四季に、巡りて

三浦彩緒(あお)

長過ぎた春の先に (一)

 その年のニ月は、晴れた日なんて、せいぜい合わせて八日間程しかない、雨の多い月だった。

 でも、私にとってそれは、とても都合が良かった。沈んだ気分も全て、そのせいにできたから。

 長過ぎる春とは、よく言ったものだ。

 ちょうど、十年――

 もうそろそろ結婚かな、なんて、考えていたのは、私だけだった。

 三十五歳、私は、独りになってしまった――

 

 溜まっていた有休も消化を促されていた為、いっそのこと旅行にでも行こうかと、ちょうど三月に入る翌週の月曜から有休休暇の申請をし、仕事終わりには旅行代理店へ向かった。

 頭の中でいくつかピックアップしていた場所のパンフレットを見ながら、行き先は、京都に決めた。

 家に帰り荷物を詰め始めると、意外にも気分が高揚している事に気付く。旅行なんて久し振りだ。こんな機会で旅行を決めるとは、思っていなかったけれど。

 ある程度荷物を詰め終える頃、携帯の着信音が鳴った。画面を見ると、親友の佐和子からだった。

「もしもし――」

「ちょっと!別れたって本当なの?!大丈夫?!」

 佐和子の開口一番は、その話題だった。

「…うん、そうね、大丈夫…に、なってきたかな?」

 彼との別れの現実を、意図的に考えないようにしているのか、はたまた十年という歳月を一緒に過ごしてきたが、私自身も、冷めていたのか。

 でも、ちゃんと、好きだった。

「ごめん、大丈夫…じゃ、ないよね…びっくりしちゃって…てっきり、そろそろ、なんて、思ってたから…」

「うん、ありがとう。私もだよ。恥ずかしいけど、私も、そう思ってた。笑っちゃうよね――」

 その夜は、親友との長電話で明かし、少し気分も晴れた気がして、久し振りに眠った。


 ご無沙汰だった青空の下、太陽の眩しさを感じながら、東京駅へ向かった。平日でも、どこから集まって来るのかと思う程、東京駅構内は人で溢れている。

 何でも無い平日の、仕事では無い日。

 それだけでも、贅沢な気分になる。

 自然と足早になり、テイクアウトした珈琲を片手に、京都駅へ向かう東海道・山陽新幹線のぞみに乗り込んだ。

 窓際の指定席に着き、キャリーケースを荷物棚に上げようとすると、日頃の運動不足のせいか、持ち上げられずにふらついた。キャリーケースって、こんなにも重かっただろうか。次々と乗客が来る中、焦り始めた所で乗客が途絶え、再度挑戦するが、あと少しで持ち上げられない。

「お手伝いしますよ――」

 横から声がした。振り向くと、背の高い男性だった。

 そして男性は、私のキャリーケースを軽々と持ち上げ、すんなりと荷物棚に収めた。余りにも一瞬だったので、

「――あ、ありがとうございます」

 少しタイミングがずれたように御礼を伝えると、

「いえ、このくらい――」

 と、男性は笑顔で答えた。

 席に座ると、男性は隣に座って、

「久し振りに、今日は晴れましたね。出張ですか?」

 と、尋ねてきた。

「いえ、旅行です。今日から少し、羽を伸ばしに」

 そう答えると、

「旅行でしたか。実は、僕もです。何でも無い日の、旅行。きっと、仕事をしている人が多いはずなのに、そんな時に自分は旅行だと思うと、何だか贅沢な感じがして、嬉しくなりませんか?」

 と、男性は微笑んだ。

「私も、実は新幹線に乗る前に、同じ様な事を思っていました」

 言葉を交わしながらも、ふと、私はこの男性の目に、どういう風に映っているのだろうかと思った。決して若い部類では無い年齢の、女の一人旅。

 けれども男性は、全く気にもしていないだろう。

 その後も男性は、不快感を感じさせない、心地良い間合いで話し掛けてきて、それに対して、私も答える。そんなやり取りをしている中、車内販売がやってきた。

 京都へ向かう中、のんびりと、少しだけ飲もうと思っていたのだが、一人で飲むのも気が引け、キャリーケースの御礼にもなるかと考え、

「あの、失礼ですが、お酒、飲めますか?」

 思い切って男性に聞いてみた。

「はい、飲めます。実は、のんびり車内で飲もうかな、なんて、思いながら乗りました。実は、軽くつまみも準備してあって。一緒に、乾杯しませんか?」

 そう言って男性がバッグから取り出したのは、トマトのブルスケッタやピンチョスなど、イタリアンバルで提供していそうな、思わず次から次に手が出てしまいそうな物ばかりだった。

「え!凄く美味しそうですね!あ、すみません、思わず、大きな声で。本格的な物だったので、びっくりしました」

「そうですよね、まさかこんなのが出てくるなんて思いませんよね」

 男性は、手際良く準備をし始めた。

 私は、ビールやチューハイなど、二人分を車内販売から購入した。

「では、ありがたく、頂きます。何でも無い日の、」

「贅沢な旅行に、」

 乾杯――――

 こうして、二時間と少しの、小さな車内飲み会が始まった。


 

 

 

 

 

 

 

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