第3話

 講演会の後、瞳が会館から出て来た。会館の玄関では、瞳の彼氏の三千男が待っていた。

「全くしょうがねーよなー。何が面白いんだか……。ウイグルだかウクライナだかパレスチナだか知らないが、俺たち日本人には関係ないだろ! 今の日本が幸せだったら、それで良いじゃねーか。あんなのは、専門家の政治家に任せときゃいいんだよ」一人待たされて、文句たらたらの三千男。

「面白いとかじゃなくて、人として大切なことだからよ。行こ」

そう言うと、二人は手をつないで去っていった。


「NPO法人 日本人の人権を考える会」その翌日、瞳は、そう書かれている看板を眺めていた。

「ここね」

 そこは大阪市谷町にあるマンションにあった。彼女は、美姫が活動しているNPO法人を訪ねてきたのだ。

 瞳が呼び鈴を押すと「はーい」という声が返ってきた。美姫の声だった。

「あの、斎藤瞳です」

「あー、ちょっと待ってて」

 扉が開き、美姫が姿を現した。

「いらっしゃーい。どうぞ中に入って」

 美姫の促されるままに部屋に入って行く瞳。中には男性二人と女性二名が、コピーを取ったり、パソコンで何かをつくったり、チラシを数えたりしていた。

「こんにちはー」瞳が挨拶をする。

「みんな、紹介するね。斎藤瞳さん。私の通ってる大学の友達」美姫がみんなに瞳を紹介してくれた。

「いらっしゃい」「こんにちわー」元気の良い返事が返ってきた。

「あの、ここ人権とかを訴える活動団体何ですよね……」若干、不安そうな顔を見せる瞳。

「あ、まあね。でも、みんながよく考えてる人権活動団体とか人権擁護派の団体とは、少し違うかも……」

「……え! どういう?」

「私ら、名称は確かに人権を考えるって言ってるから、いわゆるステレオタイプで他と同じような人権擁護団体と間違われることが多いけど、実際には、私たちは、人権が何であるかを学習し、そしてそれをどうやって日本人に伝えていくかを考えている団体なのよね。瞳は、私たちの団体名を聞いたとき、どんな印象を持ったの?」

「だって、人権を訴える団体は、左派で、リベラル派で、反戦・反核で、護憲で、……それから、博愛主義者で、偽善的な態度で、ナルシストで、たいていはインテリ層が多くて、いつも教えてやる的な上から目線で……」

「ちょっとーっ! 随分なこと言うじゃない!」

「まず、私たちは、リベラル派、つまり自由主義ではあるけれども、左派という訳ではないわ。それから、完全な反戦・反核・護憲というわけでもないのよ」美姫が言った。

「そうなんですか!」

「もちろん、戦争やテロは起きないに越したことはないけどね。日本では、人権擁護を訴える団体は、同時に軍縮や護憲をスローガンにしている団体がほとんどだ。だけど、うちは違う」和磨が言った。「そもそも、日本では左派の人たちの事をリベラルと言うけれど、リベラルというのは、本来は自由主事のことであって、社会主義や左派のこととは違う。日本の保守政党の方が、実は国際的にはリベラルであったりする。まずは、彼らの事をリベラルと呼ぶのを止めるべきだ」

「あー、始まったわ。和磨さんの講義が。だけど、瞳の言うように、インテリが多くて上から目線ってとこだけは、当たってるかもね」美姫が俊作と和磨の方を見て、そう言った。

「はあ……? 俺のこと?」部屋にもう一人いたボランティア学生の津村俊作が言った。

「あ、ごめん。まだこっちの自己紹介をしてなかったわね。

「斎藤瞳さんだね。とりあえず、みんな自己紹介をしよう」和磨が元気に言った。

「こんにちは、僕は井上和磨です。この『日本人の人権を考える会』のリーダーです。家庭教師と塾や通信制高校とかの社会科の講師をかけもちしながら何とかやってます。ちなみに独身です。よろしく」

「そして、彼が津村俊作。博学だけど、上から目線で蘊蓄がうるさいわよ」

「よけいなことは言うなよな」「大学院生の津村です。斎藤さんとは同じ大学ですよね。俺は途中、北京大学に留学とかしてて、既に三〇歳手前です。俺も独身です。よろしく」

「よけいなことは、言わんで良い」美姫が俊作に突っ込んだ。瞳が笑った。

「次、彼女は名村彩子さん。新婚でーす」

「えー、そうなんですね」

「名村です。よろしくね、斎藤さん、いっしょに頑張りましょ」

「よろしくお願いします、みなさん。ところで、皆さんは、ここでどんな活動をされてるんですか?」

「私たちの主な活動の目的は、日本人に世界情勢についてもっと興味を持ってもらい、それと同時に、日本人に人権についての考える機会を持ってもらうことなの。お勉強の機会を与えることね。だから、一般的な人権擁護団体というのとは違うと思うのよね。それで、主にやってるのはお勉強会かな。……ていうか、ほとんど和磨さんが一人でしゃべってるだけだけどね」美姫が説明した。

「おいおい」和磨が言った。

「えっと……、で、あとは、この前みたいに講演会を開いたり、場合によっては募金活動や署名運動を行うこともあるわよ」

「他のメンバーの人って、いるんですか?」

「登録者数で言えば、五〇人くらいはいるかな。でも、いつもここに集ってるのは、このメンバー。別に強制しているわけでもないし、担当とか役目があるわけじゃないから、ここに来たい人が来てるだけよ。まあ、いわゆる溜まり場ね」

「ああ、そうなんですね」

「それから、飲み会だけは不定期にいつでもやってるわ。もしかしたら、飲みに行くために、とりあえずここに集合しているだけなのかもしれないけどね」笑いながら美姫が言った。

「……ところで、どうして皆さんは関西弁じゃないんですか? 何か理由でも?」

「いや、たまたまよ。関西出身じゃない人が多かっただけなの」

「俺は長野」和磨が言った。

「俺は熊本」俊作が言った。

「私は広島」彩子が言った。

「そして、知っての通り、私は千葉。ね、だからよ」

「あ、私、山口出身です」瞳が言った。「何だか楽しそうなところですね。でも、私、まだ……」瞳が皆にそう言った。

「あ、あ、いいのよ。見に来ただけなんでしょ。そういう人多いのよねー。ま、遊んで行ってよ」美姫がそう言った。

「すみません。三千男がこういうの嫌ってるってのもあって……」

「あー、井村三千男。いつもあんたにくっついてる、あんたの彼ね」

「はい。政治とかの話に興味が無いっていうのか、そんなもんは専門家がやるもんだって……」

「なるほどな」俊作が言った。「人間には二種類ある。世界情勢や政治経済とかに興味の有る人と無い人だ。……例えば、父親が中国からアメリカに渡り、中国から目をつけられていたネイサン・チェンが冬期北京オリンピックのフィギアスケートで活躍することに、彼の立ち位置とか人生を知っていて感激する人もいるが、そんなことに全く興味のない人もいる。同じく、オリンピックのフィギアスケートで、ドイツ人選手がシャルブールの雨傘で演技をしているというスタンスだけで感激する人もいる。シャルブールの雨傘っていう映画は、第二次世界大戦で引き裂かれたフランス人の恋人の話なんだ。その曲でドイツ人が舞っているんだぜ。感動するだろ!」

「あー、始まったわ。俊作の長い蘊蓄」「瞳、これ、聞き流していいからね」美姫が言った。

「いえ、とても興味が湧きます」瞳が、俊作の蘊蓄に目を輝かせて言った。

「えー! そうなのー!」

「そうだろー! ……で、世界情勢に興味のない人、哲学に興味のない人っていうのは、えてして満たされた人生の人、社会に不満の無い人、親の愛に満たされて育てられた人さ。逆に、満たされない人は、社会の矛盾や不条理に気付く人であり、だからこそ、世界や社会というものに興味を持つようになる。だから、インテリ層は上から目線になりがちだ。仕方ないよ。俺たちは上から目線で言っているわけじゃなく、話をかわしたい。議論をしたいだけなんだ。世界とか社会に興味のない人、考えない人、考えたくない人っていうのは、気づきのない人であり、為政者がいつでも正しいと思っている人であり、それに任せる・従うという立場の人。結局のところは、彼らは人任せ、上任せ、依存性の強い人、言いなりの人ってことになる」

「俊作さん、よく分かりました。三千男に言っときます」

「そうしてくれ」鼻高々の俊作だった。


「ところで、彩子さんの旦那さんは、確か大手の食品会社にお勤めでしたよね」美姫が言った。

「はい。今も東京に出張中で、今日は銀座の大手デパートに営業に行くんだって言ってました」そう彩子が言った。

「えっ、東京?」「そう言えば、今朝起きた銀座の事件、その後どうなったんだろうな」

「あっ、そうそう。テレビつけてみようよ」

「ああ、大きな人食いトカゲの事件ですね。私もびっくりしました。こんなことがあるなんて」そう、クルムも言った。

 テレビをつけると、どの局でも銀座の事件が流れていた。

「ただいま、ご覧いただいておりますのは、今日の午前に銀座で起きましたオオトカゲ事件の映像です」アナウンサーが映像を解説していた。

「うわっ! ひどいな。ぼかしが入っているとはいえ、これはある程度分かるよ」俊作が言った。

「現在も現場は、規制線が張られておりまして、どこもかしこもまだ血まみれの状態です」

テレビは続ける。

「尚、以下が現在までに判明している犠牲者の方々です……」延々と名前が出てくる。

「この付近でお仕事されていた方々、買い物に来られていた方々、出張で来られていた方々、色々な方がいらっしゃったと思います。今、お名前をお出ししているのは、所持品で判明した方々のお名前です。遺体からのDNA検査でした分からないものに関しましては、まだ数日かかるとのことでした」アナウンサーが説明している。

「ひあーーーーー! ああ!」突然、名村彩子が、何とも言えない絶望をともなう叫び声をあげた。

「夫が……、夫の名前がーー」青ざめる彩子。

「ええっ! 名村さんの旦那さんですか?」まわりのみんなが声をかける。

「私の夫は、一昨日から東京に出張していたんです。確か銀座のデパートの外商部の部長との商談があるとかで……」泣き崩れる彩子。

「私、とにかく、急いでこれから東京へ向かいます。事実を確かめに行ってきます」

そう言うと、彼女は荷物をまとめて、急遽控室を出て行き、一路東京へと向かった。

「名村さんて、確か新婚だったよな。かわいそうに。何てこった」俊作が言った。

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