第43話
その日、ついに香港の刑務所が崩壊し、政治犯として収容されていた人間たちが御神乱となって出て来た。それに乗じて、まだ発症していない政治犯たちも次々と走り出て来た。
収容所から走りだして来た、ある学生らしき男が報道陣の前までやって来たこう言った。
「マギー・ホンが御神乱になって独房から出て来た! 彼女の背中はピンク色に光っている!」
そのシーンがニュースで報じられると、それに呼応するように香港の群衆が街へ繰り出して来た。やがてそれは大きなうねりとなり、たちまちのうちに十万は超えるほどの巨大なデモとなった。デモもまた、御神乱を追うように香港政庁へと向かって行った。
御神乱たちは、香港政庁を目指していたが、その後方には十数万の大群衆が動き始めていた。
「マギーをサポートしろ! マギーに続け!」デモ隊は、口々にそう叫び出していた。
しかし、御神乱を排除し、かつデモを鎮圧するため、人民解放軍も動き始めた。
香港政庁内にいる長官をはじめとする職員たちは、その建物を取り囲んでいる御神乱の恐怖にさらされていたが、さらにそれを取り巻くように群衆がいるため、軍は、へたに重火器による攻撃ができず、政庁への突入も困難な状態になってた。香港は、内戦化の様相を呈してきた。
シー・ワンのティックトックが更新された。
「香港では大変な人権蹂躙が起きているわ」
「人民解放軍は、香港市民に対して発砲している。そして、怒りの為に御神乱となった政治犯に対しても戦争を開始したわ」
「中国政府がどんだけ否定してもダメ。映像を見ても分かるように、これは、まぎれもない事実よ」
中東の荒れ地を数体の御神乱が歩いていた。男たちはそれに向けてロケットランチャーを撃ち込んだ。御神乱の身体が吹き飛び、砂漠が血で染まった。
男たちはまた、道行く女性たちのブルカをめくって検査をしていた。そうして、背中が光って居ようものなら、その場で射殺していった。しかし、これらの男たちの行動に、さらに背中を光らせる女性たちが出てきた。きりが無かった。
俊作達のいる大阪の刑務所。ある日の夜のことだった。パクの部屋にいた学生の背中が青白く背中が光り始めた。息が苦しそうで、見悶えていた。
「おい! 大丈夫か? 苦しいのか?」パクが声をかけるが、男はベッドの上でうずくまって見悶えるだけだった。
やがて、声を聞きつけたのか看守たちがやって来た。
「隔離するから、お前は離れてろ」看守の一人が俊作にそう言った。
「どこに連れて行くんです?」パクは看守に聞いた。
「お前は知らなくても良い」看守は、ただそう言った。
「処分するんじゃないでしょうね」
「何だと! おい! こいつもひっとらえろ」看守のリーダーらしき男が部下に指示した。
「おい! 何すんだ! やめろ!」
看守たちは、抵抗するパクを無理やり連行していった。
「こいつは、独房に入れておけ」リーダーが言った。
ニューヨークでは、毎日どこかで各種団体のデモが頻発していた。それは、大きく二種に分類されていた。
一つは、ヒスパニック系移民、アジア人差別への反対運動、BLM運動、ジェンダー差別反対運動、LGBT差別反対運動など。それは、主に人権問題、差別反対運動であり、これらの多くはクリストファー・ゲイルの支持者たちであった。
もう一つは、これらに反対する団体。すなわち、労働者団体、移民反対のナショナリストたち、白人至上主義団体であり、彼らは主にサンダース信奉者たちであった。
彼らは、市内のあちこちで、ことあるごとにぶつかっていて、ときには、お互いに暴徒化した人々が乱闘騒ぎを起こし、それぞれから逮捕者が出ることも多かった。
それに加えて厄介なことに、脱走してきた囚人たちが、デモ隊や暴徒化した市民に紛れ込んでいて、略奪、放火、レイプなどを引き起こしていた。
アメリカのニュース番組、フロリダでのサンダースの弁が報道された。
「これは、本日、フロリダのオーランドにありますサンフォード空港で行われていたサンダース大統領の支持者集会での模様です。北から現れた御神乱に、人々が逃げ惑っています。また、群衆の何人かはサンダース大統領が飛び立とうとするヘリコプターに群がり、脚部にしがみつこうとしています」
「さて、問題なのは、この次の場面です」
「来るな! あっちへ行け! お前たち国へ帰れ! ここは俺たち白人の先祖が作った国だ。失せろー! 帰れ。移民ども。有色人種ども。俺たちの国を荒らすな!」再生された画面の中でサンダースがわめいていた。
「この発言は、米国に住んでいる移民や有色人種などのマイノリティーへの侮辱とも取れます。今後、この発言は、各地で問題視されるのではないかと考えられます」
キャスターたちの予想した通り、サンダースがフロリダで発言したことは、アメリカ中の人権派のデモ隊の怒りに火をつけた。サンダースの考えに反対する、いわば反サンダース運動は、さらに膨れ上がり、これらのデモ隊が暴徒化する場面も増えていった。商店街への破壊や略奪、そして放火も各地でおきはじめた。
この報道を受けて、大統領候補のクリストファー・ゲイルも声明を出した。
「アメリカは移民の国です。ネイティブアメリカン以外でアメリカに住んでいる人たちは、全て移民であり、私たちは、ここが移民によって成立した国であることを忘れてはなりません」
「また、ネイティブの人も、移民の人も、アフリカ系、ヨーロッパ系、ヒスパニック系、アジア系、それぞれは、長い年月を経て、現在ではそれぞれ混血が進んでいます。もはや、多種多様な人々によって国を成しているのがアメリカという国なのです」
「もちろん、ここにいたるまでには、アメリカは数々の失敗や過ちも犯してきました。ネイティブアメリカンへの迫害と排除の歴史がそうですし、黒人奴隷への差別の歴史もそうです。しかし、この国は、過去の過ちに反省をし、過去の間違いに学びながら、現在もなお試行錯誤をしつつ、今、ここに我々がこうしているのです」
「現在でも、移民がアメリカを目指してやって来ているということは、それは、まだアメリカという国が自由と繁栄を約束してくれる理想の国であるということの証拠です。我々は、そのことを誇りに思うべきです」
「もしかすると、アメリカは、多種多様な民族によるつぎはぎだらけで傷だらけの国なのかもしれません。でも、それでも良いじゃなりませんか。私たちは、そのことを美しいと思いましょう。そのことを誇りに思いましょう。つぎはぎ状態の国、アメリカ。でも、つぎはぎだらけでも、必死に生きようとしている。それを誇りに思いましょう」
この報道をホワイトハウスの大画面テレビで見ていたサンダースは、明らかに不快な表情をした。
「何だ! 大統領でもないやつが、なんでこんな偉そうなことを言っている。大統領にでもなったつもりか! 大統領は、この俺なんだぞ。だいたい、つぎはぎがどうして美しいと言えるんだ。統一されてる方が美しいに決まってるだろ!」
デモが激化し、御神乱にメタモルフォーゼした人間による襲撃事件が後を絶たないニューヨーク。それでも、パッと目には、まだ、いつもと変わらぬ日常の風景がそこにはあった。
ブロードウェイや美術館は観光客であふれており、証券取引所も朝から盛況だった。地下鉄はいつも通りに市民を運んでいて、道路はいたるところで工事が行われていた。
夜にもなれば、アパートでダンスの練習をする者や、サックスを吹く者が現れた。
そんな中、真太たちの乗ったキャンピングカーがニューヨーク市の海に面した公園に到着した。
「何だ、これは!」真太が叫んだ。
「暴動が起きてるみたいだな」ディックが言った。
「ちょっと見てくる」真太はそう言うと、車を降りでデモ隊の方へ歩いていった。
「おい君、ちょっと! そっちへ行かない方が良い」道路に立っていた警官が真太に言った。
しかし、その声は真太の耳には届かなかったらしく、デモ隊のすぐそばまで行くと、そこに乱闘騒ぎが起き始めていることに彼は気がついた。
「お前、アジア人だな!」そう言いながら、男がアジア系と思しき女性に殴りかかっていた。
「おい! やめろ」真太がそこに割って入った。
すると、男は真太に殴りかかってきた。真太も反射的に男に殴り返し、さらに投げ飛ばした。気がつくと、真太は乱闘騒ぎに取り込まれていて、男たちを殴ったり投げ飛ばしたりしていた。真太の投げ飛ばした男たちが路上に転がっていった。
「何だこいつ! カラテマンか」真太を取り囲んでいた男たちは、口々にそう言った。
デモ隊どうしの衝突は、いつしか大きな乱闘となっていた。路上に火がつけられ、暴徒化したデモ隊は周囲の商店を襲い始めていた。窓ガラスが割られ、商品が略奪されていった。
警察隊がやって来て、催涙ガスを発射しながら、騒乱を撹乱し始めた。
「逃げよう」真太は、例のアジア人女性に言った。
しかし、女性は真太の言うことには従わず、
「ありがとう。ねえ、私たちといっしょに来ない?」とだけ言った。
既に、警官隊によって乱闘は収まっていて、それぞれのデモ隊はチリヂリとなって散って行っていた。
「ああ、分かった。車があるんだ。取って来るから、一緒に乗って案内してくれ」
「いいわ。私の名前はサンドラ・チャン。中国系アメリカ人。ダンサーよ」女性は言った。
「俺は飯島真太だ」
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