第15話
東京消失の四週間後
ある日、和磨が康煕の部屋に入ると、彼は椅子の上に座り、膝を抱えてうなだれていた。目に涙をにじませている。
「どうした? 元気ないな。何かあったか?」
「中国へ帰りたい。畜生、あいつら、ふざけやがって……」康煕は、下を向いてぶつぶつ言っている。
「そんなに中国が良いんだったら、遠慮せずに帰れば良いだろうに」
「それができないから、悩んでるんじゃないか!」
「ああ、すまん! 悪かったな」
「もういいよ。……やろう」
帰りしな、康煕の母親が和磨に話しかけてきた。
「今日、色々なことを言われたみたいなんです。本人はいじめられたと言っていますが……。実際には言い争いになったんだと思います。でも、多勢に無勢で……」
「そうでしたか。……どんなことで、喧嘩になったんですか?」
「何かウイグルのことで、クラスの友達から中国を批判されたそうです。それで、かっとなって、中国はロシアと組めば、民主主義の国に勝てるとか言ったそうです。それで、担任の先生からも色々と指導されたみたいで……。あの、でも、私は社会科のこともウイグルのことも良く分からないんです。本当です。私は何も康煕には言ってません」おろおろとした口調で、そう言う母親だった。
「分かりました。お母さんのことは、誰も責めませんから。大丈夫ですよ」
中国やロシアは、未だに監視社会だ。日本に嫁いだ彼女とはいえ、未だに誰かに監視されているような気がしていたのだろうし、もしかすると、本当に監視されているのかもしれなかったのだ。
瑛太の通っている中学校、とある雨の降る朝のことだった。瑛太は登校中にある女子生徒を見かけた。瑛太がその少女が気になったのは、彼女が水たまりに入り、足でびしゃびしゃを踏みならしていたからだった。水がはねてスカートを濡らしていた。
瑛太は、その女子にそっと近づいていって声をかけた。
「どうしたの? スカートが汚れちゃうよ」
少女は、無言で瑛太の顔を見た。しばらくじっと顔を見てから言った。
「おなまえは?」
「え!」瑛太は答えに窮した。彼女は、明らかに同じ年齢の生徒が取る言動および行動とは違うと思えたからだ。彼女は、特別支援学級に通う生徒だった。
「あ、でもほら、濡れちゃうからさ。いっしょに教室まで行こうよ」
「うん」そう言うと、彼女は瑛太の手を握り、いっしょに校舎に向かって歩きだした。
この風景が、久志たちの目に留まった。
「おおっ! 良いもん見せてもろたで」ニヤニヤしながら久志が言った。他のメンバーも目を合わせてニヤニヤしていた。
教室に入ると、いきなり久志の大きな言葉が瑛太に降り注がれた。
「よう、お前の彼女、今日も元気?」
「は……?」
「お前の彼女は元気かて聞いとんのや」
「彼女なんて、いないよ」
「嘘つけー、さっき手つないで歩いとったやろが」どんどん攻め込んでくる久志。
「あ、あれは、彼女じゃないし……」困惑する瑛太。
まわりの生徒たちも瑛太をちゃかし始めた。
「何だ? 瑛太はもう彼女ができたんか?」そう言いながら、担任が教室に入ってきた。
「あ、先生。そうなんですよー。ほれ、何て言うたかな? 愛組のあの子……。そや、宙ちゃんや!」久志がそう言うと、途端に担任の顔がくもった。
「あれ、先生、どないしたん?」久志が言った。
和磨は、瑛太の両親の相談に乗ってあげていた。
「最初は、東京の人間に大阪の笑いがどんなものか教えてやるみたいなことだったらしいのですが、最近ではもう……」母親が和磨に言った。
「そうですね。私も瑛太君から色々と聞いていますが、これはやはりいじめだと思います。一度、きちんと担任の先生にも言った方が良いと思います」和磨が言った。
「それなんですがね……。何でも、その成宮久志という子は、学校ではえらく人気者らしくて、教師からも一目置かれるような子らしいんです。どうも大阪では、人前で笑いを取る人間がリーダーシップのあると思われがちみたいですね」
「そうなのかもしれませんが、しかし、瑛太君が嫌な気持ちになっているのは偽らざる真実です。例え相手が良かれと思ってやっていることであってもです。一度、学校に相談した方が良いと思います」
真理亜が最近部屋で行っている行動、それは、スマホでアメリカ大統領選挙の日程について調べたり、原子力空母の構造について調べたりすることだった。そして、なぜだか彼女は、それを徹底的に自分の頭の中に覚え込ませようとしていた。彼女は、覚悟を決めたのだ。彼女は運命にあらがうことを止めたのだった。
真太の方はと言えば。今日も艦内の居住区あたりを散策していた。今日はかなり奥まったエリアまで来ていた。
「あー、もう! 全く退屈でしょうがねえや。あれ、この部屋なんだろ。また、特別室みたいなもんかな」そう言うと、その部屋の扉をそうっと開けた。
「失礼しまーす」すると、そこには女性が一人でいた。「しまった。また、やっちまったかな」そう真太は思った。
すると、その女性はドアに気付いて顔を上げた。
「真太!」女性はそう言った。そこにいたのは、まぎれもない中島真理亜だった。
「真理亜! 真理亜じゃないか! 何でここに?」そこに真理亜を認めた真太も驚きの声をあげた。
「真太こそ、なんでここにいるのよ」
呆然として見つめ合う二人。真理亜の瞳から涙がこぼれ落ちてきた。
「真太、良かった。生きてたのね」
「もちろんさ。俺は死なないよ。真理亜だって、生きてて本当に良かった。ヘリコプターで逃げ切れたんだな」肩を抱き合って喜ぶ二人。
「……で、何で真理亜はここにいるんだい? 俺はさ、友人のアメリカ兵に連絡を取って、この船に乗せてもらったんだけどな」
「そうだったの。私はね、あの夜ヘリで逃げたんだけど、核融合の爆風でヘリコプターが失速して東京湾に落ちちゃったの。翌朝、ちょうどそこを通りかかったこの空母に拾われたってわけ」
「そうだったんだ。でも、本当に生きてて良かった」
「でも、須磨子さんも後藤君も、みんな死んじゃったわ」
「そうだったのか。……ところで、その顔どうしたんだ?」
「ああ、これね。発症しちゃった」
「発症? ……何に?」
「御神乱ウイルス」
「はあ? 何言ってるんだよ。だって、君は大戸島の人間じゃないじゃないか」
「……」黙りこくってしまった真理亜。
「どうしたんだよ、一体?」不安そうに聞く真太。
「あのね、真太、私がこれから話すことをちゃんと聞いてくれる?」真理亜は、真太に念を押すように聞いた。
「ああ、もちろん聞くさ」真太がうなずいた。
真理亜が自身の生い立ちについて、真太に話し始めた。
アメリカ空母ドナルド・トランプ内の真理亜の部屋。真理亜は、真太に自身の生い立ちを話しはじめた。
「俺は何でも聞くよ。話してみなよ、真理亜」真太が真理亜に言った。
「私は横浜の生まれ」
「そうなのか」
「でも、私の両親は、二人とも大戸島の出身なの」
「えっ……!」
「母の名前は中島利恵。そして、父の名前は蛭子克哉よ」真理亜は、意を決したように力強く話した。
「蛭子って……」驚きを隠せない真太。
「そうよ、蛭子修二のお父さんが蛭子克哉。私の父でもあるわ。修二さんと私はね、腹違いの兄弟なの」
「どういうこと……?」
「私の生まれる前のこと、私の父蛭子克哉は久子さんと結婚し、修二さんが生まれた。だけどその後、克哉氏は、同じく大戸島に住んでいた、私の母の中島利恵と不倫の関係になったの。狭い島のことで、二人の関係は、とうてい認められられるようなものではなく、島民たちから激しく非難されたらしいわ」
「……」
「……で、島内での暮らしに耐えきれなくなった二人は、大戸島からの脱出を計ったわ。ところが、その計画が島民にばれた。母は何とか海に漕ぎ出して、島を脱出したのだけど、父は捕えられて島民から暴行を受けた。怒った私の父は御神乱化していったのよ。母親は、運良く近くを通りかかった漁船に助けられて本土に向かった。だけど、掟を破り、御神乱になった父は、島民たちからおかくれにされた。つまり、殺されて葬られたってことね」
そこまで言うと、真理亜は胸の第一ボタンを外して例のペンダントを出して見せた。
「それは?」
「父の形見のペンダントよ。修二さんの胸にも同じものがかかってたわ」
「そうだったのか……」
「私はね、そんなこともあったので、大戸島の取材を引き受けたの。いや、自分自身のルーツを知りたいと思っていた私にとって、今回のこの取材は千載一遇のチャンスだったのよ」
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