第28話

 里穂の家庭教師の時間。里穂が和磨に言った。

「ねえ、この前、他国の文化に西洋の自由主義を押しつけたことで反米になった国のことを言ってたでしょ」

「ああ」

「何だか今の日本も、このままだと反米の国になっちゃうわよね。前は負けた日本に良くしてくれたかもしれないけど、日本人にこんな仕打ちをしてると、みんなアメリカを嫌いになっちゃうわ」

「アフガニスタンは、自分たちで国を守ろうとする姿が見られずに、アメリカに依存ばかりしてたから、アメリカは撤退したんだ。アメリカとしても、自国のお金を使ったり、アメリカ人の血を流したりしてまでアフガニスタンを守るメリットが無くなったんだ」

「ふーん」

「それで、そのあとは結局、タリバーンが政権を奪取した。タリバーンが言うのには、アメリカと言う国は、イスラムのやり方というものを理解しようとせず、上から目線でアメリカの正義、西洋型の正義を押しつけようとしたから失敗したと言うんだな」

「ああ、黒い服で顔を隠した女性の人たちが反対デモをしている国ね」

「そう、あれはブルカっていうんだけどね……。でも、彼女らだってイスラム教徒だ。彼女らはイスラムの文化と闘っているというよりは、タリバーンの男尊女卑の思想と闘っているんだ。結局、問題なのは、宗教ではないと言うことなんだ。長いこと男たちに蹂躙されてきた女性の人権問題なんだよ」

「ふーん」


 大阪の収監所の昼休み、こちらは、クルムとリウがお昼休みに運動場の片隅で会話をしていた。

「リウさん、あなた、本当はウイグルの人じゃないの?」クルムがその日、唐突にリウに言った。

「はい、私はウイグル人です。ウイグルの名前はクリー(庫里)・ハンと言います」

「そうなの。私の名前はクルム。クルムもクリーも、ウイグル語では『俺の手』の意味よね」

「はい。ウイグルの女性には多い名前ですよね。家長である父親の所有物という意味です」

「ウイグルの問題は、本当は宗教ではなく家長制にあるのかもしれないわね」クルムが言った。「ウイグルが中国政府から解放されたり、たとえ主権を認められて独立を果たしたとしても、家長性がある限り、女性は自由にはなれないし、自由で民主的な国になれないわ」

「そうかもしれないです」

「ところで、リウさん、いつから公安のお仕事を?」クルムがリウに聞いた。

「もう二年ぐらいになります」

「そう。あなたみたいに中国政府からのスパイを依頼されて、ウイグル人の情報をあげている人は多いというわね」

「ええ、ウイグルの街角にも私たちみたいなスパイはいっぱいいます。私たち民族は、中国政府に分断させられてお互いに憎しみ合うように仕向けられているんです」

「それが分かっていて、何故その仕事をやっているの? 民族の誇りは無いの?」

「すみません」

「いや、謝らなくてもいいんだけどね」

「私はクルムさんみたいに強い人間じゃないんです。いいえ、誰もがあなたみたいに強くはなれないんです。みんな怖いんです。言うことを聞かないと、家族がどんな目にあうか分からないから」

「なるほどね」

「とても変な話ですけど、こうして自分の気持ちを安心して堂々と言えるのは、このような収容施設の中で自分自身が守られているからです」


 大阪の刑務所、その昼休み、その日もパクと俊作は会話をしていた。

「ところで、お前がどうして日本に来ているのか、まだ聞いてなかったな」俊作がパクに聞いた。

「取り調べみたいな口調はやめろよな。他人の個人情報を根掘り葉掘り聞くのって、失礼だぞ」

「ああ、すまん」

「俺は現在、日本に留学中なんだ」

「留学生なのか」

「日本に留学したのはなぜだ」

「だから! 尋問は止めろよな……。俺は高校生の時からバレーボールが得意でな。それで、日本のある大学からスポーツ特待生として来てくれないかというんで来日したんだ。大学では工学部の電子機械を専攻している」

「で、日本のバレーボール部や大学では、お前に対する韓国人差別みたいなのはあったのか?」

「表向きは何も無いさ。俺が韓国人だからと言って、そのことについては、誰も何も言わないし、だから俺からも何も言わないよ」

「ああ、そうだろうな。韓国人とは違い、日本人は自分の本心を言わないことを美徳としているからな」

「そんなのおかしいよ」

「ああ、俺もおかしいとは思うよ。日本人は、ちゃんと言い返さない、ちゃんと説明しない、自分の気持ちを言わないから、問題が何も決められないし、先送りされるんだ。お前が何かを口にしない限り、日本人というものは、反論しない。ことを荒立てるのを嫌うからだ。そして、過去のことも水に流したがる民族なんだ。水に流せない人間こそが、水臭い人間だと思われるからだ」

「日本人は鎮魂の民族であり、同時に水に流す民族だ。半島の人間が恨を美学とするのと同じく、これらが国際社会において、話をややこしくさせているんだ」

「と言うと?」

「みんな自分のことが一番分からないものさ。なぜなら、誰でも自分は当たり前で普通の人間だと思っているからな。日本人にとって当たり前のことは、世界でも当たり前のことで、当然分かってくれているものだと思っている。だから、国際社会の場で、あえて説明しようとしない。それどころか、それが日本独自の価値観であることすら認識していない。同じように、半島の人間だって、中国だってそうさ。だから、俺は、もっと説明し合わないといけないと思っている」

「なるほどな」

「靖国の問題もそうだ」

「だってあれこそ戦争犯罪人を祀ってある宗教施設だろ。なぜ、悪い人間に対して参拝するんだ? 悪魔崇拝かよ!」

「だから、そこが民族の考え方の違いだって言うんだ。まあ、別に俺は国粋主義者でもナショナリストでもないんだが、日本人の思考方法については、説明しとかなきゃなって思ってる」

「はあ?」

「日本人というのは、滅ぼされた側を滅ぼした側が鎮魂するという風習が古来からあって、それが民族性の中に知らず知らずのうちに根付いているんだ。その理由は、祟られると困るからだ。だから、敗者であるからといって粗末に扱えない。それどころか、負けた人間たちは手厚く鎮魂しないといけないと考えている」

「ばかばかしい! そんなの屁理屈だ。詭弁だよ。日本人が、自分たちがおかした犯罪から逃れるための言い訳だ」

「確かに、非科学的だと思えるかもしれないが、だが、民族性というのはそういうものであり、そう簡単に変更できるものではないよ。勝ち組であるはずの伊勢神宮の社殿が負け組の出雲大社の社殿よりも小さいというのが、この日本の法則をよく物語っている。問題なのは、こういうことをきちんと国際社会の場で説明しないと、勝手に相手の価値観で民族に烙印を押されてしまうということだと思う」

「……」

「ところで、さっき俺が言った、日本人が水に流す民族だって話だがな……」

「何でもかんでも過去のことを水に流してもらっちゃ、こっちとしちゃ困るんだがな」

「そうか。……でも、おまえの日本人である母親は、韓国で受けた差別とかいじめを水に流してくれたんだよな? そのことは分かってんのか?」

「うっ……」

「お前の母親は、韓国も韓国人も水に流してくれたんだよ。もしもこれが逆の立場だったらどうだろう? 韓国人は水に流せない民族だ。逆に恨の美意識によって、未来永劫、相手に犯罪者の烙印を押し続けるだろう。そう。それこそが今起きているこの現象なんだ」

「恨みを美徳とする民族と過去を水に流す民族。そんなの永久に分かりあえるわけないじゃないか! 少なくとも俺は、水に何て流せない」


 松倉は、鹿島を伴い堺市にある井上和磨の事務所を訪れた。彼等の事務所は古いアパートの一室にあり、とても立派なものとは言い難いものだった。

「どうされましたか?」ドアを開けて出て来た和磨は二人に言った。

「私たちと共闘してくれませんか? 私共は、あなた達の協力を得たいのです」鹿島が言った。

「お話をお聞きしましょう。まあ、汚いところですが、中の方へどうぞ」

事務所の中には、数人の常駐職員がいて、来客である二人にお茶を出した。

「実は……」

 要望の骨子を和磨に説明した後、松倉は言った。

「いかがでしょうか?」

「なるほど、あなた方の趣旨は理解できました。そういうことでしたら、協力いたしましょう」

「ありがとうございます!」

「ただし、条件があります」

「条件と言いますと?」

「あなた方は、アメリカの意向を無視して、日本独自に組閣をしたい。その為に志を同じくする味方を募っているということですよね」

「あー、はい」

「でしたら、私を防衛大臣に任命していただきたい」

「えーっ! 人権派のあなたを防衛大臣にですか?」

「何か、問題でも?」

「いや、別に構いませんが……」

「人権派の活動家だから護憲派という訳ではないでしょう? まあ、確かに私はナショナリストではないですがね」

「ああ、まあ、そうでしょうが」

「人権派とリベラリストと護憲というものを勝手に結びつけているのは、あなたたち、まわりの人間たちです。それぞれは、もともと別々に議論すべきことであり、まわりが勝手なイメージをイコールでつないでいるだけなんです。とにかく、私を自衛隊の幕僚長に会わせてくださいませんか?」


 愛国党の党首による表明がなされた。

「アメリカは日本に核による恐怖を教えてくれた。そして、ウクライナは日本に核を持たない恐怖を教えてくれたと言えるだろう。今こそ日本も独自の核武装をすべきときにあると言えるのではないでしょうか。こんなことを言うと、批判する人がいることは分かっている。しかし、イラン、北朝鮮、現に核を持っている国は、威嚇こそすれ、威嚇されてはいないのも事実だ」

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