第23話

 アメリカイリノイ州の州都スプリングフィールドにほど近い場所、そこに飯島真太の両親は住んでいた。

「東京が消えちゃってからもう随分経つのに、真太からの連絡はいっこうに無いわね。生きてるのか死んでるのか、本当にもう、気が気じゃないわ」真太の母親、レイコ飯島が心配そうにそう言った。ここのところ、彼女は毎日こんなふうだった。

「まあ、そうヒステリックになるな。毎日心配ばかりしてると、気がめいって身体にも良くないぞ。便りが無いのは、無事だという証拠なのかもしれないし……」そう、父親のディック・飯島・ウルパートが妻をなだめるように言った。

 彼は既に引退した退役軍人となっており、妻と二人でここに老後の静かな生活を送っていたのだ。

「そうは言っても心配なものは心配よ。居ても立ってもいられないわよ。あなたはよく平気でいられるわね」


 真太と村田の乗ったオスプレイは、太平洋をアメリカ大陸の西海岸近くまで到達していた。

「もうそろそろアメリカ西海岸が見えてくるぞ」村田がそう言った。

「燃料は持ちそうか?」真太が聞いた。

「ギリギリってとこかな。発艦前に満タンにしといたんだが、さすがにこの距離だとな……」「ああ! もうそろそろやばいかも」

「おいおい、大丈夫か?」

「海に不時着するぞ」

「ええ!」

「大丈夫、ロングビーチのそばの浅瀬だ」

 彼らのオスプレイは、飛行形態を垂直降下にし、ゆっくりとアメリカ西海岸のオーシャンビューあたりの海面に不時着した。二人は急いで機体から出てきて、その場から離れた。

 すると、丘の上から浅瀬に立っていた二人を呼び止める者があった。

「おーい、そこの二人、何をしている?」「お前ら、何者だ?」

 彼らの飛行は、既に海軍のレーダーに捕捉されており、二人は間もなくかけつけた海軍に捕えられた。


「日本人の人権を考える会、東京難民会、関西復古党、独立愛国党の四団体は、新日本暫定政府およびアメリカ政府に対し、内閣のリコールおよび普通選挙の再開要求と首相公選制を要望いたします」

 大阪都庁内にある暫定政府首相官邸室。井上和磨らは、四団体とともに松倉総理に要望書を提出した。その場には、四団体の会員十数名が押しかけていたし、そこにはジャーナリストもいた。

「分かりました。アメリカ占領政府とともに協議し、善処したいと思います」

 松倉はそう言って、簡単かつ儀礼的にその場を終わらせようとしたのだったが、その言葉に和磨は食いついた。

「我々が聞きたいのは、そういう言葉じゃないんですよ、総理。我々が今の政府に幻滅し失望を禁じ得ないのは、今の言葉にあるような、そういった態度なんですよ」

「どういうことですかな?」松倉が言った。

「あなたがた暫定政府は、いつもそうだ。アメリカの顔色をうかがい、アメリカに依存し、アメリカの言いなりになっている。日本国民の声を何も伝えないし、何も反映させようとしていない。いや、そもそも、国民の声を聞こうともしていないじゃありませんか」愛国党のリーダーが食ってかかった。

「何人の日本人が死に、何人の女性が凌辱されれば良いんですか? 少なくとも、日本は主権を取り戻したい。まずはそれだけでも良い。まずはそこからだと思っています」難民会のリーダーが言った。

「そうは言われましても、東京の首都機能が失われた今、日本の領土・領海は、アメリカが守ってくれています。今の日本は、独自に国土を守り切れるだけの国力が無いではありませんか。それが現実なのですよ」松倉が言った。

「だからと言って、占領政府の言いなりになるのは違うでしょう。言うべきことは、ちゃんと言っていかないと……」和磨が言った。

「そうですよ。今の日本政府は、政府じゃありません。アメリカとの伝言役でしかない。いや、伝言さえやっていない」愛国党が言った。

「わ、分かりましたから……。とりあえず、これは上に上げますから」松倉はたじたじとなって、何とかその場を終わらせようとした。

「上はお前だろうが!」誰かが松倉に言葉をぶつけた。

その言葉を背中に受けながら、松倉たちは首相執務室に引っ込んでいった。


 首相執務室に逃げ込んだ松倉。部屋の中には鹿島副総理が待っていた。

「だいぶ責め込まれていたみたいですが、どうされるおつもりですか?」鹿島が松倉に尋ねた。

「こんなもん、アメリカさんに出せるわけないだろうが! 全くこっちの気持ちも知らないで」要望書を机の上に叩きつけ、いきり立ったように松倉が言った。

「しかし、これまでにも何回か要望書や意見書が出されてますよね。しかも、段々と大きなうねりになってきているような気がします。何か善処しているところだけでも見せた方が良いのではないでしょうか?」

「お前まで何を言うんだ! 今の俺たちに、一体何ができるって言うんだ? 今の日本は手足をもがれた状態なんだ」松倉は、今受け渡された要望書をビリビリにちぎりながらそう言った。

「……そうですか」鹿島は、落胆したように、ため息をついてそう言った。

「ところで首相、御神乱の件ですが、日本政府としても、今後の立場というか、御神乱についての見解をはっきりとさせておくべきかと思うのですが」鹿島が言った。

「見解? 何をどうしろと言うんだ。あれはアメリカさんが退治してくれてるじゃないか」

「しかし、御神乱は人間です。しかも、れっきとした日本国民です。へたなことをすれば、人道的な見地から、また政府は批判を受けることになります。矢島総理も随分叩かれていたではありませんか」

「ばかばかしい! あれはバケモンだぞ。もはや人間じゃないんだ。あれに変身したら、もう人間じゃないんだ。排除して何が悪い?」

「首相、先日の青島軍港での画像はご覧になりましたか?」

「ああ、見たよ」

「中国政府は、いまだに否定していますが、あれが大戸島の御神体だとすれば、御神乱ウイルスによるパンデミックが考えられます。もちろん、日本でも、大戸島の住民以外の国民が、今後は御神乱になっていく可能性もあるということです。今後は、誰でも御神乱になりうるということなんですよ」

「そうであれば、大事に至る前に打ち殺せば良いことだろう。俺は矢島前総理とは違う。同じ間違いは犯さんよ」

「そう上手くいくのでしょうか?」

「何が言いたいんだ?」

「御神乱は、激しい憎しみによって発病します」

「ああ、知ってるさ」

「憎しみの対象は、政府だけとは限らないということです」

「は?」

「例えば、親子の間にだって強い憎しみは生まれますし、夫婦間、ご近所づきあい、友人、社内など、考えたらきりがないくらいあるのです。これらの人々が発病していった場合、国内は手の付けられない状態になることが考えられるということですよ。……それに対して政府はどうするのか、考えておいた方が良いと思うのです」

「では、お前が考えろ。どうせいらぬ心配だと思うがな」


 しかし、日曜日の昼下がり、大阪湾にピンク色の点滅が現れた。その御神乱は再び大阪港に上陸し、港を破壊し尽くした。たちまち湾岸からは複数の煙が立ち上り始めた。

「大戸島から散逸したと思われる御神乱が大阪港に現れました。現在、大阪港は破壊しつくされており、沿岸は火の海となっています、その後、御神乱は、その火の海から安治川沿いに東に向かっており、現在、弁天町を破壊しながら進んでいます。おそらく、日本臨時政府のある大阪都庁を目指しているものと思われます」テレビが報道を開始した。

 逃げ惑う人々。食われる人々。御神乱は、大阪市民を口にいっぱいほおばり、その口からは血をしたたらせて歩いていた。大阪港から弁天町は既に火の海となっていた。

 一時間足らずで、ついに御神乱は、なんばに到達していた。阪急デパートやなんば花月など、なんばの街が破壊され、火災が発生し始めた。日曜日のなんばはパニックになり、地下鉄に逃げ込む人々でごった返した。そして、火災の炎は心斎橋のアーケードに飛び移った。火がついたアーケードの下は、さながら地獄絵図のようになった。道頓堀に飛び込む人々、その上から火の子が降っていた。火の子を浴びながら地下鉄に逃げ込む人々が殺到したことにより、地下鉄の街大阪は、さらに地下鉄の駅で焼かれる人々が続出した。

「燃えています! 大阪の中心地が燃えています! 大通りには、焼け出された人々が助けを求めて手を振っています。その中を御神乱は、なお東へ進んでいます」報道ヘリコプターが報道していた。

 本町から堺筋本町に抜けて進む御神乱。この周辺は、先のデモ隊との衝突や、その後に現れた御神乱の破壊により、既に半ば廃墟のようになっていたが、今回の御神乱の出現により、さらに周囲のビル群が崩壊して煙を出し始めていて、被害は拡大していった。その頃、やっと自衛隊の攻撃ヘリが上空に現れた。

「あ、今、自衛隊のヘリがやって来た模様です」報道ヘリが伝える。

「堺筋本町で食い止めろ。谷町筋に出すな。躊躇するなよ。日本人でも人間でもないんだ。バケモンだと思え」部隊長が言った。

 自衛隊によるミサイル攻撃が始まった。身体をくねらせてミサイルをよける御神乱。ミサイルが住宅地に着弾し、燃え上がった。それでも、いくつかのミサイルが御神乱に当たった。

 御神乱は身体中から血を流しながらも進撃し、ついに谷町四丁目に出てしまった。

「いかん! 頭を狙え。天満橋に向かわせるな」

「もうミサイルがありません! 機関砲での排除は不可能です」

 天満橋に到達した御神乱。そのとき、北の空にアメリカ軍の戦闘機が現れた。

「自衛隊はそこをどきなさい」アメリカ軍が自衛隊に警告してきた。

 既に大阪の市街地は火の海になっており、日曜日の大阪の空は、立ち上る巨大な黒煙で埋め尽くされていた。廃墟のようになった大通りには、あちこちに逃げ延びた人々が寝転がっていた。はたして、それは死んでいるのか生きているのか、一目で分かりようはなかった。

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