第2話

「では、あなたの要望は、どのような状態になることなのですか?」今度は、別の男が質問した。

「私の要望は三つです。一つ目は、現在の中国政府が、今彼らが行っている残虐な行為を認めること。二つ目は、彼らがその行為を止めること。そして、三つ目は、彼らが行ってきた行為について私たちに謝ってほしいこと。以上です」クルムが答えた。

「私があなたに質問したのは、賠償金は要求しないのかということです。かつて日本は、韓国や北朝鮮に対してひどいことをしてきた。我々は私たちの国に対して行ってきた日本の行為に対して、謝罪だけではなく、賠償を求めている」

「ちょっと待って、それってもうかなり前に話がついている話でしょ。八〇年も前の話だしね」美姫が口をはさんだ。

「何年経とうと、傷つけられた我々民族の心は変わらない。日本は犯罪国家なのだ。犯罪者は、未来にわたりずっと、我々に詫び続けなくてはならない」

「では、あなた方の言う犯罪国家というのは、一体なんですか? 未来永劫、私たちがあなたがたに謝罪し続けなければならないのではなく、本当は、未来永劫、あなた方がずっとかわいそうな被害者であり続けるために、我々日本人はずっと犯罪者でなくてはならないということでしょう? 違いますか?」和磨が言った。

「うるさい! 黙れ。犯罪国家の人間などに、我々被害者に対して説教をする権利など無い!」

 と、ここでクルムが口をはさんだ。

「では、先ほどの中国人と思われるあなた、違ってたらごめんなさいね。中国は、かつてモンゴル民族や女真族に国を征服されて王朝をつくられていますが、中国人は今でもモンゴル人や女真族を憎んでいますか?」

「ははは、そんなバカなことはないですよ。王朝なんてものは常に変化するものです。強いものが弱いものを支配しているに過ぎない。そんなことをいちいち言ってたら、たまったもんじゃないでしょう」

「その通りですよね。では、日本人の皆さん、日本人は今でもアメリカを憎んでいますか?」

「今どき、そんな日本人はいませんよ」俊作が答えた。

「どうして、日本人はアメリカを憎んでいないのですか?」

「そりゃー、アメリカは日本を戦争から解放してくれた。軍事政権から解放し、民主主義と自由主義を教えてくれた。それがアメリカだ。アメリカには感謝こそすれ憎んでなんかいない。たぶん、ほとんど日本人はそうだと思いますよ」再び俊作が答えた。

「そうでしょう。戦後の日本政府は、かつての政権とは既に違う。その国と言っても、時代とともに、政権も違っているし、方針も違っている。決して同一のものではないのです。それに、これは政権についての話です。先ほども、私が申しましたように、政府と民族とその文化は分けて考えなくてはなりません。日本が嫌いと言っても、日本人が嫌いということとは違いますし、アニメなんかの日本文化が嫌いと言うこととは、また違うのです。イコールでつないで考えるべきではないのです」クルムが言った。

 すると、これを聞いていた男は、声を荒げて言った。

「俺は、お前にそんなことを聞きに来たんじゃない!」

「では、あなたは、私にどのようなことを言ってほしいのでしょうか?」

「我々朝鮮半島に住む者は、民族の自決および国家の統一を望んでいる。もう何十年もずっとだ。民族の統一と自決によって皆は幸せになれると信じているからだ。そのようにして、皆が一つになれば、一つの世界になれば、きっと世界に平和は訪れるはずだ。あなたたちウイグル人だって、かつては中国からの独立を宣言したではないか」

「いいえ! 統一は決して平和をもたらしません。少なくとも、私はそう思います」

「何だって!」

「しかも、少なくとも私は、民族の統一とか自決とかを望んでいるわけでもないのです」

「はっ! どういうことだ」

「私が望んでいる世界は、統一ではなく共存とか共生といった世界です」

「統一と共生は、一体どこが違うって言うんだ? 同じだろ」

「いいえ、統一と共存とは真逆のものです。統一の反対が共存です。そして、統一からは平和は生まれません」

「私が望んでいるのは、何か一つに統一された世界ではなく、お互いの差異を知る世界です。そうして、その差異を認め合う世界です。ですから、そこには、どちらかがどちらを支配するとか、優位に立つとかいったものは存在しません。ウイグルが、東トルキスタンとして独立国家になったとしても、また、何かしらの問題が生まれるかもしれません。思想やイデオロギーや宗教によって支配しようとすれば、そうじゃない人たちが必ず排除されます。大事なのは、知ることと認めることだけなんです。人々が幸せになるためには、独立や統一、民族や国境といったものは、本来は関係ありません」

「……」男の頭は、少々混乱しているようだった。

「では、もう少し分かりやすく説明しましょう。例えば、中国人はタオルで顔を拭くとき、タオルではなく、顔の方を上下に動かします。皆さん知っていましたか? ……でも、日本人はタオルの方を動かします。中国人は、相手に出された食事を食べるとき、最後に少しだけ残すようにします。それが『もうお腹いっぱいで満足です』という敬意になるからです。ところが、日本ではこれが逆で、全部食べつくすことが、作ってくれた相手への敬意になります」

「ああ、そう言えば……」やおら、俊作が立ち上がった。「日本での気を遣って使用する取り箸は、韓国では失礼にあたるって聞いたことがあるぞ。あと、中国では、なるべく食卓を汚しながら食べるのが礼儀だってのも聞いた」

「そうそう、そういったことです。そのようなことを、もしも知らないでいると、お互いに失礼な人だなと不快に思うと思いますよね。でも、あらかじめ、それを知っていて、しかもそれがなぜそうなのかさえ知っていれば、喧嘩にならなくて良いはずです」

「なるほどなー」一人でうなずく俊作。

「大阪の皆さん、もしも、突然、明日から大阪弁は禁止する。正月の餅は関東風の角餅だけしか使用してはならない。しかも、関東風の醤油だけを使用することって言われたらどうしますか?」

「えー、そんなの絶対にありえないし、許せない!」美姫が言った。会場に笑い声が起きた。

「そうですよね。でも、これよりももっとひどい文化への弾圧が起きているのがウイグルなんです」

「共通点を探しても仲良くはなれないのです。大事なのは、逆に差異を探して知ることなのです。知ることが大事であって、統一することが目的となってはならないのです。統一はいさかいを生みます。もう一度申し上げますが、共存・共生の反対が統一なのです」

 これを聞いていた韓国人と思しき男は、黙ってずかずかと会場を出て行った。それを見届けたクルムは静かに言った。

「国と国との分断をあおったり、国内の民衆を分断させたりするのは、いつの日も為政者です。もちろん、アメリカや日本の政治家だって分断させる可能性はあるのです。だからこそ、いつの日も民衆は、為政者に目を光らせておかねばならないのです」


 講演会の後、ボランティアとクルムが控室で話していた。主宰者でありリーダーの井上和磨が謝辞を伝えた。

「クルムさん、本日はどうもありがとうございました。残念ながら、客の入りが今一つで……。本当にごめんなさい」

「いいえ、いいんです。私は一人でも多くの人に伝えたい。だから、たとえ聞く人が一人であってもやりますよ」クルムは穏やかに笑いながら応えた。「日本は、ある意味特殊な国ですからね。土地がどことも隣国とくっついていない。だから、他国の問題が自分たちの問題としてとらえにくいのだと思います。しょうがないです」

「日本という国は、日本の領土と、そこに住んでいる民族と、言語がたまたま一致しているという例外的な国なんです。日本に日本人がいて日本語をしゃべってるっていうね」和磨が言った。

 それに続けて美姫が言った。

「そう、だから、それが他の国でも皆同じだと思っている。本当は、日本だけが例外なのにね。この辺の意識から変えて行かないといけないのかもね」

「クルムさんはウイグル人よね」美姫が言った。

「そうです。そして、ウイグル人はトルコ系の騎馬民族です」クルムが答えた。

「えっ、トルコ人なんですか? ウイグルって……」

「何だ、そんなことも知らなかったのかよ」和磨が言った。

「じゃあ、今トルコに住んでいるトルコ人は?」

「もともとトルコ系、ターキー、テュルク、トルクメニスタン、ウイグル系の人たちって言うのは、中央アジアのウイグルに住んでいた騎馬民族なんだ。かつては中国の西に突厥とかいう国もあったかな。それが、昔、民族移動して、一部のトルコ系の人たちは、現在トルコのあるアナトリア半島に住んでいるんだ。かつてアナトリア半島に住んでいたペルシャ人たちは、インドの西側の方に移動して住んでる。民族ってのは、過去から結構移動しまくってるんだ。同じ場所に同じ民族がいる何てことを思ってるのは、日本人だけさ」俊作の長々とした説明だ。

「そう言えば、あの中国系の女の人、びっくりしたわ」話が長くなる俊作の話を嫌った美姫が話題を変えた。

「ああ、あれは多分中国のスパイです。しかも、おそらくはウイグル人です」クルムが言った。

「ええ! スパイ……なんですか?」美姫が驚いて言った。

「はい、私のまわりで彼女の顔をよく見かけます」

「じゃあ、あの韓国系の男も?」

「いや、あれはただの韓国人のナショナリストだと思います。日本に住んでいる在日の人ではありませんね。偏って凝り固まった知識を為政者に刷り込まれているタイプの人間です。日本に住んでいたら、ああはならないでしょうね」クルムが答えた。

「日本にも他の国のスパイとかいるんですね。驚きました」和磨が言った。

「実は、国際紛争の約96%は隣の国と起きていると聞いたことがあります。自分に似ているけれど、少し違うというものの方が、受け入れがたい、許せないというのが人間なのです。日本は島国ですが、隣の国は、韓国、北朝鮮、中国、そしてアメリカなのです。そのことは知っておいといた方が良いです」

「クルムさん。今日はゆっくり休んでくださいね。本当にありがとうございました」和磨が改めて例を言った。

「はい、ありがとうございます」

「クルムさん。私の夫は大阪市内の食品問屋で営業をしています。それで、最近は、東京のデパートやスーパーにも営業に行くことが増えたんですけど、東京だとなかなか西日本の味を売り込むのは難しいみたいで、いつも嘆いてます。丸餅は関東では売れないとか、うどんの出汁が薄すぎるとかね」そのとき、メンバーの一人である名村彩子は、そんな話題を言い始めた。

「そうだんったんですか」和磨が笑いながら言った。「旦那さんも東西の文化の違いに挟まれて大変なんですね」

「はい」

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