長過ぎた春の先に (二)

 男性は、私よりも三つ上で「ヤガミ」さんといった。歳が近い事もあって、ついつい話が弾み、新幹線の中では、思ったよりも飲んでしまった。京都駅に着く頃には、心地良い眠気も合わさり、今すぐにでもベッドに潜り込みたい程だった。

 駅直結のホテルでちょうど良かった。

「すっかり飲みすぎてしまいました。でも、楽しい時間をありがとうございました」

 駅構内で、ヤガミさんはそう言って、手を差し出した。

「ええ、私も、良い時間を過ごせました」

 私は、差し出した手を握り返す。

「素敵な旅を――」

 そして、笑顔で別れた。


 翌日は、快晴だった。目的の場所は少し遠かったのだが、天気の良さも相まり、気分は既に最高潮だった。

 京都駅烏丸口から八十三のバスに乗車し、一時間弱と徒歩数分。

 目的のS寺に到着した。景色を観ながらであった為、あっという間に到着した感じがした。

 S寺へ続く階段を登り、さほど待たずに入れるとは、やはり平日の旅行はなんて素敵なのだろう。

 拝観料を納め部屋に案内されると、鈴虫の鳴き声が心地良く響き渡る。

 鈴虫の音色を聴きながら、茶礼を受け、説法を聴く。何とも贅沢な時間だった。説法の後は、皆黄色い『幸福御守』を授かろうとしており、私も例に漏れず、授かる。

 そうだ、佐和子にも。と、もう一つ追加した。

 自分の御守りだけを手にし、いざ願いを、と考えるが、願いが思いつかなかった。

 願い…私の願いは…何だろうか…。

 考えている傍で、何をしてるのだろう、と不思議そうにしている参拝者の目線を感じ、少しばかり焦りだした。

 取り敢えず、願い事をする様に目を閉じた。

 両親も元気だ。

 私も健康だし、お金にもそれ程困っていない。

 仕事も順調。

 でも、何か願わなきゃ…。

 

 半ば無理矢理に御願いをし、説明の通り、自分の住所と名前も頭の中で神様に伝えた。

 

 S寺の後は嵐山方面を堪能する事にし、夕方になる頃には、心地良い疲労で、バスに揺られていた。

 散々歩いた筈なのだが、歩行者を見ていると、無償に街を歩きたい衝動に駆られ、途中でバスを降りた。

 珈琲をテイクアウトし、鴨川沿いのベンチに腰を下ろした。丸太のベンチは座り心地が悪く、結局また少し歩いて、座りやすいベンチへ移動した。

 もう少しすれば、夕日が見えそうな時間帯だ。

 夕日といえば、彼と付き合い始めた日も、夕日を見ようと、こんなふうにベンチに座っていたんだっけ――

 不意に、彼を思い出した。

 その時、

「お嬢さん、お隣、座って良いかしら?」

 声がした方を振り向くと、女性が一人、微笑みながら立っていた。

「あ、はい、どうぞ――」

 私は、女性が座りやすいよう、少し左に移動した。

「ありがとう。失礼しますね」

 女性はゆっくりと、私の右隣に座った。

 地元の方なのかな。でも、京言葉では無いような…そう考えて居ると、考えが筒抜けだったかの様に、女性は

「お嬢さんは、こちらへは旅行かしら?私は、旅行ですのよ」

 と、優しい表情で、話しかけてきた。

「はい、そうです。京都に、一度来てみたくて、昨日から来ています。一人ですけど」

 そう答えると、女性は増々笑顔になり、

「そうなのねえ。私も、一人で来ているのよ」

 意外な返答に思えた。

 私の勝手な判断だけれども、とても品のあるその女性は、長年連れ添った旦那さんも居て、てっきり夫婦で仲良く旅行に来ている、そんなふうに、思える雰囲気であったから。

「――主人をね、十年前に亡くしてから、こうして毎年この時期に、京都に来ていますの。このベンチに座って鴨川を見るのも、毎年の恒例ですのよ」

 胸の中を、何かに刺された様に、痛くなった。   

「…それは…ご愁傷様です。御主人との、思い出の場所なのですね?」

 ふふ、そうなの、と、女性は川を眺めた。

「子供に恵まれなかった私達は、旅行が趣味でね。あちこち、色々な所に連れて行って貰ったわ。主人と初めて旅行したのは京都だったのだけど、最後の旅行になった場所も、京都でしたの。旅行から帰ってから、体調を崩して…検査をしてみたら、癌が見つかってね。それから、すぐに…早かったわ…」

 何か答えなきゃ。

 そう思いながらも、言葉に詰まる。

 でも、安易な言葉でなんて、返せるはずが無い。そう思いながら、無言の時が少しの間流れた。

 最愛の人との、突然の別れ。

 どれだけ、辛かっただろう。

 どれだけ、心細かっただろう。

 どれだけ――

 涙がすっと、流れた。自分でも、驚く程だった。

「あらあら、ごめんなさいね、何だか、暗い話なんかしてしまって――」

 女性からポケットティッシュを差し出され、受け取った。

「…すみません、私も突然…本当に、すみません」

「――優しいお嬢さんね」

 女性は、私を見つめ、穏やかに微笑んでくれた。

「実はね。京都に来るのは、今回で最後にしようと思って来たのよ。もう、歳ですしね。来年の事も、明日さえ、どうなるかなんてわからないでしょう。施設にも申し込んであってね。帰ったら、そこに入るの。だから、誰かに聞いて貰いたかったのかもしれないわ――」

 女性は、川岸や、夕日に染まる空に目をやる。今日が、最後だから。しっかりと、五感に刻むように。

 そんな思いが、私にも、伝わってくる。

「聞いて下さった方が、あなたのようなお嬢さんで、良かったわ。ありがとう――」

 女性の温かな手が、私の手に、重なった。

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四季に、巡りて 三浦彩緒(あお) @sotocamp2022

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