第42話

 真太たちがまもなくオーランドに到着するという少し前の深夜、真理亜はフロリダ東海岸のカナベラル海浜公園に静かに上陸した。真理亜は、暗闇の中、丘を越え、バーニー湖に入り、次いで、朝までには、サンフォード空港そばのモンロー湖の中に入った。


 翌朝、真太たちの車は、サンダースの集会場であるサンフォード空港の横を通った。

「何だ、これは!」空港を目にしてディックが言った。

 見ると、空港の滑走路には、びっしりと戦闘ヘリやら戦闘機やらが並んでいた。

「ここは、一体いつから軍の基地になったんだ?」

「もしかすると、真理亜の襲撃に備えているのかもしれない」真太が言った。


 フロリダ州オーランドにあるサンフォード空港。その日は、朝からサンダースの支持者たちが集まり始めて気勢を発していた。しかし、そこには反サンダース政権の支持団体も多く集結し、彼らは、またしても暴動になりかけていた。反サンダース政権のデモ隊には、ジェンダー差別反対を訴える人たちや有色人種への差別反対を訴える人々も多く集まっていた。

 昼前、空港にサンダースの乗ったヘリコプターが降り立った。中から護衛に囲まれながらサンダースが姿を現すと、支持者たちは、なお一層の歓声を彼に浴びせた。しかし、それと劣らぬくらいの罵声もまた、同時に彼に浴びせられていた。

 サンダースが支持者に声をかけた。

「なあみんな、知ってるか? アメリカの政治家の中にはスパイがいるってことを。そいつの名前はクリストファー・ゲイルって言うんだ」

 一斉にブーイングが起きる。奴の秘書は香港出身で、イギリスからの変換時にアメリカに逃げて来た奴だ、そいつからアメリカの情報は筒抜けだ。ゲイルのバックは中国だ。奴は中国のスパイなんだ。中国から金をもらってる」

「嘘をつけー!」「根も葉もないフェイクだ」反支持者からの声が上がる。

「本当だとも。ゲイルは国家反逆罪で牢屋にぶち込まれるべき人間だ」

「そうだー」「そうだー」「刑務所に行けー」「ふざけるなー」「嘘つきはお前の方だ」集まった人間たちの賛否ともどもの怒号が飛び交っている。

「まあ、来月の大統領選挙ではっきりするがな」サンダースがそう言った。

 そのときだった。モンロー湖の方から誰かが叫んでいる声が聞こえてきた。

「御神乱だ!」「みんな早く逃げろ!」

 見れば、御神乱がこちらの方へとやって来ていた。

「キャー!」「キャー!」

 サンダースの集会に集まっている人々は逃げ始めた。ところが、サンダースは、不思議と落ち着き払っていた。サンダースは逃げ惑う人々に対して叫んだ。

「みんな落ち着け! 大丈夫だ! すぐに軍がスクランブル発進するんだー!」

 しかし、パニックになっている群衆の耳に、大統領の言葉は届かなかった。

 真太たちの車は、空港にやって来ている真理亜の前に立ちはだかって旧ブレークをかけ、そして止まった。

 中から真太が出て来た。真太は真理亜を見上げ、声を限りに叫んだ。

「真理亜ーー! ここは危険だ。すぐに引き返せ! 軍隊が待機している」

 サンダースの立っている集会場の周辺では大パニックとなっており、その場からいち早く立ち去ろうとする人たちで大混乱となっていた。一部の人間は、柵を乗り越えて、空港に待機していた米軍の攻撃ヘリや戦闘機の方に向かって行った。

「あ、いかん! そっちはダメだ!」大統領や側近たちが叫んだが、言うことを聞かない群衆は、ヘリや戦闘機にしがみついたりよじ登ったりし始めた。

 何とか群衆を振り払ったヘリは空へ舞い上がり、その後すぐに、人々を引きずりながら戦闘機が滑走路に進んでいった。

 真理亜は、空の異変に気付いたのか。すぐに背を向け、モンロー湖の方角に戻って行った。

「攻撃目標。前方の巨大モンスター。住宅地や施設に被害を与えないようにしろ」

「了解! ロックオンします」

 大統領のヘリにも人々がしがみついていた。そこに、群衆を押しのけながら大統領の一団が何とか到達した。

 攻撃ヘリからミサイルが数発発射された。いくつかは真理亜の身体をそれて民家に着弾した。しかし、そのうちの一発が真理亜の左足に当たった。咆哮をあげる真理亜。

 真理亜はその直後、モンロー湖に逃れた。

 大統領の周辺のパニックは収まっていなかった。大統領の専用ヘリに群がる群衆。そのとき、大統領は、つい大きな声で口走ってしまった。

「来るな! あっちへ行け! お前たち国へ帰れ! ここは俺たち白人の先祖が作った国だ」

 その声は、サンダースのシンパの耳にも、また、反対派の耳にも入り、これに怒った群衆の心理に火をつけてしまった。

 群衆は、ヘリの脚にしがみついて飛ばせまいとしている。それを振り払おうとするシンパとの間で殴り合いが随所で発生し始めた。

「失せろー! 帰れ。移民ども。有色人種ども。俺たちの国を荒らすな!」サンダースがわめいていた。

 それに向けて押し寄せてくる群衆。群衆の一部は、押し寄せながら、その背中が赤や青に光り始めている。さらにその一部には、光ながら御神乱にメタモルフォーゼしてくる群衆も出始めていた。

 サンダースを乗せた専用ヘリのローターが回り始めた。ローターからの突風が群衆を振り払おうとしていた。

 やっと空に舞い上がり始めたヘリコプター。それでも、まだ脚にしがみついている人間もいた。

 ヘリコプターの機内、大統領がつぶやいた。

「何だ、今のは! 群衆の一部が急に御神乱になって襲ってきてたぞ」

 これに対し、副大統領が大統領に進言した。

「今や国民のほとんどが罹患しているのです。誰でも、いつ御神乱になってもおかしくありません。しかも、アメリカ株は発症速度が早いとニコラスも言っていましたし……」

「では、どうして俺は発症しないんだ? 俺だって怒っているんだぞ」サンダースが言った。

「大統領は、心のどこかにうしろめたいところがあるのでは?」副大統領が言った。

「何だと! お前、首だ!」大統領が激怒して言った。

「望むところです。もはやあなたにはついていけません」


 WHOのニコラス事務局長がテレビで解説していた。

「アメリカ株の出現理由についてですが……。ウイルスとしても生き残らなければならない。自己の遺伝子をより広く拡散したいと考えるわけです。そのためには、ウイルスとしては、発症前に殺されてしまったのではたまったものじゃない。なので、より早く発症するように進化するのだと考えられます。すなわち、アメリカ株が登場した原因はまさしく、光り始めた人間を、人の手によって殺したことによるものだと考えられます」


 この放送を見ていたサンダースが腹立たし気に言った。

「畜生! アメリカ株、アメリカ株って、全く嫌な名前をつけやがるじゃないか。コロナウイルスのときなんかは、『武漢ウイルス』とか言うと、さんざんこっちを批判しやがった癖して」


「尚、今回、新たに判明した事実があります。それは、御神乱ウイルスは、既に地球上の多くの動物も罹患しているはずなのですが、どうして動物は罹患しても発症しないのか? どうして人だけが発症するのか? という疑問についてです」WHOの解説委員が説明していた。

「人は欲望が暴走する生き物なのです。それは人間だけの特長です。例を示して説明しますと、動物は、自分を捕食するために襲って来る動物に恨みを持つことはありません。求愛を断られたオスがメスに対して心が傷ついたり、メスを恨んだりすることはありません。人間以外の動物は、何かを盗まれたりしても、恨みを抱くことはありません。怒りや恨みというものが際限なく暴走するのは人間という動物だけなのです。ですから、発症するのは人だけで、他の動物は、単なるキャリアでしかないのです」


 フロリダでの事件の後、サンダースはクリスチャン・ビショップに電話をかけた。

「クリスか? サンダースだ。テレビの映像でも知っての通りだ。また何とかしろ」

「困りますよー! 大統領、あれほどのことをされちゃうと、言い訳を考えるのもなかなか難しいんです」クリスチャンが応えた。

「そこを何とかするのが、お前の役目だろうが! こっちはお前に高い報酬を払ってるんだ。トマホークXを使えばいいだろうが」

「分かりました。何とかしますよ」

「ところでクリス、ちょっと気になることがあるんだが」

「何です?」

「トマホークXの言ってることは、あれは真実なのか?」

「大統領、この世の中には、真実なんてものはありませんよ。大衆の多くの人々が信じ込んでいるもの。それこそが真実なんです」

「お前は最初、御神乱ウイルスなど存在しない。あれは新種の生物だと言っていた。しかし、ウイルスは存在し、アメリカはパンデミックに陥ったじゃないか。ゲイルのバックには、本当に中国がいるのか? 本当にゲイルの陰謀なのか? 俺にはお前の言うことが段々と信用できなくなっている」

「でも、それであなたの立場が守られているんだから、それで良いじゃないですか」

「トマホークXはお前なのか?」

「トマホークXは、みんなの心の中にいるんです。実在などしていません」

「ということは、お前ってことで良いんだな」

「……」


 フロリダでの事件を受けて、トマホークXのSNSが更新された。

「フロリダで大統領が民衆に対して暴言を吐いたと言うが、あれはアフレコで別取りしたものを映像に被せたフェイクニュースだ。ゲイル側のテレビ局による創作だ。サンダースともあろう者が、そんなことをするはずがないじゃないか。彼は、アメリカの英雄だぞ!」

「ちなみにだが、アメリカ株を作りだしたのも、ゲイル陣営の息のかかった製薬会社だ」

 苦しい言い訳だったが、それでも彼の言い分を信用する狂信的なサンダースファンはいた。

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