」

「ああ、文句を言いたいんですね。全く困った大統領ですよ。民衆に向けて発砲したりして、子どもみたいだ。ありゃ、精神年齢が低いんですよ。ま、でも、死んじゃったみたいだし……」

「お前は黙って運転だけしろ!」サンダースが運転手に怒鳴りつけた。

「はいはい。分かりましたよ。でも、この雪だ。少し時間はかかるかもしれませんぜ」

 タクシーでホワイトハウスに戻る車内、サンダースは、自分のまわりで今日起きた色々なことを思い起こしていた。

「今日の午後、俺はヒーローとしてスタジアムに降り立った。群衆の歓喜の中で迎えられた。しかし、どうだ。さっきは地下鉄の中でさんざんな扱いだ。でも、どちらも同じ俺だ。俺は何も変わっちゃいない。じゃあ、俺は一体何者なんだ? そうだ。英雄であるということも、地下鉄に乗っている爺さんであるということも、悪役であるということさえも、要は、周りがそう仕立て上げているにすぎないのかもしれない。なぜなら、俺は俺でしかないのだからな。ヒーローもヒールも大衆も大統領も作られているんだ。してみれば、一体、実際にそんなに素晴らしい仁徳にあふれた政治家などいるのだろうか?」

「それにしても、さっきの俺に対する扱いは、あれは何だ? なぜ、みんなして俺をいじめる。みんなそんなに俺が憎いのか? 俺はそんなにみんなに嫌われているのか? 俺だって、あんな風にされたら嫌いになる。……みんなって誰だ? アメリカ人ということだよな。アメリカ国民だ。だったら、俺はあいつらが大嫌いだ。じゃあ、俺はアメリカ国民が嫌いなのか? いや、そんなはずはない。俺はアメリカが大好きだったはずだ。アメリカを愛し、アメリカの為なら身を挺して尽くすつもりだ。でも、それなら、アメリカって何だ? いや、そもそも国って何だ? アメリカの本体は、アメリカ国民なのではないのか? アメリカの為ということは、アメリカの国民を幸せにする為ということではなかったか? みんなを幸せにする為……。しかし、そもそもがあんな奴ら、幸せにしてやるだけの価値のある人間たちなのか?」「いや、待て。そもそもあいつらは、幸せにする価値などあるのか? でも、俺に優しくしてくれた母親とかおばあさんもいたな。確か、ヒスパニック系の母親と黒人のばあさんだったな」「いやいや、俺は一体何を考えているんだ。俺の目的は、アメリカという国を豊かにするためなんじゃあなかったか? アメリカを昔のような偉大な世界一の国家に作り直すことだ」「では、俺の考えるアメリカ国民というのは、一体どのような人達だ? 豊かだった七十年代の頃までの紳士的な人々だ。俺の考えるアメリカ国民というものは、そんな俺の理想に見合うだけの国民でなければならないはずだ。あんな奴らじゃない。国を豊かにする。その為だったら、一部の国民を犠牲にしても良いのだ」


 真太たちの乗ったヘリが村田とディックの待つ公園に降り立った。

 村田は、さっそく解除できたサンダースのスマホをルークに見せた。

「よく解除できたな!」真太が感心して言った。

「俺を誰だと思ってる。まがいなりにも、俺はCIAなんだぞ!」

「ああ、そうだったな」

「このクリスチャン・ビショップってのが、よく分からないんですがね」村田がルークに聞いた。

「こいつはすごいぞ! 特ダネだ! クリスチャン・ビショップっていうのは、サンダース賛成派のテレビ局の有名なプロデューサーなんだ。サンダースの超シンパさ。前々からサンダースとの関係が取りざたされている。……というよりも、サンダースを大統領に仕立て上げた男こそ、このクリスチャン・ビショップだと言っても良い」

「そうなんだ!」真太が言った。

「ああ、何かと過激な発言の多かった上院議員時代のサンダースを、テレビのバラエティー番組でレギュラーで起用し、それによってサンダースの人気に火がついた。というより、彼がサンダースというキャラクターを創り上げていったと言った方が良いかもしれない」

「何てことだ」

「それどころじゃない。あのサンダース信奉者の謎のユーチューバー、トマホークXの正体が、実はクリスチャン・ビショップではないかという噂がある」

「ええ! あの反移民で白人至上主義者、ソースがどこかも分からないようなフェイクニュースをばらまいているトマホークXがですか?」村田が言った。

「ああ。今のアメリカを分断させている張本人だと言っても良いかもな。試しにそこに電話してみるか」

「そうですね。やってみます」

 村田はクリスチャンに電話をかけて、すぐに切った。すると、すぐに向こうから電話がかかってきた。村田は録音モードに設定した上で、サンダースに成りすまして電話に出た。

「大統領か? 無事だったのか? 何度も電話したんだぞ」興奮気味にクリスチャンが切り出した。

「ええと……。君は誰だったかな? まだ意識がもうろうとしていて、記憶が断片的にしか思い出せないんだ」村田が応えた。

「何だ、しっかりして下さいよ。盟友のクリスチャン・ビショップですよ。ほら、先日もこの携帯で話したじゃないですか?」

「ああ、そうだったかな」

「例の件、万事うまくやってますんで、ご安心ください」

「例の件というと、……何だったかな?」

「ええ! 大丈夫ですか? 大統領。ほら、フロリダで大統領が差別的な発言をやっちまったんで、またトマホークXを使って、ゲイルの陰謀だったってことにするという大統領からの依頼でしょう」

「ああ! そうだったな。段々と思いだしてきたよ。その件はぬかりなくやってくれよな」

「もちろんですとも、私はいつだって上手くやってますよ。今までも、そして、これからも……」

「ところで、トマホークXというのは、君のことで良かったんだっけ?」

「いやですねー。もう。前にも同じことを言いましたよね。トマホークXの言っていることが真実かどうかなんて関係ないんだって。みんなが真実と思ったことが真実になるんだってね。それに、トマホークXなんていやしませんよ。いるのは、みんなの心の中にだけ住んでるんだってね」

「ああ、そうだ、そうだ! 思いだしてきた。やはり電話して良かったよ。ありがとう」

「いいえ。……ところで、今回の件はどうします? また何か手を打たないと、今日大統領がやらかしたことは、かなりやばいですよ」

「ああ、そのことで頭が痛いんだ。またトマホークXを使って何とかしてくれ。頼むよ」

「分かりました。結果を期待していて下さい」

 村田は電話を切った。四人は、してやったりという顔で喜んだ。

「大スクープだな! これは」ルークが言った。


 サンダースがニューヨークから乗ったイエローキャブは、はるばるワシントンDCにあるホワイトハウスに到着した。もはや深夜をまわっていた。

「ちょっと待っててくれ。お金を取って来る」そう言うと、サンダースはさっさとタクシーを降りて出て行った。

「あの、ちょっと、代金を……!」ドライバーが慌ててサンダースを呼び止めた。

サンダースが門のところまで行くと、衛兵に呼び止められた。

「見て分からんのか!」メガネを取ってサンダースが言った。

「これは、失礼しました! 大統領、御無事でしたか」

「ああ、俺は生きてる。あのイエローキャブに代金を払ってやれ」

 衛兵は、すたすたとタクシードライバーのところに向かい、やりとりを始めた。ドライバーは驚いたような顔をしていた。


 ホワイトハウスでは、妻が待っていた。まだ幼い娘のドロシーは、既に寝ていた。

「あなた! とても心配してたのよ」サンダースの妻のキャサリンが言った。

「ああ、心配かけたな。すまない」

「もう無理しないでね。あ、そうそう、お義母様が入院されてる病院から電話があったの」

「何だって! 悪いのか?」

「もうあまり長くないみたい。だから、まだ自分が話せるうちに、あなたに会っておきたいとおっしゃってるらしいわよ」

「分かった。テレビ討論会が終わったら、アラバマに直行することにするよ」

「私たちも一緒に行くわ。いいわよね?」

「ああ、もちろんだ」


 はたして、トマホークXのSNSが更新された。

「サンダースが民衆に向けて発砲した? いいや、それは断じてノーだ。彼が銃口を向けたのは、御神乱であって民衆ではない。御神乱はモンスターであり、既に人ではないのだ」

「それと、もう一つ重要な事実を、俺は全世界の人たちに教えなくてはならない。御神乱ウイルスを作り出したのもゲイル陣営だし、それをアメリカ株に改良したのもゲイルだ。彼のバックには資金を提供している中国がいる。彼のブレーンには、中国系だの日系だのインド系だのがうようよいるのだ。そして、彼らは裏でつながっている。彼らの目的がはっきりしてきた。アメリカ人を御神乱化することで反サンダースの御神乱を大量に作りだし、アメリカに混乱を引き起こし、しいては救世主であるサンダースの政権を崩壊させることにあるのだ。全てはゲイルの目論見なのだ。もしも、アメリカを救いたいのであれば、我々は、今、まさに立ち上がり、サンダースを支えるための行動を開始しなければならないのだ」

「これだけ言えば、もうみんなも分かるだろう。雪の降るスタジアムで彼が銃口を引いたのは、正当防衛に他ならないと」

 彼の言動は、アメリカ国内の分断をさらに助長していった。

 このSNSを更新した後、クリスチャンはサンダースに電話しようとした。しかし、サンダースにつながることはなかった。「どうしたんだろう。この前は通じたのに」そう、彼は思った。

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