第34話

 テレビのニュースがついに、世界中での御神乱の出現を報じ始めた。

「世界中で背中が赤や青に光り始めていた人々ですが、ここのところ、世界のあちこちで御神乱にメタモルフォーゼし、周囲の人々を食べ始める事件が多発しています。WHOは、現在、各国の状況を調査中ですが、御神乱ウイルスに罹患し、発症した人々の数は指数関数的に増えてきており、実際には、世界での罹患者がどのくらいに昇るのか、その実態がつかめていない状況です。少なくとも、怒りによる発症が確認された国は、今日現在のところ既に八十カ国を超えており、罹患者自体は、人類の相当数に上っているのではないかと思われます。どうか皆さん、怒りを抑えた生活をするようにして下さい」


「続きまして、日本国内のニュースです。御神乱ウイルスの拡散によるものと思える事件が世界各地で起きていますが、大阪でも光る人々が確認されはじめました」

「ご覧の映像は、大阪みなみにある、ある居酒屋での映像です。男たちが口論していますが、そのうちの一人の背中が青白く光り始めています。この男は、この後、意識が混濁し、病院に担ぎ込まれたということです。同じようなことが、昨夜、新世界近くの路上でもありました。こちらの防犯カメラに映っていた男ですが、自転車で飛び出して来た別の男との接触事故が起きました。二人の男は転倒し、何やら言い争っている様子がうかがえますが、その後、片方の男の背中がピンク色に点滅し始めました」

「この他、日本各地で背中が光っている人を見たとの複数の情報が数多く寄せられており、日本国内でも、かなりの数の方々が、既に御神乱ウイルスに罹患しているものと思われます」


 とある日本の地方都市の総合病院。御神乱が背中を青白く発光させながら、玄関の大きなガラス製の回転ドアを破壊しながら中へと入って行った。

「キャー!」「キャー!」

 待合室は阿鼻叫喚の地獄と化した。フロアは血まみれになり、警備員、受付、数人の看護師や病人が犠牲になった。

 御神乱は、それからある外科の診察室のドアを破壊した。

「ま、待ってくれー! 殺さないでくれ! あれは医療事故じゃない。あれは失敗なんかじゃないんだ」そう言う医者の声がした。

「ギャー!」

 御神乱は、白衣を着た人間の頭に喰らいついて、大きくぶり回して飲み込もうとしていた。白衣はもはや真っ赤な鮮血に染まっていた。

 御神乱が待合室に出て来たときには、既にそこには誰もおらず、皆、外に逃げた後だった。病院のフロアは真っ赤な血の海で、そのところどころにヒトの肉片が散乱していた。


「キャー!」「ワー!」銀行から客やら女子行員が飛び出して来た。とある日本の地方都市にある地方銀行の中では、カウンターの内側で暴れている御神乱がいた。支店長らしき人物が叫んでいる。

「誰だ? お前。俺に何の恨みがある?」

「支店長、こいつ、この前融資を断った例の工場から出て来たって……!」中年の男がおびえた声で支店長に言っている。

 次の瞬間、支店長は食われ、腰砕けになり這えずりまわって逃げようとしていた男性行員たちも御神乱の犠牲になった」


「あいつ、最近学校に来なくなったな」

「俺たち少しやりすぎたかな」

「イジメすぎなんだよ。おめーはよ」

「何だよ! おめーだって……」

 とある日本の高校。男子生徒たちが話していた。まもなく一限目の授業が始まろうとしていた。

 そのとき、廊下の向こうの方から悲鳴が聞こえて来た。次いで、バタバタと生徒たちが走る地響きがした。「御神乱! 御神乱!」誰かが叫んでいた。

「えっ」男子生徒たちも異変に気付き始めた。

 廊下を見ると、廊下の向こうが血で染まっており、その周辺には御神乱の犠牲になった遺体が散乱していた。

「やばっ! 俺たちも逃げようぜ」

 しかし、廊下から顔を出したその男の顔が御神乱の目に留まるや否や、御神乱は彼に向かって突進してきた。

「廊下は間に合わない! 窓から外に飛び降りようぜ」

 そのとき、既に御神乱は、彼らのいる教室のドアを撃ち破って教室に突入してきた。

「うわー!」

「ま、まさか……。これ、あいつじゃないか」

「え? まさか……」

 憎しみの眼を彼らに向けて睨み付けている御神乱。

「いや。間違いないようだぜ」

 次の瞬間、三人の男子生徒は御神乱に喰われた。


 駅前の派出所になだれ込んでいく複数の御神乱たち。警官に恨みでも持つ者たちだったのだろうか。

「何だお前たちは!」「おい! 入って来るな。出て行け!」

「うわー!」

 狭い派出所の中は、阿鼻叫喚の地獄と化した。


 家庭内で暴力をふるっていた父親。今は、妻子と別居して一人で住んでいた。

 と、そこに突然、玄関から「ドガーン」と大きな音がした。男は玄関の方を見た。すると、そこには小型ではあるが、人の大人くらいの大きさの御神乱が、背中を激しく青白く発光させながら立っていた。そして、その口に何かぶら下げていたのだが、見れば、それは母親が身に付けていたストッキングらしきものだった。

「お前! ……そんな!」

「ギャー!」

 父は、息子に喰われた。


「確かにその男性は、弊社の従業員ではありますが、彼が自殺したことが、弊社での過重労働および上司からのパワーハラスメントによるものかどうかということに関しましては、因果関係は認められません」

 ある有名なアパレルメーカーの社長がホテルで記者会見していた。

「しかしですね。彼は妻に遺書らしきものを残していますし、同僚にも常日頃から悩みを相談していたというではありませんか」報道陣が社長に詰め寄った。

「いいえ。そのような事実もありませんし、遺書なるものは、弊社としては確認してはおりません」

 そのときだった、何やら悲鳴のようなものがホテルの玄関から聞こえて来た。

「キャー!」「ワーッ!」「キャー! 人が! ……人がーっ!」「来るな! 来るな! ギャーッ!」

 ホテルに現れた赤御神乱は、会見場を目にすると、そこに向けて一目散に突進してきた。

 そして、次の瞬間には、もう社長の頭にかぶりついていた。会見場に血しぶきが舞い上がった。


 とある北国の駅前にビルにあるサラ金の事務所。奥の方で悲鳴が聞こえていた。

「ギャー!」「やめてくれー!」

 パーティションの向こう側に長く光る尻尾が踊っていた。そして、次の瞬間、血しぶきが窓を染めた。


 通天閣のそば、新世界の商店街にある小さなビルの二階。そこに東京難民会の事務所はあった。しかし、事務所の中は既に血の海となっていた。何とか事務所から路上まで逃げ出したメンバーが関西復古党に連絡した。

「大変なことになりました! 怒りの収まらないうちのメンバー二人が発症しました。お宅がターゲットです。すぐに逃げてください」

 関西復古党の事務所。彼らもまた、被災して事務所を堺市に移転していた。

 難民会からの連絡を受けていた復古党のメンバー。しかし、既に遅かった。そこへ突然ドアを打ち破って二体の御神乱が現れた。東京難民会のメンバーがメタモルフォーゼしたものだった。

「ウワーッ!」

事務所にいた復古党のメンバーは食われてしまった。

「大丈夫ですか! 大丈夫ですか!」ぶら下がった電話の受話器から、安否を問う声が聞こえていた。


 大阪刑務所の昼休み、パクが俊作に尋ねた。

「お前は、どうして今の大学に?」

「正確に言うと、大学院生なんだ。もう二年生なんだけどな」

「あ、そうなのか?」

「実は、もう結構歳がいってる。最初は今の大学に入っていたんだが、途中、三年生から四年間は北京大学に留学していたんだ。その後、もう一度、帰国して大学院に入った」

「北京にいたのか」

「ああ、だから、北京語と英語はできる」

「どうして北京へ」

「根掘り葉掘り尋問するよなー。俺の父方の爺さんは満州生まれだったんだ」

「へえー!」

「それで、まあルーツ探しとでもいうかな……、爺さんが生まれた場所がどんなところだったのか、色々と肌で感じてみたいと思ってな。それが最初の動機だよ。爺さんは、あまり満州時代のことについて話してくれなかったから……。おそらく嫌な想いをしたことも多かったんだと思うし、日本人がおこなった嫌なことも見て来たんだと思う。そして、何よりも中国東北部の人たちが、日本人に対して、現にどう思っているのかも知りたかったんだ」

「俊作は偉いな」

「え? そんことないよ。俺は真実が何なのか、肌で感じたかっただけだ。中国東北部では、今でも日本人へ恨みを持っている人がいたよ。まあ、中国当局の教育とか政策によるプロパガンダもあるのかもしれないがな。それでも、両親や祖父母から聞かされた実話というのもあるのだろう。でも、その一方で、彼らはウイグルのことなんて知らされていないし、興味も無さそうだった。それが現実さ」

「日本では、自分たちが中国でやったことに口をつぐみ、ロシアでは、自分たちがウクライナでやったことに口をつぐみ、中国では自分たちがウイグルやチベットでやっていることに口をつぐんでいるってことか」パクが言った。

「ああ、どっちも自分たちのやった都合の悪いことは言いたがらない。それは、かかわった兵士もそうだ。日本兵もな。しかし、やられた側はそれだとたまったもんじゃない。黙ってなんかいられないものさ」

「朝鮮半島でも同じことだ」

「俺は、最近考えているんだがな……、黙っていることや教えないことも歴史を歪曲することになるんではないかと。それもやっぱり政府のプロパガンダになるんではないかとな」

「当たり前だ! 日本人は、黙っていることが美徳だとか、黙っていると無かったことになるとか考えているがな。それは間違いだ。事実はきちんと言わねばならんし、次の世代に教えねばならない」

「あとな……、日本には言霊思想というやっかいなものがあって、差別用語を使わないと差別が無くなると考えている。こんなものは本末転倒であって、こんな理屈が国際社会で通用するはずがない。言葉を禁止したからといって、それは語彙の量が消失し、表現の幅が狭まるだけだ」

「それって、結婚式では切れるとか割れるという言葉を使っちゃダメだとか、受験生の前で落ちるという言葉を使っちゃダメって風習だな。ナンセンスだな」

「ああ……」「ところで、パク、話は変わるが、お前、日本にいるけど、母親には会いに行かなかったのか? 確か、前に、母親は韓国とか韓国人が嫌いになっていると思っていたって言ってたけど……。ご両親は、本当に日本が嫌いだったのかな? お母さんは、今でも韓国が嫌いなのかな?」

「ああ、日本に着いてから、すぐに訪ねて行ったよ」

「どうだったんだ?」

「母親は、韓国の悪口も韓国人への悪口も、一言も言ってなかったよ。俺は母親に捨てられたのだと思っていたんだ。本当は、俺を捨てた母親を憎もうとしていたし、そんな母親の母国である日本を憎みたかったんだ」パクの瞳が濡れていた。「でも、実際の母親は、俺を今でも愛してくれていたし、とても会いたがっていたんだ」

「国とか民族とか、ましてやイデオロギーなんて関係無いのかもな」

「ああ、そうかもしれない」

「なあ、日本は、聞いていたように犯罪国家だったか? 実は、日本人も北朝鮮に対しては、そう思っている。でもそれは、情報操作によるイメージなんだ。北朝鮮は九十五の国と国交があるが、日本人は、まさか北朝鮮がそんな国であるなんて思っていない。もっと世界の中で浮いた国だと思っている。いや、思わされているのかもしれない。……まあ、しかし、かなり独裁体制、専制政治の強い国ではあるがな。拉致被害もあるしな」

「今じゃ、日本を犯罪国家何て思ってやしないさ。いや、そもそも思ってなかった。あの言葉は煽るための道具に過ぎない。そんなことは分かってるんだ。でも、今の俺たちの国では、反日を口にしないと生きていけない。差別されるんだ」

「自国の政府のやっていることに対して批判することは、決して咎められることなんかじゃない。間違っていると思うことをきちんと言うことは、悪いことなんかじゃない。かつて、戦時下の日本がそうだった。かつての日本は、民族主義と愛国主義に傾倒していった。しかも、日本のファシズムの独自性は、独裁者と呼べる人間がいなかったことにある。本来、同調圧力を求める傾向にある日本人は、独裁者のいないまま、同調圧力がファシズムを形成していったんだ。そういう意味では、日本人はファシズムに陥りやすい民族だとも言えるのだがな……。政府を批判することは、別に悪いことじゃない。国賊なんかになるわけじゃない。お前たちが今向かっているのは、まさしく戦時中の日本が行ってきた方向と同じものなんだ。愛国主義やナショナリズム・民族主義の行き着く先は、日本がかつて経験したこと。そして、日本がその結果痛い目にあったことに他ならないんだぞ」

「いや、俺たちは違う。日本と同じにするな。それに、そんなことを言おうものなら、反政府主義者としての烙印を押されるんだぞ?」

「反政府主義者としての烙印を押される? それならば、そのようなことを言わせている政府の根性が間違っているんだ。おかしいことをやっている政府に対し、誰一人として批判しない社会を異常だとは思わないか? ただ単に、日本に生まれ落ちたからというだけで、日本を愛せ、一丸となって日本の政府を守れ、なんて言うのはおかしいだろ。国民を不幸にする政府を国民が見捨てる方が、まだ理屈に合っている。だから、難民は生まれるんだ。だから、俺たちは、そんな社会のおかしさに対して声をあげ、立ち上がるんだ。民主的に制定された法で決められた権利の範囲内でだ。俺たちは、決して反政府分子なんかじゃないんだからな」

「お前の言っていることは分かる。でもな、俺はお前みたいに強くないんだ。みんな、お前みたいに強い人間と言うわけじゃないんだよ」

「……」

「それに……」

「それに?」

「何かお前たち人権派とか民主派とかの人間の言うことは、ムカつくんだよな。……何かこう、いつも上から目線で知識をひけらかしてくる。馬鹿にされてるような感じになるんだよ!」

「だったら、お前も知識をつけろよな! そう言われるのが嫌なら、お前も知識をつけるしかないだろが!」

「ええ!」俊作の怒りに任せた意外な反論にたじろいだパクだった。

「だったら、お前も知識をつけて理論武装しろ。馬鹿にされた気になってるんじゃなくて、実際に馬鹿だからやり込まれるんだぞ! ムカつくとかバカにしやがってとか言ってれば相手が許してもらえるなんて思わない方が良いぞ。この世の中は、そんなにバカに温情なんてかけちゃくれない。勉強して、頭を使って同じ土俵に上がって来んかい! ……インテリで何が悪いって言うんだ!」俊作が珍しく起こり始めた。

「おい、どうしたんだ、一体!」パクが驚いて俊作に聞いた。

「何だよ! 怒っちゃいけないのかよ。インテリは感情をむき出しにするなってか」怒りの収まらない俊作。

「あ、いや、そうじゃないんだ。……お前、背中が赤く光ってるぞ」パクが俊作に言った。

「えっ!」俊作も驚いた。すると、背中の点滅も終息していった。

「あ、消えた。御神乱みたいだったぞ」パクが言った。

「まさか、御神乱ウイルス……?」

「外では、一体何が起きてるんだ?」

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